54人の文化部員 -創価学会から昭和30年4月の統一地方選に挑んだ人達-

 創価学会が文化部を設置して政治に進出した昭和30年4月の統一地方選挙について言及している文献は数多くある。政治進出の目的や背景、宗教的意味、宗教団体が政治に関わることの是非、功罪などについても様々に検討されているし、これからも論じていくべきことなのだろうと筆者も考えている。ただ、その論じ方は昭和30年4月の統一地方選挙からすぐに翌昭和31年の参議院議員選挙、公明政治連盟および公明党の結成、昭和42年の衆議院への進出へというように国政進出の方向に重点が移ってしまい、昭和30年4月の統一地方選挙については54人中53人が当選というように数字のみの紹介か、せいぜい小泉隆が都議に、森田悌二が横浜市議に当選したことにふれるくらいで、54人の文化部員のひとりひとりについてその経歴等を記した文献に接することはなかった。このことは筆者も同じで、以前noteに「国政選挙進出当時の創価学会の選挙戦」という文章をまとめたことがあるのだけれど、文章を読み直してやはり自分の関心も国政選挙にすぐ移ってしまったのだとあらためて思い返した。筆者は、この時期の創価学会についてあれこれと調べていくうちに、なぜ戸田城聖が組織的に候補者を立てて政治の世界に出ていこうとしたのか、そして、戸田が候補者として文化部員に任命したのはどのような人々だったのかについて関心を持つようになった。けれども54人の詳細を記した文献は見当たらないし、名前が掲載されているであろう聖教新聞縮刷版は入手困難で、たまに出品されていても人の足元をみた高価格でとても購入する気にならない。そこで、54人の文化部員がどのような人々だったのかについて自分で調べてみることにした。
 しかし、本来、創価学会・公明党には自らがはじめて政治に進出した際、およびそれ以降も含めて、例えば54人中53人当選などと数字で示すだけではなく、より詳細にだれが当選したのか等の選挙結果を記し後世に残す責務があると筆者は考えている。これも「一斉検挙された21人の創価教育学会幹部」というのと同様、今となっては特定も容易でないうえ、選挙結果に言及している文献も、52人中51人当選や56人中53人当選などと人数を示す数字にもバラツキがある。創価学会が組織的に選挙において候補者を擁立・支援し、政党も結成して公職たる市区町村議、都道府県議および国会議員をも数多く輩出してきた以上、その精確な事実、歴史を記述し、資史料を公開して後世の検証に備えておくことは創価学会・公明党にとって過去も含め、現在および将来の国民に対する責務であるといえよう。そういう意味では「公明党50年の歩み」(増訂版も)は肝心の事実の面で、たとえば選挙結果の記述も端折られていたり不精確だったりして、検証の任に耐えうるものとはいえず、非常に残念だと筆者は感じている。

 というわけで筆者は、選挙結果から54人の文化部員の特定を試みたのだけれど、これは一筋縄ではいかなかった。創価学会の政治進出は、最初から党派を結成して挑んだわけではなく、立候補者の多くは無所属であり、創価学会の推薦は機関誌を除けば各新聞等で必ずしも明示されていたわけではなかったからである。小泉隆、原島宏冶、森田悌二、竜年光、藤原行正などは名前でわかるが、彼ら以外で名前だけで創価学会推薦候補だと判断できる人はそれほど多くはなかった。堀幸雄「公明党論」、高瀬広居「ドキュメント公明党」、内藤国夫「公明党の素顔」佐木秋生・小口偉一「創価学会」等をてがかりに、各自治体の区議会史や市議会史にあたったり、webで閲覧できる市や区の選挙結果を記した情報をたどったりしてみたのだが、作業ははかどらなかった。運よく昭和38年1月―4月の聖教新聞縮刷版を入手することができてからはその記述を手掛かりに前回、前々回の選挙への立候補をたどり、国立国会図書館デジタルコレクションや、毎日新聞や朝日新聞などのデジタルアーカイブを近隣の図書館でも利用できることを知ってからかなりはかどったものの、未だ54人全員の特定には至っていない。(注)
 54人の文化部員の詳細は創価学会や公明党の刊行する書籍にもほとんど触れられておらず、昭和30年の聖教新聞縮刷版も目にする機会はめったにない。この機会に調べて判明した人達について公開することにはそれなりの意義があると思うのでここに記しておく。

(注)残り二人につき、ご存知の方からご教示いただきました。貴重な情報をお教えいただき、感謝いたします。(’23.10.21追加)


54人の文化部員

昭和29年11月22日 創価学会に文化部設置、文化部長は鈴木一弘    (男子部第一部隊長と兼任)
昭和30年2月9日 54人の文化部員を任命
    3月8日 13人の文化部員を追加任命 
    4月23日、30日 統一地方選挙 54人中53人当選と

昭和30年4月23日 第3回統一地方選挙(前半)
東京都議会、横浜市議会、当選
東京都議会 大田区 小泉 隆
横浜市議会 鶴見区 森田 悌二

昭和30年4月30日 第3回統一地方選挙(後半)
東京都特別区 区議会議員選挙 32人立候補、32人当選
    大田区  原島 鯉之助(宏冶)
    大田区  三宅 穣(ユタカ)
    大田区  青山 喜太郎
    品川区  竜 年光
    品川区  吉崎 富治
    港区   貝塚 佐一 
    墨田区  赤須 雪秀
    墨田区  南雲 六郎  
    江東区  臼井 正男(民主党)
    江東区  佐藤 由次郎
    江東区  山崎 末吉
    台東区  原 利雄
    葛飾区  中山 藤一
    葛飾区  片山 嘉太郎 
    足立区  藤田 健吉
    足立区  桐谷 道雄
    荒川区  藤野 良雄
    江戸川区 富田 作十(右派社会党)
    江戸川区 須賀 徳太郎(民主党 前職と 疑問あり)
    豊島区  高橋 伯寿(民主党)
    豊島区  荻野 勘次(民主党)
    北区   金子 彦三郎
    北区   酒寄 安正
    板橋区  根本 貞造(民主党)
    板橋区  清水 嘉吉
    杉並区  藤原 行正
    世田谷区 西村 多吉
    中野区  大泉 正市
    渋谷区  松尾 喜八郎
    新宿区  志村 林一
    目黒区  永富 謙一(民主党)
    文京区  宮沢 良雄 以上32人
   
    練馬区  藤井 富雄 選挙時期は昭和30年9月(注)

 注)東京都23区のうち、練馬区は昭和30年9月に区議会議員選挙が行われている。理由は区の成り立ちにある。昭和22年3月に22区が制定、5月に特別区となる。そして8月に板橋区を板橋区と練馬区に分割して練馬区が発足した。それ故翌月の9月に区議会選挙が行われ、以後も9月に区議会議員選挙が行われるという経緯になったようだ。筆者が確認したところ、昭和38年までは選挙の時期が統一地方選から約5ヵ月遅れの9月に行われており、昭和42年5月に練馬区議会が解散、区議会選挙が行われ、その任期が満了する昭和46年になってようやく練馬区も4月に区議会議員選挙が実施されるようになった。従って、昭和30年4月の時点での結果である特別区20区で32人当選のなかに、練馬区の藤井富雄の当選の結果は含まれていない。練馬区を含めるなら(千代田区、中央区以外の)21区に33人の候補者を擁立、当選したという説明になる。もちろん、昭和30年9月の時点ではその説明でよい。しかし、藤井富雄が昭和30年4月に最初に当選した32人の区議の一人という説明は精確ではない。東京都特別区の区議32人を明らかにしてゆく過程で、藤井富雄は昭和30年2月に任命された54人の文化部員には含まれていないのではないかと筆者は推測している。
 また、佐木秋生・小口偉一「創価学会」212頁の昭和30年4月の東京都特別区の選挙結果の表は、創価学会が推薦した候補につき各選挙区ごとの候補者数と当選順位を記しており、候補者名こそ記されていないものの、選挙結果をたどるうえで極めて貴重な資料である。

昭和30年4月30日 第3回統一地方選挙(後半)
都道府県 市議会議員選挙 18市20人立候補、19人当選 

東京都  三鷹市  明田 梅治郎
北海道  函館市  能条 康尊 文次郎とも
秋田県  秋田市  伊藤 福次(落選)
宮城県  仙台市  鈴木 義昭
     仙台市  澁谷 政藏
     塩釜市  平塚 大三郎
群馬県  高崎市  松井 豊次郎  
埼玉県  川口市  伊佐杯 幸太郎 飯酒盃とも
     行田市  渡辺 正一
     秩父市  諸 蔵久 茂久とも
     大宮市  松島 央
     川越市  中村 源治
神奈川県 川崎市  鈴木 一弘(文化部長)
     川崎市  松尾 正吉
     横須賀市 宮崎 正義
     相模原市 井上 シマ子
千葉県  船橋市  上林 繁次郎 
     市川市  佐々木 董(ただす)
大阪府  堺市   浅井 亨
福岡県  八女市  鬼木 勝利

54人の文化部員の経歴等について

① 小泉 隆(明治42年頃‐昭和63年)教諭、創価学会理事長(昭和29-35年)、東京都都議会議員(大田区)。昭和34年は立候補せず。昭和38年から52年まで都議4期(目黒区)。都議会議員を通算5期18年務めた。

② 森田 悌二(明治33年‐昭和51年 享年75歳)創価学会鶴見支部長、財務部長、横浜市議会議員(鶴見区)二期、昭和49年5月、第一回創価功労賞「忘れ得ぬ同志」2巻(242-244頁)。森田一哉元理事長の父、昭和18年からの創価教育学会幹部一斉検挙の際に検挙された森田孝は悌二の弟。

③ 原島 宏冶(鯉之助)(明治42年‐昭和39年 享年55歳)教諭、創価学会理事長(昭和35年‐39年)、公明政治連盟および公明党初代委員長、昭和30年東京都大田区議会議員、昭和31年参議院選挙落選、昭和34年参議院議員(全国区)。昭和39年12月、公明党結党の翌月に急逝(公明党委員長の後任は辻武寿、創価学会理事長の後任は北条浩)。元教学部長原島嵩は宏冶の次男。

④ 鈴木 一弘(大正13年‐平成15年 享年78歳)創価学会文化部長(昭和29年)川崎支部長(昭和33年)、昭和30年川崎市議会議員、昭和34年神奈川県議会議員、昭和37年参議院議員(全国区)、以降昭和61年まで通算4期24年参議院議員を務めた。公明党副委員長「公明党50年の歩み 増訂版」(22頁)

⑤ 宮崎 正義(明治45年生)建築士、創価学会理事、副理事長、総務を歴任、昭和30年神奈川県横須賀市議会議員「横須賀市史」、昭和34年横須賀市議(2期)、昭和40年参議院議員(全国区)、以降昭和58年まで参議院議員を通算3期18年務めた。 
 昭和30年初当選という資料と昭和34年初当選という資料とが混在していた。神奈川年鑑昭和34年版には横須賀市議として宮崎正義の名がなく、35年版に34年選挙で当選(無新)とあるものの、横須賀市史(昭和32)には昭和30年横須賀市議と記載され(436頁)、大白蓮華昭和38年2月号で宮崎氏本人の「昭和30年の統一地方選挙で当選し」たとの記述に接した。さらに調べると横須賀市勢統計要覧昭和31年版には昭和30年4月施行の選挙で選出された議員(昭和31年4月1日現在)として宮崎正義の名があるものの(59頁)、昭和32年版では同じ選挙の昭和32年10月1日現在の議員として宮崎の名がなく、代わりに岩崎要松(自民)の名が記載されている(41頁)。よって、宮崎正義は昭和30年4月に横須賀市議に当選したものの、何らかの理由で昭和31年4月1日から昭和32年10月1日の間にいったん横須賀市議の職を辞し、昭和34年にふたたび横須賀市議会議員選挙に立候補して当選したのだろうと思う。ゆえに神奈川年鑑は34年初当選と誤記したのだろうと推測している。

⑥ 浅井 亨(明治35年‐昭和61年 享年83歳)歯科医、創価学会堺支部長(昭和28年)昭和30年大阪府堺市議会議員、昭和34年堺市議(2期)、昭和37年参議院議員(全国区)、昭和43年参議院議員2期(兵庫選挙区)。浅井美幸元衆議院議員の父。 

⑦ 上林 繁次郎(大正6年‐平成14年 享年85歳)プロ野球選手、東急フライヤーズ在籍中に白木義一郎(のち参議院議員)とバッテリーを組む。昭和30年千葉県船橋市議会議員、昭和34年船橋市議(2期)、昭和38年千葉県議会議員、昭和42年衆議院選挙千葉1区落選(次点)、昭和43年参議院議員(全国区)、昭和49年参議院議員(全国区、2期)。

⑧ 松尾 正吉(大正4年生)プレス加工業、昭和30年神奈川県川崎市議、昭和34年川崎市議(2期)、昭和38年神奈川県議、昭和42年衆議院選挙次点で落選(神奈川2区 定数4)、昭和44年衆議院議員(同区)、昭和47年衆議院選挙次点で落選(同区)衆院1期。

⑨ 鬼木 勝利(明治37年生)、中学教諭・校長、昭和30年福岡県八女市議、34年福岡県議、37年参議院議員(全国区)、43年参議院選挙次点(福岡地方区 定数3)、44年衆議院議員(福岡3区)、47年衆院選次点6位、48年衆院福岡3区補欠選挙で当選。参院1期、衆院2期。

⑩ 竜 年光(大正10年‐平成19年 享年85歳)創価学会男子部第4部隊長、文化局政治部長、副理事長、公明政治連盟書記長、公明党副書記長、昭和30年東京都品川区議会議員、昭和34年東京都議会議員(品川区)以降昭和60年まで7期26年東京都議会議員を務めた。

⑪ 宮沢 良雄(大正3年頃生)警察官・警察学校教官、創価学会理事、昭和30年東京都文京区議会議員、昭和34年東京都議会議員(板橋区)、以降昭和52年まで5期18年東京都議会議員を務めた(職業・文京区議は聖教縮刷版昭和38年度1-4月による)。

⑫ 松尾 喜八郎(大正3年頃生)北海道北見出身、創価学会理事、昭和30年東京都渋谷区議会議員(渋谷区議会史による)、昭和34年東京都議会議員(大田区、小泉隆の不出馬によると思われる)、以降昭和56年まで6期22年東京都議会議員を務めた。

⑬ 藤原 行正(昭和4年生)旧満州大連生まれ、中央大学法学部、創価学会渉外局長、副理事長、昭和30年東京都杉並区議会議員、昭和34年杉並区議(2期)、昭和38年東京都議会議員(杉並区)、以降平成元年まで7期26年東京都議会議員を務めた。

⑭ 赤須 雪秀(大正14年頃生)昭和30年東京都墨田区議会議員、昭和34年東京都議会議員選挙(墨田区 定数四)8位で落選。公明政治連盟発足当時の秘書長を務めたとある(「日本の潮流」央忠邦著 214頁)。

⑮ 臼井 正男(明治39年頃‐昭和59年 享年78歳)創価学会初代城東支部長、昭和30年江東区議、この一期のみ民主党公認・創価学会推薦。34年東京都議選(江東区 定数四)次点で落選、参議院議員秘書を経て38年江東区議、以降昭和46年まで通算3期江東区議を務めた。昭和51年、創価功労賞、逝去の際、「名誉副会長」を贈られる(「忘れ得ぬ同志(2)」200‐206頁)。

⑯ 酒寄 安正(大正12年頃生)昭和30年東京都北区議会議員、昭和34年東京都議会議員選挙(北区 定数五)8位落選、参議院議員秘書を経て昭和38年再び北区議(2期)を務める(北区議会史、朝日新聞、聖教新聞縮刷版昭和38年1―4月による)。

⑰ 片山 嘉太郎(大正2年頃生)昭和30年東京都葛飾区議会議員、昭和34年東京都議会議員選挙(葛飾区 定数四)6位落選、会社役員を経て昭和38年再び葛飾区議(2期)を務める(朝日新聞、聖教新聞縮刷版昭和38年1-4月による)。

⑱ 藤田 健吉(明治41年‐昭和59年享年75歳)初代足立支部長。昭和30年東京都足立区議、34年東京都議会選挙(足立区 定数五)次点で落選(朝日、毎日新聞の確定投票結果と佐木・小口「創価学会」212頁区議選各区創価学会推薦候補者数と当選順位を示した表を照合した)。昭和53年5月創価功労賞、逝去の際、「名誉副会長」を贈られる(「忘れ得ぬ同志⑵」215‐222頁)。

⑲ 藤野 良雄(明治42年頃生)昭和30年東京都荒川区義、34年東京都議選(荒川区 定数四)7位落選(朝日、毎日新聞の選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の表を用いて創価学会推薦候補の一人と判断した。

⑳ 志村 林一(大正4年頃生)調布第二農業公民学校卒、昭和30年東京都新宿区議、以降昭和58年まで連続7期28年新宿区議を務めたことまで確認。学歴及び当選回数は昭和30年4月の毎日新聞、聖教縮刷版昭和46年3‐4月、同50年3-4月による。

㉑ 清水 嘉吉(大正8年頃生)公明党板橋支部長、党区議会幹事長。昭和30年東京都板橋区議、以降昭和58年まで連続7期28年板橋区議を務めたことまでは確認。役職及び当選回数は昭和30年4月の毎日新聞、聖教縮刷版昭和46年及び50年3‐4月による。

㉒ 原 利雄(明治43年頃生)中大卒、台東区議会副議長。昭和30年東京都台東区議、以降昭和50年まで連続5期20年台東区議を務めた。昭和50年の区議選は立候補せず。役職及び当選回数は昭和30年4月の毎日新聞、聖教縮刷版昭和46年3‐4月による。

㉓ 大泉 正市(政英)(大正2年頃生)青島学院商卒、党区議会副幹事長。昭和30年東京都中野区議、以降昭和50年まで連続5期20年中野区議を務めた。昭和50年の区議選は立候補せず。学歴等は聖教縮刷版昭和46年3‐4月による。政英のち正市と改名か。

㉔ 根本 貞造(明治36年頃生)昭和30年東京都板橋区議、この一期のみ民主党公認・創価学会推薦、以降42年まで連続3期12年板橋区議を務めた。42年板橋区議会選挙落選(定数52‐57位)。46年立候補せず。堀幸雄「公明党論」30頁に塚本貞造とあるのは根本の誤りであろう。

㉕ 西村 多吉(明治40年頃生)慶大中退、京王支部長。昭和30年東京都世田谷区議、以降42年まで連続3期12年世田谷区議を務めた。42年世田谷区議会選挙落選(定数55‐64位)。46年立候補せず(学歴、役職は聖教縮刷版昭和38年1-4月による)。

㉖ 桐谷 道雄(大正11年頃生)中大卒、昭和30年東京都足立区議、以降昭和42年まで連続3期12年足立区議を務めた。昭和42年足立区議会選挙落選(定数56-60位)。昭和46年立候補せず(足立区議会史、毎日新聞、聖教縮刷版昭和38、46年等参照)。

㉗ 永富 謙一(明治31年‐昭和51年 享年78歳)東京工大卒、英マンチェスター大留学、大学教授。昭和30年東京都目黒区議(民主党)、2期目も自民前と(毎日、朝日とも)、3期目は追加立候補の形で連続3期12年目黒区議を務めた。昭和50年第1回広布功労賞「忘れ得ぬ同志⑵」131‐138頁。

㉘ 中山 藤一(明治35年頃生)葛飾支部長。昭和30年東京都葛飾区議、以降昭和42年まで連続3期12年葛飾区議を務めた(昭和30年毎日新聞の選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の創価学会候補者の当選順位を示した表を照合して判断した)。

㉙ 青山 喜太郎(明治40年頃生)矢口地区部長。昭和30年東京都大田区議、以降昭和42年まで連続3期12年大田区議を務めた(昭和30年毎日新聞の選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の創価学会候補者の当選順位を示した表を照合して判断した)。

㉚ 吉崎 富治(大正3年頃生)大井支部長。昭和30年東京都品川区議、以降昭和42年まで連続3期12年品川区議を務めた(昭和30年毎日新聞の選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の創価学会候補者の当選順位を示した表を照合して判断した)。

㉛ 荻野 勘次(間氏とも)(明治42年‐昭和47年 享年63歳)炭屋を営む。武蔵野地区部長。昭和30年東京都豊島区議(民主党公認、創価学会推薦)、2期目は無所属、昭和38年まで連続2期8年豊島区議を務めた(職業、役職等は「忘れ得ぬ同志⑵」93‐100頁による)。

㉜ 富田 作十 昭和30年東京都江戸川区議会議員(右派社会党公認、創価学会推薦)。2期目は無所属、昭和38年まで連続2期8年江戸川区議を務めた(昭和30年、34年の毎日新聞選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の表を照合して判断した)。

㉝ 山崎 末吉 昭和30年東京都江東区議会議員、昭和34年2期目、昭和38年立候補せず。連続2期8年江東区議を務めた(昭和30、34年の毎日新聞の選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の創価学会候補者の当選順位を示した表を照合して判断した)。

㉞ 三宅 穣 昭和30年東京都大田区議会議員、昭和34年2期目、昭和38年立候補せず。連続2期8年大田区議を務めた(昭和30、34年の毎日新聞の選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の創価学会候補者の当選順位を示した表を照合して判断した)。三宅の長女、和子は小平芳平(創価学会教学部長、参議院議員4期)の妻。

㉟ 金子 彦三郎 昭和30年東京都北区議会議員、昭和34年2期目、昭和38年立候補せず。連続2期8年北区議を務めた(昭和30、34年の毎日新聞の選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の創価学会候補者の当選順位を示した表を照合して判断した)。

㊱ 高橋 伯寿(明治28年-昭和55年 享年85歳)文化物療院院長、昭和30年東京都豊島区議会議員(民主党公認・創価学会推薦)、34年立候補せず。1期4年豊島区議を務めた(堀幸雄「公明党論」30頁、昭和30、34年の毎日新聞選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の表を照合して判断した)。追記 豊島区議会史を参照し、職業、生没年を記載した。(’23.11.25)

㊲ 南雲 六郎 昭和30年東京都墨田区議会議員、昭和34年立候補せず。1期4年墨田区議会議員を務めた(昭和30、34年の毎日新聞選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の創価学会候補者数と当選順位を示した表を照合して判断した)。

㊳ 佐藤 由次郎 昭和30年東京都江東区議会議員、昭和34年立候補せず。1期4年江東区議会議員を務めた(昭和30、34年の毎日新聞選挙結果と佐木・小口「創価学会」212頁の創価学会候補者数と当選順位を示した表を照合して判断した)。

㊴ 貝塚 佐一 昭和30年東京都港区議会議員、昭和34年立候補せず。1期4年港区議を務めた(昭和30、34年の毎日新聞選挙結果と佐木・小口「創価学会」青木書店 昭和32年初版 212頁の創価学会候補者数と当選順位を示した表を照合して判断した)。

㊵ 須賀 徳太郎 昭和24年区議会副議長、30年江戸川区議(民主前)、34年、38年、42年は自民。投票結果と佐木・小口「創価学会」当選順位の表を照合すると該当する人物は須賀徳太郎なのだが、誤りかもしれない。32位の増井俊光(無)が学会推薦か。ご存知の方がいれば、ぜひご教示願いたい。

㊶ 明田 梅治郎(梅次郎とも)(大正6年頃生)創価学会理事、三多摩総支部長。昭和30年東京都三鷹市議会議員、以降昭和42年まで連続3期12年三鷹市議を務めたことまでは確認。昭和46年は立候補せず(役職等は聖教縮刷版昭和38年1‐4月による)。

㊷ 能条 康尊(明治38年頃‐昭和49年 享年69歳)初代函館支部長、北海道総支部長。昭和30年北海道函館市議会議員、昭和34年北海道議会議員選挙落選(函館選挙区定数5-8位)北海道年鑑昭和35年132頁、昭和38年立候補せず。創価功労賞(役職等は「忘れ得ぬ同志」「北海道広布20年史」参照)。

㊸~㊼ 人間革命9巻第2版の「埼玉県の五市」との記述を手掛かりに、川口市史、川越市史、行田市史、埼玉県議会史11巻を参照した。

㊸川口市議 伊佐杯 幸太郎(飯酒盃とも)昭和38年川口市議に立候補までは確認。3期目か。 
追記 聖教新聞縮刷版昭和46年および昭和50年(いずれも3~4月号)にて昭和46年4月埼玉県議会議員選挙に現職で当選、昭和50年4月も埼玉県議選当選とあり、埼玉県議会史、埼玉県議会百年史を参照、昭和42年埼玉県議、46年県議2期、50年県議3期、54年県議4期目当選まで確認。(’23.11.21)

㊹川越市議 中村 源治 昭和38年川越市議に立候補までは確認。3期目か。
㊺行田市議 渡辺 正一 昭和38年行田市議に立候補までは確認。3期目か。
㊻大宮市議 松島 央 昭和38年大宮市議に立候補までは確認。3期目か。
㊼秩父市議 諸 蔵久(茂久とも)

㊽、㊾ 人間革命9巻第2版の「宮城県の仙台市から二人、塩釜市から一人」(204頁)との記述を手掛かりに2人、判明した。
㊽宮城県仙台市議 鈴木 義昭(歯科医師)大正8年生 昭和30年、34年の2期8年、仙台市議会議員を務めた。
㊾宮城県塩釜市議 平塚 大三郎 昭和38年、3期目と思われる。

㊿ 井上 シマ子(大正6年生)創価学会初の女性議員。昭和30年、前年市に移行した神奈川県相模原市議会議員選挙に当選。34年市長が市議会を解散、2期目の当選。38年3期目立候補までは確認。大白蓮華昭和41年9月号にて故人と紹介されている。

51 伊藤 福次(大正2年‐昭和55年享年66歳)鉄工所経営、創価学会初代秋田支部長、総務。昭和34年、38年秋田市議。2期8年、秋田市議を務めた。(役職等は「わが忘れ得ぬ同志」参照)肝心の昭和30年落選の資料が未見。ただ他の候補は考えにくい。

52 澁谷 政藏(明治30年‐昭和36年享年64歳)鉄道弘済会職員、昭和30年、宮城県仙台市議会議員に当選。同34年宮城県議会議員。同36年任期中病没(職業等は宮城県議会史第5巻資料編477頁参照)。渋谷邦彦初代学生部長、仙台支部長、参議院議員(3期)の父。 
 親子であることは宮城県議会史に澁谷政蔵の遺族として渋谷邦彦の名が記されているのと、宮城県議会史に掲載された澁谷政藏の写真と「日本の潮流」に掲載されている渋谷邦彦の写真とを見てそう判断した。
澁谷政藏の急逝で石巻市議の吉田泰男が昭和38年、仙台選挙区から宮城県議選に立つことになったのだろう。渋谷邦彦は昭和37年参議院選挙に立候補が予定されていて、父政蔵の急逝に伴う昭和36年の宮城県議会の補選に出るには準備不足と翌年の参院選を控えていたゆえ補選には出なかったのだろう。

 何点か、説明しておきたい。①生年で頃としているのは昭和38年や昭和46年の聖教新聞縮刷版での何歳との記載をもとに生年を推測したからである。 ②民主党と右派社会党の公認を受けた候補者がいる。創価学会推薦、民主党なら民主党公認ということ。戸田は創価学会で政党を作ろうとは思っておらず、文化部員として任命はしても特定の政策を強いるつもりはなかったようだ。議員としての活動はそれぞれの政治信条に基づいて行えばよく、どの党に所属しようとかまわないと考えていた節がある。ただ、人数が少ないうちはその方針でよいのだろうが、当選した議員にしてみれば同じ会派で活動するほうがやりやすいし、実際それぞれの自治体の議会では創価学会議員だけで会派を結成したり、他党の議員と会派を組む場合でも違う会派に割れたりせず、同じ会派に所属したりしていて、公明会、公明政治連盟、公明党へという流れは戸田が存命していても避けがたかったのではないか。ワシの目の黒いうちは政党だけはやらんぞと言っていたので公明党の結成や、衆議院への進出はずっと遅れることになったかもしれないけれども。③文中、敬称は略した。④訂正等のご指摘は歓迎します。
 
 54人の候補者につき、残り2人、特定できていない。群馬県は前橋市ではないか、千葉県は市川市か、千葉市ではないかと推測して探してはいるが、いまだ特定に至らず。ご存知の方がいれば、ぜひご教示願いたい。(注)
(注)特定できていなかった残り2人につき、ご存知の方からご教示いただきました。貴重な情報をお教えいただき、感謝いたします。(’23.10.21追加)

53 群馬県高崎市議 松井豊次郎 飴菓子製造卸業、創価学会班長、昭和30年群馬県高崎市議、昭和34年高崎市議2期目一位当選まで確認(群馬年鑑 昭和35年版)
54 千葉県市川市議 佐々木董(ただす)東京都杉並区出身、明治40年生、東京府立工芸卒、室内構成・家具装飾・設計施工(房総紳士録1956)

房総紳士録等にみられる各新聞社の態度 1956年版と1961年版の違い

 房総紳士録(千葉県の人名録)の1956(昭和31)年版には昭和30年に千葉県船橋市議に当選した上林繁次郎の名があるが、創価学会の推薦については触れていない。しかし、1961(昭和36)年版では昭和34年に市議に当選した創価学会推薦の市議について、支部長や役員との肩書を付して創価学会推薦の市議であることを明らかにしている。
 誰がどのような信仰を有しているかはプライヴァシーに属することで軽々に扱ってよいものではないとはいえ、党派をもって政治に関わるとなればまた話は別ではないか。当時の人々も戸惑いながらもそのように扱ってきている。50数人ならともかく、数百人に喃々とし、国政にまで進出するのであれば、宗教であってもプライバシーだからと触れないわけにはいかない。どういった背景をもつ人たちなのかは明らかにする必要がある。創価学会が組織的に候補者を立てて会員を選挙に動員して政治に関わろうとする以上は、信仰はプライヴァシーに関わるといっても、創価学会の推薦に基づく候補であると紹介すべきとなっていったのは至極当然な流れだと言えると思う。

「公明党50年の歩み」の編集姿勢

 創価学会や公明党が発行した年譜や年史といった史料には候補者名や当落の結果が掲載されていないものが多く、選挙の結果をたどることは非常に困難だった。この点では自治体が独自にまとめた市史や区史、市議会史や区議会史、地方の新聞社がまとめた各県ごとの年鑑などを参照した。特に書籍では参議院選挙につき昭和31年から昭和49年まで、衆議院選挙を昭和42、44、47年の3回、創価学会推薦および公明党結党後の選挙結果を掲載し、落選の結果も記していた「公明党議員団」外山四郎が非常に役立った。創価学会・公明党が全員当選を期すのは結構だが、候補者名や当落、とくに落選の結果を記さず残さないなら歴史に学ぶことなど不可能で、同じ過ちをいつまでも繰り返し続けるしかない。年譜をものする意味もなかろう。
 その意味で「公明党50年の歩み」を一読して一番驚いたというかあきれたのは巻末年表において国政選挙および都議選、統一地方選の選挙結果を載せたり載せなかったりしていたことだ。それでは政党の年表の意味がない。さすがに増訂版ではある程度訂正されていたが、そもそも書籍を刊行する前に気付くべきだし、訂正を加えた増訂版でも統一地方選の結果は17回のうち10回(訂正'23 10.9)端折られていた。人名どころか、数字すら端折るなら筆者が何を言っても無駄だと思うが、年表に記す価値がない、紙幅が足りないなどというなら選挙などやめるがよい。記載されていない選挙結果は落選者が多かったり、多数候補擁立で苦戦したりというような結果のものが多いと感じた。逆に過去最多の議席だったり、全員当選だったりした場合はその旨を示して記載されていたのでその点もあきれている。いい結果しか記述したくないとの態度は創価学会・公明党において一貫している。維新の会には先輩がいる。情けない限りだ。


昭和30年3月に追加任命された文化部員(13人)

 補足として、昭和30年3月に追加で任命された13人の文化部員についても人間革命第9巻の記述をもとに仮名のモデルになった人物を推測してみた。54人の文化部員の任命でも、小泉隆、原島宏冶、森田悌二などの創価学会本部中枢の幹部の任命があったが、多くはその地域の一粒種で明治、大正生まれが多く、昭和30年の時点で40代、50代といった壮年で、社会的にも信用がおけそうな人達を中心にした人選だと感じた。しかし13人の追加任命はほぼ当時の創価学会の中心幹部達で、翌年の参議院選挙、国政選挙を強く意識した人選に思える。ただ追加任命された文化部員は実際に全員が選挙に出たわけではない。

仮名   実在の人物  役職、議員経歴
清原かつ 柏原ヤス   理事、杉並支部長 参議院議員
関久男  辻武寿    青年部長 参議院議員
神田丈治 神尾武雄   中野支部長
山際洋  牛田寛    男子部長 参議院議員
春木洋次 白木薫次   理事 井筒商会常務
田岡金一 田中正一   文京支部長
大場勝三 馬場勝種   築地支部長
佐木一信 笹木正信   本郷支部長
板見弘次 板倉弘典   支部長待遇 都議会議員(大田区)
山川芳人 山本宗司   支部長待遇 鶴見
佐川久作 佐々木庄作  支部長待遇 鶴見

 あと二人は氏名(仮名だが)の記述がない。ただ、人間革命第9巻には54人の他にも創価学会が支援した政治経験のある候補が二人いたとあり、その二人は経歴の記述と選挙結果から、東京都議選に立候補した足立区議の女医、大石アヤメと、秋田県議選に立候補した秋田市議(建設業)、続資一の二人ではないかと思われる。なのでその二人が13人の追加任命された文化部員のうち、名を記されていない残りの二人なのではないか。政治経験があったがゆえ自らの手法に固執し結果は二人とも落選と人間革命には記され、昭和34年の都議選、秋田県議選にも立候補した形跡はない。昭和30年の落選を機に、会から離れたということだろうか。
 この点に関して、昭和30年4月の統一地方選の創価学会推薦候補について「評伝戸田城聖下巻」では54人ではなく56人と記述している(272頁)。人間革命で記述された政治経験のある前述の2人を加えているのかもしれないと思うが、名を記すならともかく、それをしないまま訂正ともいわず、人数だけを56人と記述する執筆姿勢には疑問も感じる。それならそれで創価学会、公明党、第三文明社などの外郭出版社の間で事実認識を共有しておくべきではないかとだけは言っておきたい。

参考文献

公明党論 堀幸雄 青木書店 1973年
ドキュメント公明党 高瀬広居 学習研究社 1964年
公明党の素顔 内藤国夫 エール出版社 1969年
創価学会 佐木秋生・小口偉一 青木書店 1957年
前進する公明党 戸川伊佐武 フェイス出版 1966年
公明党議員団 外山四郎 一光社 1975年
日本の潮流 央忠邦 有紀書房 1968年

聖教新聞縮刷版昭和38年1月-4月
人間革命第9巻(第2版)聖教新聞社 2013年
公明党の歩み 松島淑、谷口卓三(編)公明党機関誌局 1969年
忘れ得ぬ同志(1)(2)聖教新聞社 1982年、1986年
わが忘れ得ぬ同志 聖教新聞社 2005年




























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