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第3回_西都の商店街活性化に必要なこと_レポート

はじめに

こんにちは!
さいと未来のまちづくり会議 運営事務局の田上沙慧美です!
9月21日(木)19:00~21:00に開催した、第3回 まちづくり会議の内容を綴ったnoteです。
第3回となる、今年度のさいと未来のまちづくり会議は「西都の商店街活性化」のテーマを考えていきます。商店街活性化の代名詞とも言える日南市油津商店街の物語の始まりから、積み重ねてた先進事例を学び、西都の商店街活性化を考えていきます。


講師紹介

今回、商店街活性化のテーマでご登壇されたのは、油津商店街の活性化に取り組む株式会社油津応援団 代表取締役 島中星輝氏。
まだコロナ禍の名残の残る令和4年6月に4代目代表取締役に就任されました。

講師 島中星輝さん プロフィール

商店街衰退に対する解像度を高める

油津商店街は、山から切り出した木材の運搬を担う運河に沿って栄えていました。しかし、道路の整備が進むとともにその体制も変わり、油津商店街は衰退の一途を辿ったという、歴史的・経済的な背景があります。
西都はどうでしょうか?

1. 西都市の商店街の衰退

"商店街活性化"をテーマに掲げながらも、商店街の歴史的な変遷や、なぜ衰退したのか、解像度が高い人はあまり多くないのではないか、と思っています。そこで、こちらの地図を使ってグループごとに西都の商店街衰退に繋がった仮説を考えてもらいました。

西都市商店街の地図

西都市の住民からも、「上町通り、、?」という声も挙がっていましたが、当然です。オレンジの上町通りが最も栄えていたのは、江戸時代の頃の話です。

2. 西都の商店街の変遷の歴史

西都市は、江戸時代には「都萬神社」にお参りに来る武士で賑わい、都萬神社近くの上町通りが栄え、本町は宿場町として栄えていたそうです。
そこから大正時代、今はなき妻線の開通と、「妻駅」付近に集積所ができたことで、妻町が児湯地域の商業の中心として栄えました。西都は、児湯地域の中心、そして西米良の豊富な木材を運搬する要所となりました。
この、妻駅によって、今の商店街の原型が出来たと考えられます。
現在、西都の商店街というと「小野崎商店街」だと思いますが、大正・昭和時代に栄えたのは、平助通りでした。
しかし、平助通りで大火事が何度も続いたこと、ショッピングセンターPAOという、大方のショッピングセンターが小野崎通りにできたことで、平助通りから小野崎商店街に徐々に商店街が移りました。
現在は、商店街から離れた場所に全国チェーン店のお店が並び、宮崎市のショッピングセンター、ECの普及により、生活必需品の調達の場が外に流れたことが衰退の理由と考えられます。
グループディスカッションをせずとも、なんとなく想像していた理由かもしれません。しかし、歴史を知ること、成り立ちをがその土地の文化を理解し、課題解決のために必要な「解像度を上げる」ことに繋がるのではと思っています。

油津商店街の活性化アプローチ

1. 株式会社油津応援団の成り立ち

油津応援団の物語の始まりは10年前に遡ります。当時全国2番目の若さで市長に就任した崎田市長の時代に、「油津応援団をどうにかせねば。」ということで、当時空き店舗率が26%となっていた油津商店街のテナントを埋めるテナントミクスサポートマネージャーの募集から始まりました。
4年で、20店舗のテナントを誘致することが目標とされていたそうです。
この、テナントミクスサポートマネージャーをサポートするために立ち上がったのが、「株式会社油津応援団」でした。

2. 成果と変化は加速度的に現れる

4年で20店舗のテナント誘致。
これは単純に1年に5店舗ずつ増えていく、と考える人もいるかもしれませんが、油津商店街では1年目は0店。しかし、その間、家主や市民との関係構築を図っていました。
2年目は、油津応援団が自社でカフェを出す形でテナントを運用し、もう1点飲食店がテナントを借りて成果は2店。
しかし、この2店が動いたことが、「まちづくりの動きが出てきた」と市民の目に映り、町の理想像を語る人や、少しずつプレーヤーの創出に繋がり、そこからカープを活かしたまちづくりや学生の商店街活性化の取り組みが生まれたそうです。
そこからは、「何か商店街が盛り上がっている!」という気運がどんどん高まっていきました。
ここで決め手となったのは、サクラでも自社が1店目を動かしたことではないでしょうか。
誰かが動くまでは、何か見えるまでは動かない。という人がほとんどです。その人たちを動かすには、誰かがファーストペンギンとして、何かを動かす、挑戦する人が必要です。

3. 文化レベルで訴えるまちづくり

油津商店街の目と鼻の先にあった球場。そこにはプロ野球チームの広島カープが毎年キャンプにやってきます。カープファンも多く訪れているのに、商店街には来ていない。
そこで、カープとカープの赤をまちの全面に押し出したまちづくりが始まります。
様々な球団がキャンプの期間を過ごす宮崎県。
その中でも日南市は、カープをホームチームのように市民が応援する文化が根付いていると言います。
「球団がキャンプで訪れることで経済効果を見込むことができる」ことは事実ではありますが、日南市のカープを活かしたまちづくりの根源になっているのは、日南市民の文化であり、想いです。
この、文化と強い想いが根幹にあって始まったまちづくりだからこそ、球団オーナーやJR(油津駅をカープ油津駅にする許可を出してくれたそう)、店主(料理やお皿を赤で統一)や行政・警察署(道路も赤に!)など多方面の協力を得られ、カープのまちづくりにかかるクラウドファンディングには多くの広島県民が寄付をしてくれた結果に繋がったのだと考えられます。
こうした文化や市民の性質を読み取るためにも、歴史を知る、よく街を見る、いろんな人に会ってみることが大事なのではないでしょうか。

4.商店街活性化で地域課題の解決に繋げる

油津商店街の空き店舗は、3年目15店舗、4年目29店舗と加速度的に埋まっていきました。ここで大きな鍵となったのが、IT企業の油津商店街への進出です。日南市に限らず全国的に地方から若者が、「地方には仕事がないから」と都市圏に向けて人材が流出しています。
しかし、実際には、生産業や技術系、サービス業は求人数を求人者数が大きく下回っており、若者が求める”働きたい事務職”が圧倒的に欠けているため、若者が働きたくなるIT企業が油津商店街に事務所を構えることで雇用創出と空き店舗率の改善を同時に実現しました。
最終的に15社のIT企業進出と342名の雇用創出を生みましたが、今も、商店街を歩く人はあまり増えていません。しかし、テナントの中には多くの人が働いているのです。

まなびのレポート

「商店街活性化」というと、商店街を再生しよう!、昔みたいにたくさんの人で賑わってもらうにはどうしたらいいか?ということに意識を持っていきがちです。
しかし、時代のニーズに合わせて、商店街自体が求められる姿に進化し続けることが商店街が生き残る術であり、私たちの頭の中にある”商店街のイメージ” ”商店街の固定概念”をあらためて問い直すことが、第一歩であるように感じました。
商店街は商店街だけの問題ではなく、地域の課題と掛け合わせることで想像していなかった活性化の形を作れるのだと、油津応援団の事例から学びました。
そして、まちの変化の種を産むのは、1番最初に覚悟を持って始める人です。
一気に全てを変化させ、大きいことを三段跳びに実現することは不可能に近くても、1つの変化・挑戦が街を変えるきっかけになること、そのファーストペンギンの役割を担うのは、まちづくり会議のメンバーかもしれないし、私たちKOKOKARAではないか、と思いました。

そして、重要な時に、第1回目の高橋さんの言葉に立ち返ります。

アクションを起こせば 解決の一部になる。
何もしないと 問題の一部であり続ける。

イヴァン・シュイナード(パタゴニア創業者)

「あなたはどっちを選びますか?」

まちづくりサークルSAITOBASEで始めてみる、という手もあります。
西都でまちづくりのアクションを起こしているまちづくりサークル「SAITOBASE」では、メンバーの”やりたい””好き”から始まるまちづくりをテーマに、まちづくりの着想やコンセプトメイキング、企画・運営まで(一社)まちづくり西都KOKOKARAが伴走しながら、西都でコトを起こしていま西都でまちづくりを始めてみようと思った方、メンバーは随時募集中なので、ぜひご参加下さい!

次回

次回は10月28日(土)13:00~15:00に西都市役所北棟3階にて開催します。
株式会社GARTEN 代表取締役 / NEXTWEEKEND 主宰 村上萌氏を招いて、ブランディングのキーワードから、「好きを活かしたまちづくりに参加する方法を考えます。」
お申し込みは、さいと未来のまちづくり会議申込みフォームよりお待ちしています!

第4回さいと未来のまちづくり会議 フライヤー

(文責:さいと未来のまちづくり会議2023運営事務局 田上沙慧美)

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