見出し画像

私たちはどう生きるべきか

昨夜急に思いついて話題の映画「君たちはどう生きるか」を観てきた。わざわざ観に行ったわけではなく渋谷の帰り道に思いつきいつもの駅を乗り越し映画館に向かった。その映画館では18時台の上映、カウンターでチケットを買い久しぶりに館内に入った。
この映画館は6回入ると1回無料で映画が観られる。でもコロナで最近行ってなくて1年経過のポイントからどんどん無効になっていった。確か1年前は7ポイントあったと思うが今日確認するといつの間にか0ポイント。それだけ映画館とご無沙汰していたわけだ。

館内で久しぶりに観たスクリーンはすごく大きかった。コロナ禍、家の43インチで充分満足していたけどやはり映画館のスクリーンは見応えがある。本編前に始まる映画予告を観ながらそう思った。たまには映画の為にこうしてやってくるのもいい。
本編が始まる頃には席が80%くらい埋まっていて、「予告広告無し」というワイドショーやネットニュースの見出しの影響力を感じた。私もその一人でいつもどおりと違う一風変わったこの後付けの広告がより興味を引き出してくれた。もしかしたらいつも通りの予告をテレビで見ても映画館には来てなかったかもしれない。
もうひとつ思うことは賛否の2分割。じゃあ自分はどちらなんだろう、という映画鑑賞後の興味も湧いた。私はどっちのグループに入るのか、これは実際に行って自分自身で確かめるしかない。同じような気持ちで足を向けた人も案外多いのではと周りの人の背中を見ながら思っていた。

「君たちはどう生きるか」
原作は1937年の吉野源三郎著の小説。本田潤一(愛称:コペル)という名の15才の少年が主人公。映画では牧眞人(マヒト)が主人公。
映画の中の背景は実写をイラスト化した物とあのジブリの独特の絵が融合していて部屋の中が特にリアリティがあった。登場人物がどの人もどこかで聞いたような声に聞こえるけどまったく誰か判らない。話に意識が惹きつけられて誰か考えている時間も無かった。エンドロールで有名な俳優さんたちの名前を見て初めて「あー、そういうことだったんだ」と気づいた。そのエンドロールも登場人物と俳優名を結びつける表示ではなくただ俳優名が上から順に並んで出てきた。家に帰って改めて登場人物と俳優名を確認した。予告も無く予習もせずに突然観に行ったのでそれが返って良かったと思う。俳優の先入観無しに観ることができた。(個性的な有名人ばかりだった)
内容に関してはまだまだこれから観に行く人が多いと思うのでここには書かない。知りたい人はあらすじが読める場所を検索してほしい。

映画はあっけなく終わった。特に感動しみんなが泣き始めるようなシーンは無く、エンドロール終了と共に天井の照明が点き、感傷に浸る間もなく一気に皆が立ち上がり階段を降り始めた。誰かと一緒に観ていた人がすでに感想を話し始めている。きっと自分と相手がどちら側かを確認したいんだろうと思った。同じなら同調しあい、違っていたら更に深い話ができる。
この作品タイトルは年齢によってもかなり違ってくるのではと感じる。若い人には妥協せず冒険心を持って積極的に人生に向かっていく指南書に映るだろう。人生の折返し点を過ぎた年齢だと過去に手にしていた物たちにもういちど光を与えたり、今持つ物と持ててない物があるとすれば手元にある物たちに有難味を感じ壊さないようにというメッセージにも感じる。遠回りをして最後に気づくのは今ある幸せ。在るから当たり前と思いその大事さに気づかず粗末に扱っているのは勿体無いことだ。
心の持ちようで幸せにも不幸にも感じる「コップ半分のお水」の話も思い出した。もう半分しかない、か、まだ半分ある、か。自分の気持ちの持ちようで幸福度はまったく違ってくる。

残りの限りある人生を平和に円満に笑って過ごせる為に、この映画を観た今日のことも自分の転換点として大切にしたい。1941年生まれの宮崎駿監督からの後輩たちへの「人生を見つめ直す為のプレゼント」だと思い、しかと受け留めたい。映画作りを辞めると一旦話していた宮崎駿さんがどうしても伝えたかったことだろうから。

👇 Twitterで見つけたので厚かましくも①②③を使わせていただきます 👇

タイトル上記画は Photo byjoe_5963 さんご提供


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?