「流線形亅に憧れた時代
「ムダに美しい、昔の「流線形」
20世紀の初頭、絵画や彫刻に代表される作風に、立体派、シュールリアリズム、それにフォービズムなどの各前衛流派が活動を極めた。
それと平行して未来派といわれる主張がデザイン界に広がった。
特に『流線形』と言う未来とスピードを連想させる形が車のデザインに大きく反映された。
今見ると『過度にデコラティブな空力ボディー』と言う表現が的確かもしれない(笑)
それは車に限らず列車などにも活かされた。
近年のフェラーリやランボルギーニなどの、スーパーカーの科学的空力ボディーとは明らかに違うのも面白い。
科学よりも人間のイメージが優先された『流線型』だ。
近年、車のセダンやクーペが売れなくなり、自動車のデザイナーに求められること、そしてニーズが明らかに変わってきたと、関係者が言っていた。
現在では、ご存知の通り居住性や機能性を優先させ、極力無駄を排除したワンボックスカーが全盛となっている。
私から見たら、美しさを感じない、魅力のないデザインだ。
無駄に美しいが、無意味であってはならない。
私は今、このキーワードがとても大切だと思っている。
なぜならば、AIは無駄を排除するからだ。
つまり『無駄』にこそ人間らしさが込められるのだ。
しかし、決して「無意味」であってはならない。
遠い過去を振り返ってみても、日本人の伝統的美意識が作り上げた物の多くが無駄に美しく、有意味なのだ。
つまり本来機能性が優先され、シンプルが求められる物であっても美しさが優先されている。
「美しくなければ使う価値がない」と言うのが私が受け取る先人たちからのメッセージだ。
最近、若者の車離れの一因が、実は「美しい車が無くなってしまったから」ではないかと思っている。
「美しさ」は、夢や憧れに通じるからだ。
私のような考えは、既に時代遅れかもしれないが、
それにしても、流線形は美しい。
デザイナー 成願義夫
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