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『邦画プレゼン女子高生 邦キチ!映子さん』に打ちのめされろ

■ もう「映画好き」を名乗れない

ありとあらゆる邦画を独自の角度からプレゼンしまくる漫画。
それが『邦画プレゼン女子高生 邦キチ!映子さん』だ。
プレゼン中の映子さんはまさに「邦キチ」の名の通り、目が飛んでる上に一つも共感できない内容を無遠慮にぶつけてくる。
僕がほとんど観たことが無い映画ばかりを取り上げていて、たまに観たことがある映画をプレゼンされても「そこを薦めるんかい」という内容。
笑いながら読んでいると、自称映画好きをブッ刺してくるフレーズが出てくるので、自尊心が大いに削られてしまう。もう「映画好き」とは言えない。「映画観たことある程度の人」として生きるしかない。
そんな気持ちにさせてくれる漫画だ。
「自称映画好き」として調子に乗っていたつもりは無いまでも、長文で映画の感想を書いてきた僕としては、改めて自分の恥に気付かされた。

本作は「映画について語る若人の部」部長の小谷と、それに入部した新入生の邦吉映子とのやりとりが面白い漫画だ。
「あなたの好きを肯定する」と掲げる小谷は、邦キチの「好き」に圧倒される。
実写版『魔女の宅急便』が好きで、『ドラゴンボール』についてはハリウッド版しか知らない邦キチ。
(そこにアジア映画マニアのヤンヤンや「特撮作品について熱く語り合う部」部長御影など追加キャラが登場しいろんな映画について楽しめる)

読者は小谷と同じく邦キチの知識量とセンスに圧倒されるがままに読み進めていくのだが、そこで邦キチからブッ刺される。

「部長は自分に優しい映画しかハマれないという事ですね」

確かにそうだけども!
映画ジャンルについて好き嫌いが激しいけども!
だけど「映画ジャンル」というものにこだわり自分の中で勝手に線引きしていたことに気付かされる。
そうだよな、映画はどんなものでも全部映画なんだよな、と。
世間的につまらないだの駄作だの言われている作品も、映画であることに変わりは無いんだよな、と。
自分の狭量さを思い知らされるんだ。ギャグ漫画に。


■ トドメの池ちゃんで自分の中の池ちゃんを見つめ直す

ここまででも「元自称映画好き」としては大きな傷を負わされて改心しているのですが、第7巻で新たなキャラが登場する。
彼の名は池ちゃん。
これ以降は「池ちゃん=自称映画好き達すべてをキャラ化した概念」としてお読みいただきたい。

池ちゃんがどのような人物かと言うと、「年間鑑賞本数は85本」で女の子にフラれては「オレって本当 面白い奴止まりなんだよね〜」とつぶやく。そしてnoteに『花束みたいな恋をした』について8,000文字を費やし感想を綴るような20歳の大学生男子だ。
部長と邦キチとを交えた会話の時には、自分がいかに最先端の情報をキャッチしているかをアピールする必死さが痛々しい。だけど自分がつまらない事は自覚している。このような人物でもある。

そんな池ちゃんが実写版『魔女の宅急便』に対し「見る意味がさぁ… ないじゃん…⁉︎」と観ていない理由を説明します。
それに対し邦キチは「映画を観るのに意味が必要だったのですか⁉︎」と驚く。
そして次々と話題作が流れてくるヒット映画情報に「置いてかれたら困るじゃん⁉︎ そういう太い『流れ』にさぁ!」と叫びます。
それに対し、追い打ちをかけるように邦キチが「池ちゃんは置いてかれない為に映画を観ているのですね」と返す。
「たかが映画ではないですか?」と不思議そうに。

そうなんだ。
僕らは映画は高尚でありそれを読み解ける自分がいかに素晴らしい人物であるかアピールせずにはいられないんだ。
知らない内に池ちゃん化している僕たちは、映画をくさす能力だけが肥大していき、自分自身を見つめ直す能力をぶん投げてきてしまったんだ。だっていちいち自分を見つめ直したら自分自身がいかにつまんない奴か突き付けられてしまうだろ。そんなの見たくないから映画に逃げ込んでたのに。

もう完全に打ちのめされました。
映画を自己装飾の道具に使ってはならない。
本性の隠れみのに使ってはならない。
「自称映画好き」たちは一刻も早く本作を読み、自分の中の池ちゃんをあぶり出そう。
映画について語るのはそれからでも遅くない。
「映画観たことある程度の人」として無意味に語りまくろう。

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