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自分に期待していた自分

こんにちは♪ さかもとさとみです。

今日は、自分にとっての大大大発見について。

もっと肩の力をぬいて、生きていきたいな―


そんな風に思うようになったのは、約1年半程前のこと。

会社員として10年弱社会人生活を送ってきて、
妊娠出産子育てというライフスタイルの変化を通じて

自分の価値観にも大きな変化が生じ、
会社員を辞めるという選択をしました。

もともと、なんというのか自分は組織に合っていない、
組織人としての適性が低いと感じていたのですが

だからこそ働くときは、
「肩ひじを張って」「頑張って」お仕事をしてきました。(笑)

というか、そうして等身大の自分ではなく、
”装って”仕事をするという働き方以外、知りませんでした。
それが普通だと思っていました。

だけど、それでは限界があるなーと感じるようになってきて、
自分を組織から求められる”型”にはめて生きていくことと少し距離をおきたいなと思ったのがいまから約1年半ほど前のこと。

「もっと肩の力をぬいて、生きていきたい」

シンプルに、そう思ったのでした。

肩の力をぬいて生きることは、そう簡単ではなかった。


・・・とはいえ、ずーーーっと肩の力を抜けずに・抜かずに働いてきた私は、肩の力を抜こうとおもってもなかなかぬけなかったのです。

文字通り、身体的に肩に力が入っていたし、
思考としても「〜しなきゃ」が頭の中を気づけばめぐる。
そんな習慣が抜けませんでした。

特に、仕事モードになるとなおさらで。

自分の心や欲求は一旦脇においておいて(笑)、
期待されること・求められていることに全力で応えよう、
というモードが発動してしまうと、

なかなかそのモードから抜け出せず、
自らのエネルギーを大きく消耗してでも
他者からの”期待”通りの自分になるべく、
自分らしさに蓋をして自分を装ってしまう
のでした。

頭でどうこう考えても、
長年培ってきた思考行動習慣にはなかなか抗えませんでした。


自分で自分に期待していたのだと気づく。


そういえば、私は以前から、期待されることが苦手でした。

・勉強ができる
・運動ができる
・お姉さん(長女)である

…などなど(↑小学生の頃の話です。笑)

周囲からの目はいつからか、「そうあらねばならない」という自分にとって重たい”期待”となっていたのだと思います。

ですが、最近ふとしたときに気づいたのです…!

他者からの”期待”だと思っているものの多くは、
自分で自分にかけている”期待”なのかもしれない
と。

そもそも、他者は自分にそこまで”期待”していないのに、
勝手に”期待されている!”と強く思い込んで自分で自分を緊張させてきたように思います。

「Aさんはきっと、こういうことを期待しているだろう」
→ 「私はきっと、Aさんにこんな期待をされているんだ」
→「私は、Aさんの期待する私であらなければ!」
→「私は、今のままでは不十分で、だからもっと頑張らなくては!

→ 緊張する・肩に力が入る

「きっと、こういう期待をされている。」
そう思うところまでは、一旦よいとします。

でも、その先はちょっと違うかな?と思うし、
そろそろ手放してもよい考えかなーと思うようになりました。


”期待”することで、パフォーマンスを最大化させられると、思い込んでいた…!


今までは、
「こうあらねば」が自分を行動させるための大きな原動力になっていて、

自分で自分に期待をかけることが、自分の能力・パフォーマンスを引き出し最大化するために必要だと思っていたような気がします。

↑このことにふと気づいてから、いろんなことが自分のなかで紐解けていきました。

そもそもの、私が「肩の力」をぬけない大きな要因は、こうした思い込みがあったからだったのか!と。

そして、思い直したのでした。

自分の能力・パフォーマンスを最大限に引き出すとうことが本来の目的ならば、身体を緊張させるのではなく、余計な力が入ってなくリラックスできた状態(自然体)であるほうがよいのではと…!

(大谷翔平選手がなぜハイパフォーマンスを出せるのか、ということについて記事を読んだことがあるのですが、その時確か”自然体”であることが大谷選手の強さであるといった考察が書かれていて、ナルホド!と思った記憶があります。)

アップデート後のわたし✨


ちょっとまだ、自分のなかではつながったこと・気付きが、
きれいに言語化はしきれていないなー(笑)と書いてて思いつつ、

無理やりまとめに入ると、最近の私はこんなふうに思えるようになってきて、肩に力が入ることが減ってきました✨

↓↓↓

  • 自分で自分に期待して緊張するなら、期待しないほうがよい(笑)

  • 他者からの期待には、応えてもよいし、応えなくてもよい。

  • 自分の能力を最大限引き出したいなら、(緊張するよりも)余計な力を抜いて自然体でいるほうがよい。

  • 余計な力を抜いて自然体でいることが、自分がラクにパフォーマンスをあげるためのコツであり、さらには<<結果として>> 他者に最大限貢献すること・他者からの期待に最大限応えることにもつながる

…改めて、言葉にしてみたことで、「うんうん、たしかにそうだよね!」と思えてきました(笑)


おわりに


自分で自分に期待することってあまりいいことないかもという気づきをここまで書いてきましたが、

他者に勝手に”期待”していいことも、あまり無いような気がしました。

例えば、子育てをしていて、

「もう◯歳なんだし、これくらいやってよね・・・!」
「片付けしてほしいのに、片付けてくれない・・・!」

とかココロの中で思っているときって、怒りやすい気がします。

この場合、”自分の中で勝手に作った理想 ”と”現実”のギャップを、
”期待する”という行為を通じてを無理やり埋めようとしているから、
自分にも相手にもいい影響がない
のかなーと書いていて思いました。

一方で、”ありのままの相手を無条件に受け入れること・そのままでいいんだと信じること” も仮に期待であるとするならば、そうした期待はプラスに働く気がします。

「◯◯ちゃんだから、できるよ!」とか
「◯◯ならできるって、信じてるよ!」とか。

そうした”期待”は、その人のもった能力を引き出すうえで、とても有効な気がしました。💡

うーん。

自分で書きながら思ったのですが、

その人がどのようなスタンスで自分に・他者に言葉をかけるのか?によって、プラスな期待にもなりうるし、マイナスな期待にもなりうる

そんなような気がしてきました。

そういう意味では、自分で自分に期待をかけることや、他者に期待すること、あとは他者から期待されることって、必ずしもマイナスではない気がしてきました。

そうか。

もしかしたら、相手はありのままの自分を肯定して”期待”してくれていたものを、私が勝手に「いまのままの自分じゃだめだからがんばれって言われているんだ」と解釈してしまっていた可能性もあるかもしれない。

そうかそうか!

結局のところ、私が自分で自分の肩の力を抜くのが苦手だったのは、もっというと”期待”が苦手だったのは、自分自身の解釈によるところが大きかったのかもしれないな。

おわりにを書いていて、そんな風に思いました。

…と、言葉にしたら、すっきりした〜〜✨

さいごに。

わたしの散らかった頭の中を、思考のプロセスを一緒にたどってくださった(最後までこのnoteをよんでくださった)方がもしいらしたら、

最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました👏

それでは、また!


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