見出し画像

なにか起こればいいのにと願いながら

何か起こればいいのにと願いながら、基本的になにも起こらない毎日で、もしなにか起こった時は底なしに面倒くさいって気持ちが湧いてくる。

縁あって、いまのお店から違う店に移籍しようかと思い始めて2ヶ月ほど。現状に対して特に大きな不満はなく、だからこそもうひとつ踏ん切りがつかない。労働者として給与やその他待遇に不満はある。ちゃんと一生懸命働いてんだから当然だ。

給与や待遇に関してなぜ不満が出てきたかと言えば、自分が日常生活でやりたいこと、行きたいところ、食べたいもの、見たいものの金額水準が上がってきて、すこし窮屈な生活になっているから。

雇われの身のままガンガン働いて稼ぎたい気持ちはあるけれど、いまの環境だとそれは難しい。

「それじゃあ1人で独立してやればいいじゃん」なんてびっくりする様なことを平気で言う人もいるが、雇われの身が良い。自分で考えて、自分の裁量で仕事をする良さがあるなら、その逆に、言われたことをコツコツやる立場の良さもあるし、それも一種の「自由」だと思う。独立する人は、時が来れば勝手に独立するだろうし、自分もそうなはず。

ただ、給与以上に何倍も大きな理由として、「日本酒を極めたい」が大きくある。それが90%占めることは嘘じゃない。独学でやってきたテイスティングもひとつ壁に当たってる気がするし、料理とのペアリングもやりたいが、やはりいまの環境ではむずかしい。そして、日本酒を伝えるために最も必要なことは(究極的には)科学的な知識ではなく、文化的知見と、自分の言葉で語るための主観的な実感値。それを深め高めるためにも、いまの環境は適していないと判断してる。

こういうと、「環境のせいにするな」と言う人がいる。

人の成長は環境に大きく依存するし、また環境を選ぶのは自分しかおらず、人のせいにせず自分で選び取ることは、自責そのものでしょう。

「環境のせいにするな」論で、無駄に苦しんでる人もちらほら見かけるけど、大いに環境のせいであることはよくあると思う。ただ、一部は自分の選択の責任であることを自覚しないといけない。

愛が全てだと思わないこと、変えられないものを受け入れる心の静けさを持つこと、等身大の自分を見つめて実力以上に自分をよく見せようとしないこと、本質を見失わないためにも安易に神格化しないこと、祈らずにまず考えること。

ダラダラと過ぎる気怠い日常の中でそんなことを思いながら、2023年の初夏を迎えます。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?