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本当の本物を作るために…。

家の近所に妻家房という韓国料理の店がある。

同じ名前で日本全国の商業施設の中を中心に店がある。
あるのだけれど、そこはここのメニューとレシピを買って韓国料理を知らない人がやってるお店。
近所のお店がこんなところにもある…、と思って入ると、いつも食べている味と違うことにガッカリさせられる。
同じレシピ。
同じ原材料でも、生まれてずっと食べて育った人が作る料理は本物。
教えてもらった料理は見よう見まねになってしまう。

レシピで書ききれないことがある。
食材の扱い方。
調味料と合わせるタイミングであったり扱い方。
ちょっとしたことで味がかわってしまうのが料理というもののデリケートで面白いところ。
当然、味見という行為を外すことができなくなるのだけれど、食べて育った人でなくてはわからぬニュアンスがある。

日本の郷土料理もその街で食べたほうがおいしいのは、同じ理由なんじゃないかと思うのですネ。
例えば九州の福岡に「牧のうどん」といううどんの有名店があって、東京に出てこないかといろんな人からお誘いを受ける。
金も用意するし物件もあるから…、なんて。
そういう誘いに彼らはこう答える。

金はあるからいらないよ。
物件だって探そうと思えばいくらだってあるだろう。
必要なのは働いてくれる人。
福岡生まれて福岡育ち。
うちのうどんを食べ手育った気のいいおばちゃんを10人集めてくれれば出ていくよ…、って。

地域の味とはそういうモノなのだろうと思います。
四谷三丁目の妻家房は韓国語が標準語。
厨房の中も外も韓国の人がニコニコしながら働いている。
だから当たり前のものが当たり前においしいのでしょうね。
ここに来ると韓国に来たような気持ちにしてくれるというありがたさがあり、でも韓国に行って本当の本物を食べたいなぁ…、と思わせるところが罪作り。

ところで…。

あと20年たってなお、今の日本の料理が日本で作られ続けているんだろうか。
あるいは、今の日本料理を当たり前と思っておいしく食べてくれる人がいるんだろうか…、とちょっと心配になったりもした。
どうだろう。

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