『太平記』相論②

高徳は巻十五に、源頼光の酒呑童子退治の物語を書き足した。
(これで源氏好きの武士達が静まってくれれば良いが)
高徳が近隣の豪族に攻められない理由が、もうひとつある。
それは、高徳が南朝の擁護をして、かつ『太平記』を書いているからである。
この時代、天皇に背いていい理論というのはないのである。
戦前まで、足利尊氏が悪人とされてきたように、たとえ将軍といえども、天皇に背けば悪人の誹りは免れなかった。
鎌倉幕府が後鳥羽上皇の「御謀叛」を鎮圧した承久の乱までは、天皇を島流しにしようとも、幕府にとってそれが必要と判断されれば、少なくとも武士はそれを批判しなかった。公家は北条義時を口を酸っぱくして非難したが、それで幕府の屋台骨が揺らぐことはなかった。義時の後の泰時が、朝廷に対し低姿勢だったからかもしれない。
しかし後醍醐天皇は、その不屈の精神で隠岐に流されても脱出し、とうとう楠木正成という名将を得て鎌倉幕府を倒してしまった。こうして武士は、天皇に背く理由をうまくつけられなくなってしまった。
たとえ足利尊氏が天皇を京から追い、別の北朝の天皇を立てようとも、天皇が吉野で激を飛ばしている限り、武士でさえも「南朝が正しい」という者が少数ながら現れて、戦乱はなかなか収拾されない。
だから高徳のような小地頭でも、露骨に北朝に敵対しない限りは、近隣の豪族が攻めてこない。むしろかえって安全だといえた。
しかし幕府を擁護する武士達へのリップサービスは必要である。
それで頼光の酒呑童子退治の話を挿入して、源実朝以来の源氏将軍誕生に湧く武士達をなだめる必要があった。
そして高徳は、湊川の戦いの前に、11歳の嫡男正行と正成の「桜井の別れ」を挿入した。
「桜井の別れ」は、「このいくさで自分は死ぬ」と悟った正成が、幼い正行を帰して、天皇に忠誠を尽くすように諭して涙ながらに別れるというエピソードである。
書きながら、高徳は感涙に咽んだ。
出来上がった草稿を、高徳は玄慧に送った。

正平2年(1347年、北朝は貞和3年)夏。
「北畠親房殿が」
と、玄慧からの手紙が返ってきた。北畠親房は「神皇正統記』という書の著者である。
(後の三房のお一方が)
と、高徳は胸を踊らせた。「後の三房」とは、後醍醐天皇に仕えた忠臣という意味で、北畠親房、万里小路宣房、吉田定房の三人を指す。ちなみに「後の三房」がいるということは「前の三房もいて、後三条天皇の重臣、藤原伊房、藤原為房、大江匡房の三人である。
「楠正行殿は湊川の時に既に成人しており、童などではない」
と横槍を入れてきた。さらに、
「幕府はあって良いのである」
と言ってきた。
(なんと!吉野帝は決して幕府をお認めにならなかったというのに)
北畠親房は、最近の研究では、北畠親房は後醍醐天皇から疎外されていたことがわかっている。
親房は承久の乱を引き合いに出して言う。
「頼朝(源頼朝)の勲功は抜群であり、実朝が死んだからといって幕府を倒そうとするならば、彼らに勝る善政がなければならない。義時(北条義時)は人望に背かなかった。陪臣である義時が天下を取ったからという理由だけでこれを討伐するのは、後鳥羽に落ち度がある。しかし、臣下が上を討つのは最大の非道である。最終的には皇威に服するべきである。まず真の徳政を行い、朝威を立て、義時に勝つだけの道があって、その上で義時を討つべきであった」
と、北畠親房は言ってきた。
「何を言うか!儂が『桜井の別れ』を書いた時の涙は嘘だというのか!それに何じゃ!『臣下が上を討つのは最大の非道である。最終的には皇威に服するべきである』とは、これではいつまでたってもいくさは終わらず、天下は太平にならぬではないか」
高徳は、玄慧に、北畠親房へ抗議する手紙を送った。そこには、
「吉野院がお認めにならなかった幕府を認めるようなことなどあってはなりませぬ」
と、様々に言葉を変えて申し送った。
やがて、玄慧から手紙が返ってきた。そこには
「『太平記』を左兵衛督殿(足利直義)に講義することになった」
と書かれてあった。
(なんと!なぜ吉野院がお認めにならなかった幕府を相手に『太平記』を講義せねばならぬのか!)
高徳は抗議をしたが、
「北朝の御方々に、『太平記』を認めてもらい、『太平記』を世に広めてもらうためである」
と、玄慧から説得の手紙が来た。
(そうじゃ、説得は大事じゃ)
高徳は思い返した。(しかしこれでは、吉野院の衷心いかばかりであるか!ここはなんとしても、今は亡き吉野帝の御心をお慰めせねば)

正平3年(1348年)、夏。
「唯生々世々の妄執になりぬべきは朝敵尊氏が一類を滅ぼして、四海を泰平ならしめんと思ふこの一事ばかりなり」
と、夏の暑さを瓜を食って凌ぎながら、高徳は『太平記』の巻二十一の草稿を書いていた。
この文の主語は後醍醐天皇で、天皇の臨終を描く場面である。
(まさに帝はこのような御心中であらせられたろう。帝は太平のために粉骨砕身された。この文はそのことを示さねばならぬ。そしてここからじゃ)
高徳は「巻二十三」と書いた。
『太平記』に巻二十二はない。
『源氏物語』に「雲隠」の帖がないのを真似したのである。しかし『源氏物語』に光源氏が死ぬ場面はないが、『太平記』は後醍醐が死ぬ場面を描いている。
「上座なる金の鳶こそ崇徳院にてわたらせたまへ。そのそばなる大男こそ、為義入道の八男、八郎冠者為朝よ。左の座こそ代々の帝王、淡路の廃帝、井上皇后、後鳥羽院、後醍醐院、次第の登位を逐(お)つて悪魔王の棟梁と成りたまふ、やんごとなき賢帝たちよ」
と、『太平記』は一気にファンタジーワールドに突入した。崇徳院とは保元の乱で敗れて讃岐に流された崇徳天皇のことで、讃岐で写経した経文を京に送ったところつっかえされて、恨んで血で経文に呪詛の誓文を書きつけて海に沈めたところ、朝廷の政権が源頼朝に奪われるという事態になり、以後大魔王として扱われている人物である。
淡路の廃帝とは、孝謙上皇により皇位を廃された天皇で、その後諡号もなかったのが、明治後淳仁天皇と諡され、崇徳天皇と共に白峯神宮に祀られた天皇である。
井上皇后は第49代光仁天皇の皇后で、聖武天皇の皇女である。天武系の正統が絶え、天智系に皇統が移るにあたり、聖武天皇の娘婿の光仁天皇が即位した。
皇太子には光仁と井上皇后の間に生まれた他戸親王が立てられた。しかし井上皇后が天皇を呪詛したという罪で、皇后と他戸親王は幽閉され、3年後の同日に、井上皇后と他戸親王は薨去された。そして光仁の皇子で、百済系の高野新笠を母とする山部親王が皇太子となり、桓武天皇となった。
(わっはっは!いいぞ、賢帝達よ多いに世を乱されよ!)
まるで高徳が大魔王になったかのようであった。
事実、世は乱れている。
足利尊氏は政治の実権を弟の直義に渡したが、直義は武闘派の高師直と対立している。
(このまま世を乱れさせるがよい!大体何じゃ、あの高師直というのは!師直の弟の師泰などは帝のことを『もしなくて事かけば、木を以て造るか、金にて鋳て置くか、二つの中を過ぐべからず(二つから選ばせよ)。誠の院、国王をば、何方へも流し捨てたらんにぞ、天下のためにも能く、公平にてあらん』と抜かしておるというではないか!)
また、土岐頼遠の事件というのもあった。
光厳上皇は、正中の変で後醍醐天皇が隠岐に流された後、鎌倉幕府によって立てられた天皇である。足利尊氏が光明天皇を即位させる前に天皇に即位しているので、北朝第一代の天皇に数えられている。
その光厳上皇が寺ヘの参詣のために行幸をしていると、土岐頼遠の一行にぶつかった。
上皇の供の者が、「院の御幸である。下馬せよ」と注意したところ、「なに、院というか、犬というか。犬ならば射ておけ」と言って、矢を射たのである。
(土岐頼遠め!院を虚仮にするにもほどがある)
頼遠は切腹すら許されず、斬首された.
(当然じゃ!院をないがしろにすればどうなるか、婆娑羅共も少しは思い知ったであろう)
婆娑羅とは、この時代の派手な格好をする武士のことで、体制に反発する無頼の者が多い。
すると、玄慧が土岐頼遠の件で北畠親房が異論があると言ってきた。
「三種の神器を持つ帝が、真の帝である」
という。北朝の光厳上皇は天皇ではなかったということである。
(…一理ある)
高徳は思った。(しかしこれでは婆娑羅共の肩を持つことになるのではないか?それなら直義の方がまだましなのではないか?)
高師直や師泰は、家来に「所領が少ないと嘆くなら、近隣の荘園を奪い取れ」と言っているという。直義ならそんなことはしない。
師直と直義の争いはやがて、尊氏と直義の争いに発展していった。
その頃尊氏の実子で、直義の養子となっていた足利直冬が、九州で勢いを得ており、直義に同調していた。
1350年、その直冬を尊氏が自ら討とうというので、直義は南朝に降伏するという思いがけない挙に出た。
尊氏は直義と一戦するが敗れ、尊氏はやむなく、師直、師泰を出家させるという条件で講和した。しかし直義は条件を破り、師直と師泰は直義派の上杉能憲に殺された。
尊氏は機を見て直義を討とうとし、直義は関東に逃れた。
そして尊氏は、直義と戦うために、南朝に降伏してしまうのである。
「わっはっは!遂に我らの時代が来たか!」
高徳は久しぶりに上機嫌だった。
尊氏は南朝の後村上天皇から直義追討の綸旨を受け、鎌倉の直義を降伏させ、さらに毒殺した。
しかしその間、京を守る尊氏の嫡男義詮に、後村上天皇の帰京を求め、義詮を京から追い出して京の奪還に成功した。時に正平6年(1351年、観応2年)。
そして北朝の光厳上皇、光明上皇、崇光上皇(後村上天皇に廃位されたため北朝の天皇は不在)と皇太子の直仁親王を賀名生に幽閉した。
困った義詮が行った手段は、それまでにない、驚天動地の手段だった。

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