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宗教改革から見る自由からの逃走『参加する読書会 第3章 自由からの逃走 エーリッヒ・フロム著 』

中世ヨーロッパが人々を孤独に導いた社会的背景

フロムは現代の社会学的様相を観察する際に、15世紀、16世紀のヨーロッパが様々な類似点があるということで考察している。

中世ヨーロッパについて、宗教改革の前を封建制度の時代、その後を資本主義が発達した近代と区分すると理解がしやすい。もちろん、これらの経済制度の移り変わりは漸移的であり、場所によっても移り変わる時期にむらがある。

この時の社会の移り変わりを、フロムは先の章で述べた幼児が母親との『第一次的絆』から解放され、自立した存在になる過程に近似して記述しています。

宗教改革は社会の価値観が変わった重要なイベントである。宗教改革以前は封建制度であり、人は土地に縛られ、共同体の中で暮らしていた。特に農村に暮らす人々は一生を同じ共同体の中で暮らし、一生同じ仕事をする。社会階層の移動もよっぽどの幸運に恵まれない限りなかった。毎日同じことの繰り返しであり、テンションの上がるイベントと言えば、感謝祭や収穫祭など一年に数回程度であった。

しかも、労働でも自由がなく、封建時代のギルド制の下では、まず商売の自由がなかった。親方になるためには誰かの徒弟になり、長く下積みをして、ようやく親方になった。しかも親方になっても、原料の調達先、販売先、作る商品の種類や数、売る価格まで厳しく規制されていて、『イノベーション?それって美味しいの?』という感じです

このような状況下では個人の自由はないに等しかった、というのも個人が誰かに制限されているわけではなく、選択肢がなかったからだ。同じ共同体に一生暮らし、毎日同じことの繰り返しの中では、自分が人と違うという認識は持ちにくい。個人の自由などなく、人々の実存はそれぞれの役割に紐づいていた。

このような状況では、個人の自由はなく、したがって個性はなかった。しかし、特別に個人に由来する生活の不安はありませんでした。ギルドの決まりに従って労働していれば、食べるに困らない。人生の選択をすることは片手で数えることでしょう。しかも、親や長老が指示をしてくれるので、自分で考える必要がありませんでした。加えて、その時の人々の価値観は宗教によって規定されていた。神に救済されることが人生の目的であり、人生に関わる全ての事を神が決めていた。神に従っていれば、なんの不安もなかった。このように、中世のヨーロッパは人間でいう幼児状態であり、自由はないが、孤独を感じていなかった。

しかし、13世紀頃から資本主義に近い制度が導入されて、それまでの安定した社会基盤が揺らいでいきました。富が重要な社会ステータスになりました。特に貿易が盛んだったイタリアでは商人の力が強くなり、社会階層の移動が簡単になりました。銀行家だったメディチ家はその財力で、最終的には15世紀後半にレオ10世教皇まで輩出しています。

このようにそれまでの人々が土地に縛られていた封建制度から、市場で交換し、資本を蓄積していく資本主義への転換が起こってきました。そのような中で、既存の価値観の崩壊が起こったのです。

まず、人々が自由になりました。経済活動が活発になったおかげで、交易が盛んになりました。農民出身でも才覚があれば、交易により富を蓄積することができ、しかもお金を持てば、支配層に移動できるチャンスが生まれたのです。自分の努力により、自分の幸せをつかむことができるようになったということで、個人の選択が人生において重要であるという認識が生まれたのです。

しかし良いことだけではありません。人々の自由が増すにつれて、生活の安定性が失われていきました。特に、生活の基盤であるギルド制が不安定になりました。中世末期、14世紀までにギルドの統合が進んでいき、ギルドによって大規模なものが現れ始めました。大きなギルドは市場を独占し、販売価格を吊り上げ、そこで働く職人たちの給料をカットしていきました。今の大企業と同じですね。このため、以前だったら、ギルドに所属して、職人として働き続ければ、安定した生活が送れるという信頼が失われたのです。

このように中世末期には、人々は個性化をしました。人生における選択の自由が増したのですが、その反面、自分の人生に責任を持たなければいけなくなりました。そして、生存のために他人と競争しなければならなくなったため、孤独を感じるようになりました。それまでの伝統的な人生のレールがなくなったため、自分の将来に不安を感じるようになったのです。

16世紀には社会に自由が生まれた半面、不安と孤独も同時に満ちてきたのです。このような状況下で社会が不安定になり、宗教改革~30年戦争、そして神聖ローマ帝国の崩壊、ウェストファリア条約の締結により近代が出発したのです

では、近代の出発点となった宗教改革では、その時の人々はどのような心理的な状態になったのでしょうか?

上記に対する人々の心理的な反応、自由からの逃走過程

宗教改革では、それまでのカトリック教会による人々の支配から、プロテスタンティズムが分離しました。その担い手となったのがルターとカルヴァンになります。彼までのカトリック宗派から、宗教改革により生まれたプロテスタント宗派へ、少なくない人々が転向をしました。

2016年時点で、カトリックはヨーロッパ人口の47%を占め、プロテスタントは16%を占めています。このように、少なくない人々が宗教改革以降、プロテスタントを信仰していることから、プロテスタントの教義についてみることで、当時のヨーロッパの人々自由を手に入れたことにより、どのような心理的な反応があったかを考察することができます。

プロテスタンティズムとカトリックの特徴的な違いは『予定説』にあります。キリスト教の究極の目的は魂が救済されることですが、『予定説』によると、人々が死後に救済されるかどうかは既に決まっていて、個人の努力が入り込む余地がないということです。

これはカトリックと大きく違っています。カトリックの教義では人は生前に善行を積むことで、神の恩寵を受けることができるということです。このため、人間の頑張りによって、救済される可能性を上げることができます。しかし、プロテスタントの予定説は、神は人間の行いなど気にしていない、人間の振る舞いに関係なく、救済されるかどうかは運命で決まるということです。

しかし、同時にルターらは神を疑うのは大罪であり、毛ほどでも疑った瞬間に即地獄行き確定ということも伝えています。このため、プロテスタントでは、死後の救済を確信して、ひたすら神に信仰を捧げるべきであるというストイックな教義になります。神への信仰を示す証として、ひたすら労働をすべしということを説いています。


この協議について、フロムは面白い精神分析をしています。
この協議に従うことは、神に絶対的に服従することだと言っています。神の前で徹底的に這いつくばり、視線すら上げないということです。この協議に従う人たちは、まさに自由から逃走をしているということです。


カトリックでは人間の自由意思が救済に関係します。中世以前であれば、普通に共同体で生活して、教会のいうことを従っていれば、死後に救済されることを確信することができていました。しかし、社会環境が大きく変わり、個人が自由になってしまったがゆえに、人々は人生の中で選択しなければならなくなりました。死後に救済をされるためには、孤独に耐えて、人々と競争をして、常に選択をしていかなければいけません。しかも、その選択があっているかどうかもわかりません。

一方、プロテスタントでは思考停止することができます。『予定説』に従えば、自分の死後は既に決まっている。自分が救済されるためには、生前の自分の努力が入り込む余地がありません。しかし、教義に背いたり、神の存在を疑ったりした瞬間に即地獄行き確定です。このような条件では不安をなくす方法はただ一つです。徹底的に神に服従して、思考停止をすることです。自由意思を投げ捨て、プロテスタンティズムが求めるように、ひたすら倹約して、労働をしていけばよいのです。

この生活様式は肉体的には辛いかもしれませんが、不安は感じません。キリスト教の究極の目的は死後の魂の救済なので、生きている時に辛くても、死後に救済されれば、特に気にしないのでしょう。このようにして、人々は自由から逃走して、絶対的な権威に服従していくのです。


人々が自由から逃走することでその後の社会にどのような影響を与えたか?

ちなみに、マックス・ウェーバーが言うように、プロテスタンティズムの教義と資本主義は相性が抜群です。アメリカでは『WASP』と呼ばれる人たちが政治家や企業経営者に多くいます。近年は人種構成が変化してきたので以前ほど多くの割合ではありませんが、依然多いです。特にアメリカ大統領はJ・F・ケネディとバイデン以外はすべてプロテスタントになります。

これは、プロテスタントの思考停止でひたすら労働し続けることで、資本を蓄積することに繋がったからです。労働の目的が富の蓄積であれば、富が蓄積されたら労働をやめてしまいます。しかし、死後に救済されるために労働をし続けるのであれば、蓄積した富の量に関わらずに無限に労働を行います。このような無限の労働が、社会の発展、テクノロジーの発展に寄与したことは言うまでもありません。

ただ、良い面だけではありません。
プロテスタントを労働に向かわせるのは、結局は不安という感情になります。しかも、プロテスタント的には死ぬまで不安を解消することができません。なぜなら、死後の救済のために、救済を確信して、働き続けているのですから。このため、社会全体に神経症が蔓延していると言えます。というより、労働は不安を紛らわすための神経症的な振る舞いですらあると言えます。

このような自由からの逃走により、絶対的な権威に服従した社会の人々が、それでも常に不安を抱えているという構造は、今の日本でも見られるかもしれませんね。


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