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花火と言えば、「玉屋」と「鍵屋」


江戸時代、両国の花火大会では、打ち上げられた花火に向かって「たまや〜!」、「かぎや〜!」の掛け声が一斉にかかったそうです。

この掛け声は、江戸時代の有名な花火師の屋号の「玉屋」と「鍵屋」が由来といわれています。

両国橋

両国橋を挟んで、上流では玉屋が、下流では鍵屋がそれぞれ花火を打ち上げて、お互いに競い合ったそうです。

文化5年に「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗ったのが、玉屋の始まりで、その後鍵屋と玉屋の競い合いが両国花火の名声を高めたのです。

ところが天保14年に「玉屋」の出火で江戸の大火となり、玉屋市兵衛は江戸から追放、家は断絶されました。

鍵屋と玉屋が競い合っていた頃から、「玉屋」の方が人気が高かったらしいのですが、結果的に鍵屋だけになった不満と玉屋の結末を哀れに思った江戸の町衆が、両国の花火が鍵屋だけになっても多くの人が「たまや~(玉屋)」と、声を掛けたそうです。

これは俗にいうところの「判官贔屓(はんがんびいき)」というやつですね。
玉屋が追放された後に作られたこんな狂歌があります。

「橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ情なし」


何年か後に、こっそり江戸に戻った市兵衛が、「玉屋〜」という掛け声を聞いて、男泣きに泣いた・・・・・・というのは私の妄想です(笑)

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