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吉田松陰と高須久子の獄中の恋

梅は別名『春告草』とも呼ばれます。


奈良時代、「花見」と言えば梅の花のことでした。
冬の寒さに耐えて、真っ先に春の到来を知らせる吉兆の意味もあり、古来から伝統文様として愛されてきました。

春告草(はるつげぐさ)

婚礼衣装や晴れ着にも多用されてきた文様です。

着物にも多用されている


下の写真は映画『獄(ひとや)に咲く花』のワンシーンです。

近衛はなさんが演じた高須久子

この映画は吉田松陰と獄中(※野山獄)で知り合い、彼を慕い続けた実在した女性『高須久子』を描いています。

写真の(梅の着物を着た)シーンは、吉田松陰が江戸幕府の命によって処刑される為、江戸に連行される前夜の別れのシーンに、久子が化粧をし、この着物を着て、身を整えて別れの挨拶をする場面です。

久子が松陰に贈った絶唱ともいうべき別れの句は
「手のとはぬ雲に樗(あふち)の 咲く日かな」

それに対する松陰の返句は、
「高須うしに申し上ぐるとて」として振りしぼるような一句です。

吉田松陰は日本の夜明け、つまり明治維新を見ることなく、散っていきましたが、久子が着た梅模様の着物は、松蔭の教えのおかげで日本に春がもうすぐ訪れることを告げたかったのだと思いました。

久子の胸の内には花嫁衣装の意味もあったのかもしれません。

江戸送りになる当日に松陰が久子に送った句は、
「一声をいかで忘れんほととぎす」

松蔭にとっても久子は最初で最後の「恋しい女性」でした。

獄(ひとや)に咲く花

吉田松陰(享年30歳)の辞世の和歌は
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留置かまし 大和魂」

獄に咲く花とは・・・梅。

梅は別名『春告草』と呼ばれます。



※野山獄は、長州藩の士分(武士階級)の者を収容する上牢。収監されている囚人同士が比較的自由に交流でき、武器以外の私物も持ち込める獄。女囚としては久子は紅一点。二人の恋は、心でのみ結ばれた獄中の恋でした。
・吉田松陰生誕180年記念映画『獄(ひとや)に咲く花』

和文化デザイン思考 講師
成願 義夫(ジョウガンヨシオ)


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