見出し画像

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」の感想

 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。
 また、視界が狭い人間なので、色々とご指摘いただければ幸いです。



前提

  • 真エンディング(?)は見たが、各種(祠・コログなど)のコンプリートは行っていない。

  • 「ゼルダの伝説」シリーズは、半数以上の割合でクリア済み。

  • ゲーム内容や、ゲーム処理をすべて把握できるわけではないので、推測をしている部分も多い。

  • シナリオのネタバレはしていないが、何の情報も目にしたくないのであれば、読まないことを推奨する。



感想

ブレワイを基盤としたサンドボックス要素の追加

 前作「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」から引き続き、探索がゲームの主軸になっているオープンエアーと称するゲームだ。

 ワールドマップは基本的に引き継いだまま、空中と地下というレイヤーを増やすことで、マップサイズを事実上大きくし、所々で変化を加えることで、次回作としての立ち位置を成立させている。

 最も前作と差異が大きい箇所としては、ウルトラハンドという能力を主軸としたサンドボックス的な要素の導入が挙げられる。

 前作におけるマグネキャッチに近いような挙動で、一部の部材を持ち上げることができるのだが、それら同士を接着し、組み上げることができる。それらは、たとえば、火を噴く、風を起こす、タイヤになっている、といった要素を持っており、組み上げることにより、多彩な機構をつくることができる。これを探索や戦闘に用いたり、祠の謎解きに使用できるのだ。

 オープンワールドのフィールドを探索し、祠を見つけ、その中で謎を解くというような基本的なゲームサイクルは変動していないものの、このサンドボックス的な要素はゲーム全体に影響を及ぼしており、本作を前作とは異なるプレイ感に仕上げていると感じている。

 本記事ではこれらの影響を含む前作との差異について考えていきたい。



サンドボックス的な要素と、狭義のゲーム

 まず、先ほどからサンドボックス的な要素という言葉が出ているが、本稿におけるサンドボックス、というものは何か、という話をしておきたい。

 ここでは、サンドボックスゲームというのは、近年提唱されるようになったゲームジャンルで、明確なゴールがなく、プレイヤーが自らの創造性を発揮できるような遊びを主軸としたゲームだ、とする。

 所論はあるだろうが、個人的にはこのような形態(の部分)に関しては、狭義のゲームではない、と考えている。

 念のために追記しておくが、それらのゲームがゲームでないとか、面白くないとか、そういった意味ではなく、ゲームという単語があらゆる意味で使用されており、狭義のゲーム(たとえば、ゲーム性という言葉におけるゲームの意味)には該当しないのではないか、という話をしている。

 狭義のゲームにおいては、何かしらの優劣性を持つ出力が存在する必要がある、と考えており、サンドボックス要素そのものには、そういったものが含まれないことが多い。つまり、たとえば、勝利点が1点とか2点とか、勝つとか負けるとか、そういうものが定まるのが狭義のゲームであり、緑の家をつくったとか、赤いフライパンを選んだとか、そういうもの自体は優劣性が生まれないため、狭義のゲームではない、と考えている。どちらかというと、ゲームというより、創造性のためのツールであったり、何らかのシミュレーションという方が近いのではないだろうか。

 翻って、本作のウルトラハンド関連の要素について考えてみると、サンドボックス的な要素ではあるものの、狭義のゲームに寄せている部分と、まさにサンドボックスに寄せている部分とが混在することがわかるだろう。

 たとえば、祠の中に関しては、自身でウルトラハンドの対象物を追加することはできず、明確なゴール(祠のクリアや宝箱など)が存在する。それを達成するために、ウルトラハンドなどを用いるわけだ。回答の手段が様々に用意されてはいるが、これは従来のパズルに近い性質を持っていると考えられる。

 一方、たとえば、ネットに挙げるためのネタ兵器を作成しよう、ということになれば、それはサンドボックス的な遊びとなる。(横道にそれるが、このようなサンドボックス的な要素はSNSと相性が良く、本作が人気を得ている理由の一つでもあるだろう)

 もちろん、フィールド上でも、川の向こう側に行きたいとか、拠点にいるモンスターを倒したいとか、そういう目的を持って、それだけのためにウルトラハンドを用いれば、よりゲーム的な使い方になる。

 つまり、本作において、ウルトラハンドを主軸としたサンドボックス的な要素は、このようなパズルからサンドボックスまでの広い範囲を、グラデーション的に網羅しているゲーム的なツールであると言え、その用途によって役割が変化する、というものであると言える。



クリアに対する閾値

 このような、パズルにもサンドボックスにも使用するウルトラハンドではあるが、個人的にはあまり面白さを感じる瞬間がなかった。

 これを読み解くためには、まず、筆者の特性を考える必要があるので、簡単に紹介しておくと、筆者はサンドボックスゲームがかなり苦手である。というのも、欲求が希薄な人間であり、自由に何かを創れ、と言われても、創りたいものが何もない、となってしまう人間だからだ。

 筆者がゲームを好む理由の一つに、明確な出力が存在する、というものがある。そして、それは優劣性を持っていて欲しいとも思う。創造性がないので、創造性を発揮するサンドボックスは苦手なのだ。何をしていいのかわからず、単に時間を無為に過ごしてしまうだけになりがちだ。

 そんな筆者が本作をやったせいなのは明らかなのだが、ウルトラハンドは目の前の課題を淡々とこなすためにだけ使用されることになった。

 目の前のコログを友達の元へ送ったり、障害となる謎を解いたり、面倒な場所を飛ばすための乗り物をつくったり、ということがメインで、創造性を発揮させるような使い方はしなかった。

 ここで問題になるのは、本作において、ただ課題をクリアするだけならば、ウルトラハンドは万能すぎ、簡単すぎる、というのが挙げられるのではないか、と思っている。

 詳細は後述するが、本作における祠の難度は低く、容易にクリアできてしまったと感じている。前作では、いくつかの祠ですぐに解決策が思いつかないなどの理由で放置したものがあったが、本作では一度も躓かずにすべての祠をクリアすることができてしまった。(もちろん、すべてをクリアしたわけではないので、難しいものもあるとは思う。ただ、その割合が低くなっているのではないか、と感じた。感じただけだが)

 多くの祠はウルトラハンドを使用するだけでクリアができてしまい、カプセルが使えない関係上、目の前にある要素を単に組み上げるだけで祠がクリアできてしまう。そうでなくても、自由度が高い他の能力なども組み合わせ、強引にクリアできる。パズルとしての強度が欠けている。

 もちろん、任天堂のゲームは多くの人々が遊ぶために、あまり難度を高くできないだろうし、祠の役割が謎解きというより、ウルトラハンドの使い方のチュートリアルの側面が強い、ということもあるだろう。

 しかしながら、このようなパズルとしてウルトラハンドを使用する場面でそれが簡単すぎると、あまり面白いと感じられなかった。

 また、フィールドで使う場面でも、あまり面白いとは感じられない。

 看板の固定やコログの移動、自身の移動や戦闘などがウルトラハンドのコンテンツとなるのだと思うが、全体的に報酬が薄く、ごり押しが効きすぎてしまう。一方で、ゾナウ文明のパーツは、使用するのにそれなりのコストがかかるので、簡単に済ましてしまったり、それを使用せずに済む方法を考えてしまう。

 もちろん、創造性を発揮しようとすれば、その可能性は無限大に等しい。様々な手法が取れるだろう。

 ただ、筆者のようなつまらない人間が、単に目の前の課題をクリアしようとした時に、狭義のゲーム的な面白さが感じにくい実装になっていると考えている。課題をクリアするための閾値が低すぎるのだ。

 現実世界でも、レゴ(ブロック)は、このウルトラハンドの要素に近いものがあると思うが、簡単な課題を与えられても飽きてしまうだろう。自動でサッカーをするロボをレゴでつくる、というような課題があれば、面白く感じる。そういうことに近いと思っている。

 たとえば、上位の祠のようなものが存在し、自分で組み上げた戦車を敵がいる場所に置くことができ、それが自動で敵を全滅させなければならない、といったような内容があるのであれば、筆者のような人間にとってもウルトラハンドは面白いものになったのかもしれない。現状では、目の前に用意されたものをくっつけ、課題をクリアするだけのものになってしまっている。



各能力に対する考察

 ここで、ウルトラハンド以外の能力についても考えておきたい。これらの能力が前作と丸々異なることで、本作の続編としての面白さが格段に上がっていると感じる。


 勝手な想像を含むのだが、本作が前作のマップを引き継ぐ、となった時、空中や地下というレイヤーを用意してボリュームアップを図る、ということが早めに決定したのではないか、と考えている。そうなると、トーレルーフの能力も早めに決定したのではないか。

 前作の記事にも書いているが、前作では上から下へは容易だが、下から上へは困難である、という一方性が重要であった。トーレルーフはそれを一部であるが、破ることができ、上下のレイヤーの追加に適した能力である。

 トーレルーフの条件はきつく、プログラム的に炙り出すことも比較的しやすいと考えられる。そうすれば、デザイン側でコントロールすることは容易だ。その一方で、前作では難しかった下から上という移動を、瞬時に成し遂げる能力は耳目を惹くし、プレイヤーに自由度を感じさせることができる。たとえ、それが錯覚だとしても、主観的にそう思わせることが大事だ。


 スクラビルドは、ウルトラハンドからの発展の要素だろう。

 前作でネガティブに捉えられることが多かった『武器・盾が破損する』、『敵を倒すメリットがない』という問題を同時に(部分的に)解決するものであり、宮本茂マインドを感じさせる。

 道具との組み合わせによって、様々な用途ができ、盾サーフィンのような従来のアクションとの組み合わせも面白い。

 ただ、前述したような特性を持つ筆者にとっては、結局は、風・火・氷・電気を作成するための武器と、ただ強い武器を持っておくだけの要素に近くなってしまった、という結果になった。また、様々な事情があるのだろうがメニュー上でスクラビルドが出来ない、といった不親切さも存在する。


 モドレコこそ、個人的には本作の素晴らしい能力であると考えている。これはサンドボックス的な要素とも、上下レイヤーの移動とも相性が良い。

 ウルトラハンドでつくったものが失敗して遠くに飛んでしまった、というような時に、これで手元に戻すことができるし、落ちたものを戻して上へと向かう道にすることができる。

 如何せん、万能すぎる(上手く使うと一部の祠が簡単にクリアできる)きらいはあるが、本作で導入された各要素を上手く接合している能力の一つである、と筆者は感じた。時に関連する能力でもあるため、シナリオ・演出的な使い方もできる、という点でも、本作に相応しい。


 ブループリントはウルトラハンドの発展系で、面倒な部分を上手く補ってくれる。逆に、これのせいで、よりウルトラハンドを創造的に使用するのが面倒になった気もしないでもないが、そういう人のための能力であるので、むしろ、有難いと思うべきなのかもしれない。



祠の均一化

 上記のように、ウルトラハンド以外にも様々な能力は実装されているのだが、しかし、それにしては祠が単純であったように感じられたのは、作者だけだっただろうか?

 前述のように、本作における祠は、ウルトラハンドのチュートリアルに近い側面がある。このような使い方ができる、ということを丁寧に教えてくれるし、それはすぐ近くの場所で有効に使えるようになっていることも多い。

 しかし、それが逆に作業にように感じられないだろうか。

 大抵、基本的なことを教えられ、それを実際に行って祠をクリアし、その近くでそれを発揮する、というループになっており、そこには発見の喜びのようなものはなく、淡々と目の前の課題をこなす、という形に感じられてしまったのが、正直なところだ。

 前作では、能力にそこまで統一性があったわけでもなく、様々な手法を用いる必要性があった。祠の内容も、WiiUで発売するつもりだった頃の名残のような要素(たとえば、パッドを傾けてゴルフをする、など)もあり、バリエーションに飛んでいたように感じられた。

 本作においては、大抵はウルトラハンドでくっつけるだけであり、あるいは裸一貫で敵を倒していく(と言っても、最初の敵を『ウルトラハンド』などで倒し、その武器で次の敵を倒していくだけのことも多い)という内容であるように感じられ、どれも似たように感じられてしまった。

 前作・本作ともに、フィールドを探索して、祠をクリアして、という短い報酬系のループが基本になっている。本作は、すでに前作をプレイした後、ということもあるだろうが、上記のような祠の均一性も相まって、飽きが明らかに早く感じられた。これは筆者が重度の飽き性のせいでもあるだろう。

 このように、祠もフィールド(のコンテンツ)も、良くも悪くもウルトラハンドに支配されているように感じる、というのが筆者の感想であり、その画一さが、より飽きやすさに繋がったと考えている。



地下世界と空中世界における感想

 地下世界と空中世界の感想も簡単にまとめる。


 地下世界が暗闇に支配されているのは、地上世界の亜種としては面白く感じられたが、探索とはあまり相性が良くない、と感じられた。そもそも、コンテンツがあまりないと感じられ、基本的に根の元へと行って、視界を広げたい、あるいは、クエストを進めたい、という気持ちにさせられ、あまり興味をそそられることがなかった。

 ポウのように資源でもあり、誘導でもあるというデザインは流石だが、それ以上に暗闇におけるストレスや、報酬の感じられなさが上回ったような印象で、早く終わらせたい、という気持ちに拍車がかかったように思う。


 空中世界も、その周辺の島々を含めた小型のダンジョン(あるいは大型・複数の祠)という捉え方をしてしまった。

 空中であること自体にゲーム的な面白さがあまりないので、風景は綺麗ではあるものの、それぐらいしか差はないように感じられた。地上と空中がシームレスであることの美しさはあるが、それがゲーム性に寄与しているわけではないので、単独性の高い場所でしかない。


 地下では視界が狭く、空中では島という区切りが強い、という特徴から地上にあるような小さな発見と、それによる割込みの面白さ、探索の面白さはあまり感じられなかった。しかしながら、地上とは異なるスタイルによって気持ちの変化を感じられた。



地上の探索における変化

 前作と本作では地上における探索における変化も感じられる。

 最も大きいのは、下から上へという手段が登攀以外にも確保され、それらが総じて容易な手段である、ということだ。

 トーレルーフが使えるのなら、それこそ、ほとんど手間はないし、そうでなくとも近くの空中の祠から飛行機で飛んでいくこともできる。ロケットを盾にスクラビルドしてもよい。

 前作も上昇気流やリーバルトルネードのような手段はあったが、さらに容易になっていることは間違いないだろう。

 その結果、下に降りることに対しても障壁がほとんどなくなり、前作にあったような逡巡や計画を立てる瞬間というのが少なくなった。

 快適になったと言えばそうなのだが、ゲーム的な選択を迫られている感覚も弱くなり、単に作業をこなしていくという気持ちが強くなってしまった。



二重の体力性

 本作では、ガノンドロフの呪い(?)が最大体力を削るような実装をされているが、これは本作における大きく気に入った要素の一つだ。

 前作と共通の課題として、料理という要素が強く、ゲーム的な駆け引きを発生させにくい、という問題があった。本作では敵が強くなっている(錯覚でなければ……)というのに加え、呪いによって体力の最大値を削ることで回復が容易ではなくなっている(もちろん、これも回復できるが、制限が強まっている)という手法を取り入れている。

 また、体力が低い時に、この呪いを受けても最大値が減るだけだが、高い時には両者が削られてしまう、というシンプルながらに、考えどころが発生する要素になっており、面白く感じられた。

 この要素(あるいはそれに近いもの)は、演出にも上手く取り入れられており、本作の中でもかなり良いデザインであると筆者は考えている。



ゼルダの伝説というIPを利用したシナリオと演出

 本作において、最も評価しており、気に入っている部分はここだ。本作はウルトラハンドがどうこう、というより、シナリオと演出が抜群に良い。むしろ、ここが良すぎるせいで、さっさとメインを進める動機になってしまい、ウルトラハンドで創造性を発揮するような遊びをしなかった理由の一つになっているとすら感じられる。

 個人的な話が多くなってしまい申し訳ないが、筆者が最初に遊んだゼルダの伝説シリーズは「ゼルダの伝説 時のオカリナ」であり、本作には(直接的ではないが)その要素が強く反映されている。

 だからこそ、どうしても良く感じられるし、そうでなくとも、端々に各ゼルダの伝説シリーズの引用が感じられ、深みを覚える。この、ちょっとした演出や言葉などでも、深みを出すことができる、というのは長く続いているIPを使えるからこその特権であり、それを生かしているように感じられた。

 ひねった物語などではないが、細かな表情や間などの演出もよく、ゲームならではのテンションの上がる演出も盛りだくさんだ。

 手というテーマもしっかりと前面に打ち出されており、エンディングではゼルダの伝説シリーズの中でも上位に入るような感動を味わえた。

 総じて、本作で最も面白いと感じたのはこの部分だ。


 本作は、あるジャンルにおける最高のゲームというような評価もすでにされているとは思うが、実際としてはウルトラハンドを導入したことによる影響が大きく、それなりに人を選ぶようなゲームであり、単純に前作よりも優れたゲームである、とは言えないと感じた。

 しかしながら、完成度の高い前作からさらに新しい要素を加えて、圧倒的な自由度・ボリュームとなった本作をこの完成度で仕上げてくる任天堂(とその協力会社)の企業理念や、それを許容できる企業体力の圧倒的な力には脱帽するしかない。

 ゼルダの伝説シリーズは、ゲーム史に残るようなゲームを次々と発表している奇跡のようなシリーズの一つであり、次回作にも期待したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?