viernes, 11 de agosto de 2023

連絡を待つことに対してポジティブかどうか、という議題があそこまで盛り上がるとは思っていなかった。
夕方から始まった飲み会は、もうとっくにピークを過ぎ、このままヌルッと解散するかという時間だった。正直なところ、もう帰りたくなっていた僕は、お腹も一杯でお酒の味もしないくらいに口の中はいろんな味が充満していて、誰がこんな話をし始めたんだろうと恨めしく思いながら、それを思い出せないくらいに酔っ払っていた。

可能性のある限り僕はできるだけ、「ある」方に賭けたいし、それは一つの希望を持つ続けることなんじゃないかと思っている。確かに、待っているだけの人生は時々どうしようものなく寂寞で無風ではあるけれど、自分の中にそれを綺麗な空気に変えてくれる緑がないわけではない。

連絡をするターンにある人の責任を咎めすぎることはせずに、一体どのように爽やかにいられるだろう。
精神の余裕はひっそりと誰の中にでもあって、気まぐれな車の往来や吠え出す犬なんかを僕らがコントロールすることもできないのなら、奥の奥にある平穏を求めることがそれに対する答えの一つなのだと思うことにする。

午後、外でコーヒーを飲んでいた。この国は今日、独立記念日で人々は自由な金曜日を謳歌しているようだった。

大勢の人混みの中に紛れ、1人だけ違う言語を話す人を見つけた。
異国情緒、浪漫主義、宗教美術、自然崇拝。それらを綺麗に入れ子にしてから、雪でコーティングするとできるお菓子のような横顔だった。
つっかけたサンダルとざっくりしたニットが彼女を誰よりも孤独に見せ、そして洗練させていた。何年も伸ばしたように見える髪は冷たい川だ。緊張感がゆらゆら下流に運ばれていく。
僕がそれに気が付いたのは、彼女が電話で話しているのを聞いたからだ。いくつも連なる子音と相槌の抑揚が心地よかった。でも、周りにいる人は誰もそれに注意を払うことなく、それぞれのことに夢中だった。

心の襖を少しだけ開けておくことがコミュニケーションにおいては重要で、自身が魅力的であるための秘訣らしい。
ふむ、襖、ということはそう言った人の心の部屋は和室なのだろうか。

誰も話さない言語で話す彼女の部屋はどんな部屋なのだろう。
程よく整理整頓が行き届き、大きな観葉植物と色褪せた絨毯がその部屋では異彩を放っているとする。
少しだけ空いたドアをノックして、
「ごめん、少しだけいい?」
と、聞いてみた。野暮なことかもしれないが、何も言わずに入ることの方がデリカシーがないから。
窓の横にある背の低い本棚には単行本が20冊くらい並べられていて、僕はそのどの背表紙を読んでも、読めない。
せめて音だけでも分かれば話のきっかけになるのになぁと思う。

貧乏ゆすりで揺れるサンダルが時計の振り子のようにリズムを刻む。
気まぐれに行き交う車と好きなタイミングで吠え出した犬が後景化していく。

連絡を待つことに対して僕はポジティブだと思う。
決して精神の余裕が富んでいるわけはなく、また心の部屋も綺麗にしているわけではないけれど。

それは時間の無駄なのだろうか。
僕は何かを失っているのだろうか。

コツコツと階段を降りて、君の心の部屋の前に立った時、その扉が少しでも開いていてくれたらいいのに。

あるいは、もう待つことをやめてしまえる僕になれればいいのに。

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