見出し画像

先生、言葉って葉っぱ?

塾の生徒に訊かれた👧
先生、言葉って葉っぱなの?

いや。【言葉】の語源は【言の端】である。らしい。よくわからない。【葉】でも【端】でも、中心でないことは共通する🍀

では、何が中心なのだろう。

木に喩えるなら、幹や根っこに当たるもの。端であれば、真ん中にあるものは何か。

 ⭐ ⭐ ⭐

人の想いかもしれない。

想いは目に見えない。
言葉に表して形を取るわけだ。

 ⭐ ⭐ ⭐

私が30年ほど学んできた道術に【行いの前に想いあり。想いの前に意識あり】という教えがある。道術は意識の使い方を修める。

といっても、小難しいことは何もない。

 ⭐ ⭐ ⭐

例えば、誰かに何かを伝えたいとする。

まず、相手が目の前にいるつもりで、制限を掛けずに言う。言葉が粗くなっていい。残らず、ぶちまけてしまうのだ👹

だんだん、言葉が尽くされて、出なくなる。想いは残る。その想いを味わってみる。次第に想いも薄らいでくるだろう。

そこで、自分の中心を意識する。
背骨の最下端。腰の真ん中だ。

 ⭐ ⭐ ⭐

何も言わず思わず考えず。ただ中心を意識するだけ。ブラックホールのようなもの。意識の回路を通じて相手に伝わっていく。

それから対面する💗

不思議なことだが、既に伝わっているような対話となる。あるいは、何もしないのに相手の行動が変わったりする。是非お試しを👍

 ⭐ ⭐ ⭐

さて(*⌒▽⌒*)

断るまでもないが、これは私の個人的なイチオシである。客観的な基準などない。なんとなく気に入ったからスッと選ぶのである。

高尚な文学的根拠もなければ、確たる評論基盤もない。読み合って、コメントのやり取りあり、愉快に交流している内輪のご挨拶だ🌿

 ⭐ ⭐ ⭐

鹿子さんの、とあるコメントに、度肝を抜かれたことがある。凍りついてしまった😱

「私、フジミドリ先生を審査員に据えて、文学賞をやろうかと目論んでいるのです」

とんでもないことを考える人だ。しかし、言葉の力は怖ろしい。実現するかもしれない。ならば、さっさと自分で済ませてしまおう💦

というわけで【フジミドリ文学大賞】を突然開催することにした。還暦を過ぎてボケつつある頭なのだ。少し大目に見てほしい👴

彼女には【ミステリアス文学大賞】をお贈りする。鹿子さんの作品は、どれをとっても謎と危険を孕んでいるからだ🐯

 ⭐ ⭐ ⭐

りりさんには【ロマンス文学大賞】をお贈りしよう。官能表現がかなり踏み込んでいるので有料になってしまう💖

描写も丁寧だが、構成の妙に感心した。その旨お伝えしたら「チャネリングですから」とお答え頂いた。なるほど。それならね👼

 ⭐ ⭐ ⭐

タイさんの物語は、シンプルだからこそ根底を流れる【想い】が強く伝わってくる。この【想い】はなんだろう。考えてしまう🐱

【メルヘン文学大賞】をお贈りさせて頂く。

 ⭐ ⭐ ⭐

まさるさんの作品は多岐に渡り、選び切れない。どれをとっても一級品の物語。個人的には自伝的な作風も捨てがたい。

しかし「私小説の系譜に連なる傑作です」「ただのエッセイですってば」というやり取りがあって、まだ決着はついてなかった💦

もし、この作品をお読みでない方がいらっしゃるといけない。【ハートフル文学大賞】をお贈りしよう🌱

 ⭐ ⭐ ⭐

最後はマスター【ハイパースピリチュアル文学大賞】をお贈りする。彼のユーモアとギャグに騙されてはいけない👽

地球人が、なんとか受け入れられるよう工夫を凝らしているだけ。常識を超えたものは、なかなか受け入れられないから。

 ⭐ ⭐ ⭐

実は私も躊躇うことが多かった。

先日、イラスト担当の揺さんと「これやっぱ書けないよね」「有料でうっすら書くしかあらへん」などとお喋りしていた🎶

すると、見ていたかのようなタイミングで、マスターから「そろそろ腹を括っては?」とメッセージが届いたのだ。畏るべし💦

やはり、時代は大きく動いている。真っただ中にある私たちは見えていないのだ。後になって、ようやくわかるのかもしれない💦

ではまた♡



この記事が参加している募集

習慣にしていること

ありがとうございます│頂いたお金は巡りめぐってあなたの元へ還っていくでしょう│何倍にもなって☆