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「Balatro」の感想

 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。
 また、視界が狭い人間なので、色々とご指摘いただければ幸いです。




前提

  • 数回クリアしたのみで、すべてのデッキ・難度で遊んだわけではない。

  • (違いがあるのかわからないが)PC版でプレイした。



感想

ローグライトデッキ構築+ポーカー役

 大きくカテゴライズすれば、「Slay the Spire」などで一大ジャンルとなったローグライトデッキ構築のゲームだ。

 そのデッキで何をやるのか(あるいは、その外側に何を用意するのか)というのか、もはや様々なパターンのゲームが生まれているが、誰もが一度は『かなりシンプルな構造でも成立するのではないか』と考えたことはあるだろう。それを体現しているのが、このゲームだ。

 ゲーム内で行うのは、ポーカーの役を成立させることだ。最もベーシックな初期デッキ(後々、色々と解放されていく)は一般的なトランプデッキ(ジョーカーなし)であり、ここから複数枚のカードをランダムに引く、その手札の中から、最大で5枚までのカードをプレイし、その役や数字の高さ、後述する特殊効果などでスコアが計算される。

 このスコアがステージのノルマ以上になれば、クリアとなる。

 逆に、規定の回数、カードをプレイしても、スコアに届かなければ、その時点でゲームオーバーだ。

 これがこのゲームにおける試合となっている。ローグライトの例にもれず、試合が終われば買い物をして、デッキなどを強化できる。

 これが低いノルマ・高いノルマ・ボスという3つの組になっているのを1ラウンドとして、8ラウンドクリアすれば、ゲームクリアだ(その後もエンドレスモードで遊ぶことはできる)。



ジョーカー+カード強化

 多くのゲームが『戦闘』のようなメカニクス(かつフレーバー)を実装しているのに対し、本作はポーカー役を作り、そのスコアを出すだけになっているし、各カードもかなりシンプルな効果だ。なんといっても、無強化であれば、各カードの情報は数字+スートしかないわけなのだから。

 ここにバリエーションを齎しているのは、ジョーカー(一般的に言えばレリック)だ(余談だが、正直、ジョーカーというフレーバーはかなり実体に即していないので、最初の躓きを与え、良くないと思っている)。これはゲームプレイに強化(まれに代償として弱化)を与えるものになっている。

 たとえば、フラッシュにバフをかけるとか、特定のスートにボーナスを与えるとか、そういうものから、所持金に対する金利を強化したり、売り買いに関するバフをかけたり、と様々だ。これらには、コモン・アンコモン・レアの設定がされていて、それに準じた登場比になっている(と思われる)。

 さらに、これらにはフォイル・ホロと呼ばれるような強化がかかっているバージョンがあり、それらはこの効果とはまた別にスコアを強化する。

 枠が決まっており、効果発動順も操作できるので、ここを如何に洗練したものにできるか、というのはスコアに密接に関わってくる。

 基本的には、ここがゲームの肝であり、このシナジーなどを楽しむゲームになっている。


 もちろん、トランプデッキそのものに対する強化も存在する。

 スートをワイルドにしたり、手札に持っているだけで効果を得られるようになったり、スコアを強化したり、というようなことができるし、圧縮や数字・スートの変更などもできる。ここは一般的なデッキ構築のそれとあまり変わらない。

 ただ、基本的には、デッキの枚数がかなり多いために、それらが実感できるのは、後半と言ってもよく、追加したカードをすぐに使えるような一般的なデッキ構築とは味が異なり、地道な改良を施していく感覚に近い。

 とはいえ、手札の一定数のカードを引き直す権利が毎試合もらえるので、そこで引き直したりすることによって、各カードの影響を増すことができるようになっている。これは、「ティーフェンタールの酒場」など、一部のデッキ構築のボードゲームでも実装されているメカニクスだ。


 ただ、基盤の構造がシンプルなので、効果の幅に限界があると感じる(もちろん、それは良さでもあり、本作の特徴でもあるのだが)。これは後述する「ソリティア」的に感じるという部分に影響していると思われる。



スコアの算出方法とインフレ

 おそらく、本作が爆発的にウケた理由の一つがこれである。

 本作では、チップ×倍率という形でスコアが決まる。

 役に応じて、基本的なチップや倍率が決まり、その役を成立するのに使用した数字などでチップが増え、ジョーカーなどで倍率が増え、という感じで最終的なスコアが算出される。

 つまり、スコアの基盤に乗算が存在するのだ。さらに言えば、倍率を乗算するような効果も存在するので、上手く組めば、まさに倍々ゲームの様相を呈することになる。

 スコアに積が存在するということは、その数値の上昇が同等の難度という前提に立てば、両者を上げていくことが重要なゲームというわけだ。1×9は9でしかないが、5×5は25だ。この特性によって、一応、両者をバランス良く上げていくのが良い、という数理が成立している。

 ただし、前述したように、本作では倍率を倍にするような計算も行われるため、実際の重要度の比率や、それらを上げるべきタイミングが異なるように感じられた。また、本編を(ノーマルモードで)クリアする程度ならば、想像しうる範囲でのインフレというレベルだが、エンドレスモードともなると、もはや、桁数だけの世界(実際、10eXという表記になる)になるレベルのインフレを引き起こすことになるようだ。

 「クッキークリッカー」がほぼそれでジャンルを切り開けたように、単純に数字がインフレしていく様子を見ているのは楽しい。グリッチ風の演出やポーカーという比較的日常的なゲームを壊しているという感覚も含め、一種の中毒性を演出しているのではないか、と考えている。

 逆に言えば、各試合内の細かいやり取りの積み重ねで結果が決まるようなゲームではない(もちろん、拡大再生産の過程による細かなテクニックはある)と言え、その大きな一発を決める、あるいはそれに準ずるのを数回成立させる、というようなゲームになっている。

 むしろ、ポーカー(の役作り)というのは、『戦闘』などのメカニクスに比べ、ゲーム的なデザイン・表現の幅が狭い中、一般的なローグライトデッキ構築に近い幅・リプレイ性・中毒性を出す、ということを考えるとこのようなアプローチが必須だったのだろう、と言える。

 この両輪があってこそ、本作が成功しているのではないか、と感じた。



面白さのジャンル

 ローグライトデッキ構築ゲームというより、「マインスイーパー」「ソリティア」などに近いプレイ感を抱いた、というプレイヤーの感想が散見された。これらについて考えてみたい。


 個人的に、本作は、ローグライトデッキ構築の面白さの一側面を切り取ったものだと思い、それに類するものだと感じられた。

 「Slay the Spire」などのゲームも、戦闘というメカニクスを採用し、こちらの体力や、相手の攻撃といったフレーバーはあるものの、事実上は、ガチャを引き続け、レリックやデッキを特定の形(コンボ)へと固めていき、各試合でもガチャを引き(最終的にはその必要はほとんどなくなるが)、法外のダメージ(スコア)を出す、という仕組みになっている。

 筆者自身は、これらの(ジャンルの)面白さの感受性が死んでいるので、想像による部分も大きいのだが、やり込んだライターによる下記の記事や、他のプレイヤーの感想などを聞いていると、やはり、この部分の面白さが支配的であることが多いと感じる。

 また、上述したようなインフレから、「クッキークリッカー」のような、自身の操作(であると感じられるもの)によって、数値がバグったようなインフレをしていく面白さ、という部分があり、それも影響としては強いと感じている。

 逆に言えば、それゆえに、細かなゲームプレイによって、細かい利益を出すようなやり取りの面白さは縮小していると言ってもよいかもしれない。


 一方で、戦闘と言う形式を廃することによって、「ソリティア」に近い印象が強まっていることも間違いない。

 やはり、相手が自身を害そうとしている、という戦闘のフレーバーが与える影響は大きく、それが事実的には、スコアやリソースのやり取りであっても、表層的な印象が異なり、プレイ感にも影響を与えていると思われる。

 本作では、各ステージは基本的にノルマしか存在せず、ボスも特定のペナルティを与えるだけ、という形で表現されている。

 ゲーム数理的な役割としては、かなり近いものだとしても、たとえば、悪魔や恐竜がそれに類する能力を持って、こちらを苦しめるというフレーバー(やメカニクス)ではなく、一定のペナルティを与えるだけ、という形になってしまうと、印象はかなり異なるものになり、そこでゲームオーバーになった際の感覚も異なるのだろう。

 その部分を切り取ってみれば、その様に捉えられるのは自然だ。



シード値による再現性

 個人的に興味深いと感じたのは、シードの実装だ。

 シードを使用してプレイすることにより、ランダム性を廃してプレイすることが可能になっているのだ(ゲーム内の処理は厳密にはわからないので、おそらくという言い方にはなるし、機能を誤解しているかもしれない。その場合は、このような機能が実装されていたら、という意味です……)。

 そもそも、シナジーが爆発してコンボになるようなローグライトデッキ構築ゲームでは、序盤のランダム性がゲーム全体にかなり強い影響を与えているのは構造的に明らかだ。このようなゲームのシードを入力できるようにすることで、ゲームにどのような機能を与えているだろうか?


 第一には、やり直しができる、ということだ。

 一度でもスコアを超えられないとゲームオーバーになるという仕様上、どうしても、うっかりミスのようなものも存在する。トランプというのは視認が悪い(たとえば、スペードとクラブのような間違いやすい絵柄も伝統的だから許容されてしまっている)ので、そのようなミスが誘発されやすい。もちろん、単純に実力不足で失敗することもあるだろう。

 そのようなラン(ゲーム試行)に対して、やり直しを行うことができる。ゲーム的にそれに意味があるか、というよりは、納得感のような形でプレイヤーの感情に寄り添うことができるかもしれない。


 第二には、試行を共有することができる、ということだ。

 上述したように、ゲーム構造的にどうしても、一人遊びの側面が強くなる。その際に、人々と試行を共有することによって、事実的にはマルチソリティアのような遊び方ができるようになる。

 都合の良いシードがあるのであれば、それを共有して、その爆発を楽しむのもよいし、その逆をクリアできるのか、という遊びもできる。

 そうでなくても、シードを共有して、たとえば、複数人で競ったり、自身が失敗したシードでクリアを目指してもらうというような遊びもあるだろう(配信などをしてもよいし、時間を同期する必要もない)。


 シンプルな構造のゲームではあるが、ゲームをシンプルにまとめるのは、往々にして技量が必要だ。シードの実装にしても、様々な遊びを許容できるように実装されており、これだけ流行るのも納得できる出来だと感じた。

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