saka-ki- (理力とともに)

宗教団体の政治活動は構成員の政治活動の自由が担保されていない場合には否定されるべき。構…

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宗教団体の政治活動は構成員の政治活動の自由が担保されていない場合には否定されるべき。構成員個人の政治活動・表現行為・信教の自由を侵害する宗教団体は解散すべき。

最近の記事

富田茂之元衆議院議員の旭日大綬章受章についての公明党の対応について

 富田 茂之(昭和28年生、70歳)千葉県銚子市出身、創価高校2期、一橋大卒、弁護士、平成5年公明党公認で衆議院議員当選(旧千葉4区、森田景一の後継)、平成8年衆院2期(新進党比例南関東)、平成12年衆院選落選(公明党、現行小選挙区千葉2区、当選は永田寿康)、平成15年(2003)衆院3期(公明党比例南関東)、平成17年(2005)衆院4期、平成21年(2009)衆院5期(民主党政権)、平成24年(2012)衆院6期(自公政権)、平成26年(2014)衆院7期、平成29年(2

    • 公明党を創った百人

      はじめに  54人の文化部員を調べて、昭和30年4月に創価学会の推薦を受けて統一地方選に立候補した人たちを一応noteの記事にまとめ、一息はついたものの、それで終わりにはできなかった。それどころか彼らのその後も文化部=創価学会の政治進出のその後も気になって仕方がない。その次の選挙、次の展開、特に公明党になるまでの足跡は現在では歴史の中に埋もれてしまっているように感じ、引き続き調べずにはおれなかった。調べていくうちに都議会議員と参議院議員は人数もそれほど多くなく、選挙結果を2

      • 公明党議員の叙勲について

        例)叙勲の種類 氏名 叙勲を受けた年 議会、期数 勲一等旭日大綬章 白木 義一郎 平成元年(1989)参院5期 竹入 義勝 平成8年(1996)文京区議1期、東京都議1期、衆院8期 旭日大綬章 矢野 絢也 平成22年(2010)大阪府議1期、衆院9期 勲二等旭日重光章 北条 雋八 昭和40年(1965)貴族院議員、参院2期 宮崎 正義 昭和58年(1983)横須賀市議2期、参院3期 山田 太郎 昭和63年(1988)岡山市議1期、衆院6期 岡本 富夫 平成4年(1992)

        • 創共協定または共創協定について    -やがてかなしき鵜舟哉ー

          はじめに 池田大作氏と竹入義勝氏の逝去  2023年11月15日に創価学会名誉会長池田大作氏が、12月23日に元公明党委員長竹入義勝氏が逝去されました。2023年12月28日は創共協定または共創協定の締結された1974年12月28日から49年が経過し、来年、2024年は協定締結から50年を迎えます。創価学会・公明党は当時と比べれば時代に逆行するかのように内向き、組織活動と選挙の支援活動のますますの一体化、与党慣れが進み、不祥事も自民や維新と比べればまだましな方、同じ穴のムジ

        富田茂之元衆議院議員の旭日大綬章受章についての公明党の対応について

          創価学会の三宝論の変遷について

          教学の基礎 昭和63年 仏宝ー日蓮大聖人 法宝ー本門戒壇の大御本尊 僧宝ー日興上人(118頁) 教学の基礎 仏法理解のために 2002年(平成14年) 仏宝ー日蓮大聖人 法宝ー南無妙法蓮華経の御本尊 僧宝ー日興上人 広い意味では創価学会(134-137頁) 教学入門 2015年(平成27年) 仏宝ー日蓮大聖人 法宝ー南無妙法蓮華経の御本尊 僧宝ー日興上人 広い意味では創価学会(272-274頁)  昭和63年の教学の基礎は第二次宗門問題が起こる前。2

          創価学会の三宝論の変遷について

          54人の文化部員 -創価学会から昭和30年4月の統一地方選に挑んだ人達-

           創価学会が文化部を設置して政治に進出した昭和30年4月の統一地方選挙について言及している文献は数多くある。政治進出の目的や背景、宗教的意味、宗教団体が政治に関わることの是非、功罪などについても様々に検討されているし、これからも論じていくべきことなのだろうと筆者も考えている。ただ、その論じ方は昭和30年4月の統一地方選挙からすぐに翌昭和31年の参議院議員選挙、公明政治連盟および公明党の結成、昭和42年の衆議院への進出へというように国政進出の方向に重点が移ってしまい、昭和30年

          54人の文化部員 -創価学会から昭和30年4月の統一地方選に挑んだ人達-

          昭和34年の統一地方選と結果、創価学会刊行書籍の不精確さ

           54人の文化部員の経歴を調べていく中で、昭和34年4月の統一地方選挙の結果について確認した点についても記しておこうと思う。 昭和34年4月統一地方選 道県議会選挙 4名立候補、3名当選 宮城県議会 (仙台市) 渋谷政蔵 神奈川県議会(川崎市) 鈴木一弘 福岡県議会 (福岡市、早良郡) 鬼木勝利 北海道議会 (函館市) 能条康尊 定数五‐8位 落選 昭和34年4月 東京都議会議員選挙 11名立候補、3名当選 大田区 松尾喜八郎 板橋区 宮沢良雄 品川区 竜年光

          昭和34年の統一地方選と結果、創価学会刊行書籍の不精確さ

          五期目の自己批判 あの日の秋谷栄之助 あるいは本部幹部会の回数リセットについて

           平成18年(2006)3月に行われた第58回本部幹部会(注1)の会長指導より一部を引用した。筆者はこの日の紙面、秋谷栄之助会長(当時)のスピーチを保存していた。その当時としてもかなり強い違和感を覚えたからだ。一読して異様な印象を持った。25年も会長を務めてなお、再任を前にしてここまで自らを卑下しなければならないのかと。秋谷氏は池田氏より長く会長を務めてさえいる(秋谷氏25年、昭和56年から任期5年を5期、6期目再任直後に辞任。池田氏19年、昭和35年から任期2年を1期、昭和

          五期目の自己批判 あの日の秋谷栄之助 あるいは本部幹部会の回数リセットについて

          創価学会本部総会開催日をたどる

          創価学会本部総会の開催日 創価学会本部総会の開催日を以下に記す。  第1回 昭和21年11月17日 牧口常三郎の3回忌と併せて           第2回 昭和22年10月19日                      第3回 昭和23年10月17日                      第4回 昭和24年10月23日                      第5回 昭和25年11月12日 牧口の7回忌と併せて 理事長、戸田から矢島に  昭和26年5月3日 戸田

          創価学会本部総会開催日をたどる

          「21人」の戦後

           このnoteは、「戦前の創価教育学会の大量検挙、いわゆる『21人』の検挙者について」の最後に、「戦後の検挙者の動向につき、書き足しておきたいと思っていることがある」と書いた、その、書き足しておきたいことです。当初は、上記の記事をあげてその勢いですぐまとめられると思っていました。しかし、いざ手を付けてみるとわからないことが多く、史資料も何を探せばよいのかすらわからず、気が付けば2年半をゆうに過ぎていました。昨年(2021年)、創価教育学会の理事、副理事長を務めていた野島辰次氏

          会長就任挨拶のウソ

           池田大作氏の創価学会第三代会長就任挨拶で戸田第二代会長の遺訓として、「昭和三十三年二月の十日、その朝に、『あと七年間で三百万世帯の折伏をしような』とおおせになられたことが、私の頭脳にこびりついております。」(会長講演集1巻2頁)とあるのだが、氏の若き日の日記では、その日は夜行列車で大阪から東京へ帰京した日で、戸田に会ったとの記述はない。   二月十日(月) 曇後にわか雨                     朝、九時二十三分—東京着。                  

          会長就任挨拶のウソ

          創共協定あるいは共創協定について  参考文献と追記

          参考文献松本清張 「『仲介』者の立場について」東京新聞 1975年8月9日 「松本清張 社会評論集」所収 講談社文庫 昭和54年(1979)10月15日 第1刷発行   松本清張 「『創共協定』経過メモ」文藝春秋 昭和55年(1980)1月号  松本清張「作家の手帖」所収  文藝春秋 1981年3月25日 第1刷 「宗教問題についての日本共産党の見解と態度」 日本共産党中央委員会出版局 1976年9月6日 初刷                      山下文男 「

          創共協定あるいは共創協定について  参考文献と追記

          創共協定または共創協定について(Q)やがてかなしき鵜舟哉

          協定の締結が昭和49年12月28日、社会に公表したのが翌昭和50年7月27日。協定の締結から公表まで「半年以上の間」があいたことをどちらかの「政局」ゆえの事情と松本清張氏は説明した。協定を結んだ事実につき共産党は早く公表をと、対して創価学会は公表を渋る。共産党との交渉を内密にしていた手前、公明党との調整に時間が必要だったことと、昭和50年4月の地方選挙を混乱なく終えるため、この時点では共産党と協定を結んだことを末端会員に知らせたくなかった事情、すなわち創価学会側の事情が松本清

          創共協定または共創協定について(Q)やがてかなしき鵜舟哉

          創共協定または共創協定について (破)② 協定締結まで

          交渉の経緯 昭和49年10月20日~12月28日・29日          1974年(昭和49年)第一次オイル・ショックの真っただ中 野崎・志村両氏は交渉当初の強気で楽観的な姿勢から徐々に悲愴感を帯びていく。二人とも池田会長の求心力・指導力を過信、交渉を楽観視し、公明党や池田会長以外の創価学会執行部の反対を予想していなかったようだ。たとえば松本清張氏に共産党との対談につき公明党を説得できるかと懸念を示されても、志村「・・・公明党のほうはなんとかなる」と。また先輩だらけの公

          創共協定または共創協定について (破)② 協定締結まで

          創共協定または共創協定について (破)① 交渉前夜

           昭和43年(1968年)に文藝春秋誌で松本清張氏と池田大作創価学会会長(当時)が対談。以来、何度か対面する機会があり、宮本顕治共産党委員長とも知己だった松本氏が機会があれば宮本委員長といちど懇談してみてはと池田会長に勧めたと。他、対談に至る経緯を含め、事の顛末は、松本清張「『仲介』者の立場について」東京新聞 昭和50年(1975年)8月9日 のち 松本清張 「松本清張社会評論集」所収 講談社文庫(昭和54年 1979年)、「『創共協定』経過メモ」松本清張「作家の手帖」所収 

          創共協定または共創協定について (破)① 交渉前夜

          創共協定または共創協定について(序)

          まず、昭和49年(1974年)12月28日に日本共産党と創価学会との間で結ばれた「創価学会と日本共産党との合意についての協定」の全文と、翌年(1975年)7月27日、協定が発表された際に付された双方同文の「経過について」という文書を引用する。(山下文男 「共・創会談記」1980年6月15日初版発行 新日本出版社 巻末資料 222‐224頁)山下文男氏は協定の共産党側の当事者の一人。創価学会側で協定の全文を引ける資料をご存知の方がいればぜひ教えていただきたい。(注) 創価学

          創共協定または共創協定について(序)