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ep.17 バレーボールというスポーツについて

こんにちは

今回はバレーボールについて書いていきたいと思います


めちゃくちゃアバウトな表現になってしまいましたが

今回に関してはバレーボールのみの話になります

バレーボールの歴史から、いろいろな観点からバレーボールとはどんなスポーツであるのかを私の経験を交えて考察していこうと思います

早速ですがウィキペディアからコピペするので読みたい方はどうぞ!

バレーボールは、女性や子どもや高齢者も気軽に楽しめる室内スポーツとして、アメリカ合衆国マサチューセッツ州で当時25歳のアスレティックディレクターウィリアム・G・モーガンによって考案された。

初めてプレイされた1895年2月9日が発祥の日とされている。当初の名称は Mintonette(ミントネット)。これはバドミントンに由来する。バスケットボールはその4年前に同じマサチューセッツの20キロも離れていない地で作り出されたばかりだった。

しかしバスケットボールは多少激しい動きが必要である。バドミントンの他、テニス、ハンドボール、野球などを参考にした。

このころのルールは非常に単純で、試合に集まった人たちを同じ数の2チームに分けて、相手コートに返す際の回数は決まっておらず、ボールを打ち合い、ボールを落としたほうが負けというものであった。

1896年、モーガンはこの新ゲームをスプリングフィールドで開催されたYMCA体育指導者会議の際に公開した。

モーガンは当初このゲームをミントネット(Mintonette)と名付けたが、のちにハルステッド(YMCAトレーニングスクール教官)の提案を受け、名称をバレー・ボール(ボレー・ボール、volley ball)に改めた。

バレーボールのバレーというのは、テニスのボレー(ボールを地面につく前に打ち返すこと)からきている。

1952年に現在のようにバレーボール(volleyball)と一語で表すようになった。

バレーボールは各地に点在するYMCAを通じてアメリカ全土に広まっていき、1900年にカナダ、1906年にキューバに紹介された。


第6回極東選手権競技大会(大阪府)での女子バレーボールの試合(1923年)。帽子・スカート・タイツのユニフォームを着て、屋外で開催されている。
日本にバレーボールが紹介されたのは1913年のことで、YMCA体育主事のF・H・ブラウンによってもたらされた。

このころはまだしっかりとルールができ上がっていなかったため、日本において独自にルールが作られていった。チームの人数は最初は16人であったが、12人に変わり、続いて9人となり現在の9人制バレーボールに近いものができ上がった。

ヨーロッパにバレーボールが紹介されたのは1920年ごろで、第一次世界大戦で渡欧したアメリカ軍兵士によってフランスからイタリア、チェコスロバキア、ポーランド、ソビエトへと普及していった。

このころにはチームの人数も6人と決まっており、すでに現在の6人制バレーボールに近いものができ上がっていた。ソビエトでは1925年にロシア共産党の中央委員会が「100万人のバレーボール」のスローガンを掲げてソ連バレーボール協会を設立し、本格的にバレーボールの発展に取り組んだ。

バレーボールは世界各国のYMCAを通じて国際的に普及し、1924年パリ五輪ではアメリカのスポーツとして紹介された。

1947年には国際バレーボール連盟が結成され、アメリカ式のルールを修正し国際ルールが出来上がった。

1949年に第1回バレーボール世界選手権(男子)がチェコスロバキアで行われた。日本が国際バレーボール連盟に加盟したのは1951年であった。

当時、日本のバレーボールの主流は9人制であり、国際試合で使われる6人制バレーボールはまだよく知られていなかった。

1950年代に入ると、東欧諸国ではソビエトの高さとパワーに対抗するために技術開発が進められるようになった。

特にチェコスロバキアは次々と新しい技術の開発に着手し、速攻、フェイント、ブロックアウトなどの戦術を編み出した。

1952年、女子の第1回バレーボール世界選手権がソビエトで行われた。

1953年、日本で6人制が採用された。

1964年東京五輪からバレーボールが正式種目に加わった。コンビネーション・バレーが確立されたのはこのころからで、回転レシーブ、時間差攻撃など日本独特の技術が編み出された。

日本では協調性を養うスポーツとして、中学校・高校の体育で扱うことが多く、一般的に定着した


というわけでウィキペディアさんの説明でしたが

アメリカ発の球技でテニスのボレーから

ボレーボール、ボレーボレー、、バレー!ということになったということですね笑


元々は16人VS16人で行っていたということで

かなりコートも広く主に激しい運動が苦手な方に向けて作られたスポーツであったということです

イメージとしては3回で返すこと以外は厳しいルールは存在していなく和気藹々と楽しむスポーツであったと言えそうです

そこから12人、9人という編成になってきているということでママさんバレー(9人制)のルールの方が先であったということです

ルール的にも国際ルールが出来上がった当初は現在の様なラリーポイント制ではなくサーブ権がある際に点を取らないと得点できないということで

試合時間が時折長くなりすぎる傾向にあったそうです

それから6人制のルールが作られラリーポイント制になり今の形のバレーボールが出来上がったというわけです。

バレーボールの歴史から考えられることは

競技スポーツとしてかなり発展してきているという印象です、、

レクリエーションスポーツとして発展したものがママさんバレーの様な9人制バレーボールになったということでしょうか、、

ちなみに6人制と9人制ではルールがかなり違ってきますので別のスポーツとして発展していることがよくわかります

例えば6人制では2回連続でボールに触ることはダブルコンタクトという反則になりますが、9人制では1回目に触る際にネットにぶつけると2回目も触っていいという特殊なルールがあったりします

さらに6人制ではブロックの際にボールに触ることは3回で返さなくてはならないというルールには含まれませんが9人制ではブロックも1回にカウントされてしまうのでブロックに触れた場合、2回で返さないといけなくなります

こんな感じで割と根本的なルールに違いがあるので別のスポーツとしてプレイすることになると思いますので戦術や戦略も変わってくると思います


日本のバレーボールは独自の技術や戦術が多数存在しており

骨格的なディスアドバンテージを補うために考え抜かれてきた歴史があります

コンビネーションバレーやデータに基づくバレーはさいたるものであると言えます

私の出身校である埼玉県の伊奈学園総合高校も埼玉ではコンビバレーの名門として活躍してきましたが

バレーボールの魅力はこの戦術の幅の広さにあると思っています

例えば

1人の大エースがいるチームはそのエースにいかにボールを繋ぐかが勝敗を分けるキーになります

これは立派な戦術であり全国大会や国際大会に置いてこの様なチームは上位に入ることが比較的に多いです

対照的に私の母校の様なコンビバレーのチームにはエースという存在は不要、というよりはいない方が戦術としては都合がよく

相手がどのスパイカーを警戒したらいいのかを曖昧にすることによって隙を作り出すことができます

バレーボールは一瞬が勝敗を分けるスポーツなのでこれも立派な戦術です

全員が同じ技術を持つことは多くの時間と努力を必要としますが

1人の突出したステータスがなくても勝つことができるということはバレーボールの大きな魅力であると言えると思います



いかがでしょうか?

バレーボールに関してはいくらでも話せる自信があります

普段1000文字に納めているnoteですが今日は3000文字を超えてしまいました笑

全然話し足りないので誰かイワサワとバレーボールで語ってください

今回も読んでいただきありがとうございました!

ではでは、


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