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【名盤レビュー】Shadow of Wizard / ピュエラ(1999)

Shadow of Wizard / ピュエラ

独特な編成で、コテコテ系における打ち込みの在り方を変えたピュエラの1stミニアルバム。
1999年にリリースされた、彼らの唯一の単独CD作品となる。

作品の詳細に入る前に、彼らの特異性に触れる必要があるのだけれど、本作はVo.ライ、Gt.キヨト、Gt.クルスという編成で制作されている。
当時のコテコテシーンは、バンドサウンドこそ至高という認識が根強く、音の厚みが重視され出した中で、生音を再現できるレベルの機材が存在していなかった。
そのため、打ち込みによるリズムは音が軽いと呪詛されていたのである。

その潮流を逆手に取ったのがピュエラ。
生音に近づけるアプローチではなく、無機質なインダストリアル、あるいはダンサブルなデジロック風に加工して、打ち込みであることを前面に押し出したサウンドは、極めて新鮮に映り、大きな個性となっていた。
象徴的だったのは、4人目のメンバーが加入するというアナウンスとともに発表されたのが、Gt.シャチ。
ベーシストでも、ドラマーでも、ましてやキーボーディストでもなく、3人目のギタリストを求めたところに、彼らの狙いが透けて見えるだろう。

惜しまれるのは、メンバーの固定化ができなかったこと。
インパクトを高めるはずだったシャチはアーティスト写真が出回る前にあっさりと脱退。
バンドの顔となるライも、飛ぶような形でバンドを離脱し、評価が定着する前に空中分解してしまった。
もっとも、ライの後任として抜擢されたのが、現在はLemのVo.yuraとして表舞台に復帰した憂羅である。
男声ヴォーカルから女声ヴォーカルに、というメンバーチェンジは、彼らの活動時期から四半世紀経とうとしている今でもレアケースと言え、ただでさえ女性メンバーへの風当たりも強かった当時において、タブーに挑戦し続けたバンドであったという見方もできそうだ。

ザクザクと切り刻む尖ったギターと、コテコテバンドに映える艶やかな歌声。
メロディアスな楽曲とハードな楽曲を、それぞれ前半、後半に固めて極端化した構成は、イベントにおけるセットリストを思い起こさせる。
ミニアルバムとしてバランスが良いとは言えないが、打ち込みを前提にしたバンドがライブ感を意識しているというのも、皮肉というか、挑発的というか。
強みをわかっているからこその采配であった。


1.

シンセのフレーズによって、どこか切ない旋律を紡ぐSE。
作品上のクレジットはなく、「C.o.S 」が1曲目と表記されているが、1分弱のインストで心の準備を促すことで、キラーチューンの爆発力を高めていた。

2. C.o.S

「カメラ・オブ・スキュラ」というタイトルでデモテープに収録されていた楽曲をリテイク。
音圧が増したからか、細かい音が聞こえるようになったからか、明らかに化けたといったところで、短期間で進化を遂げたナンバーと言える。
ゴージャス感のあるシンセも演出効果を高めており、打ち込み色を強めたのが奏功。
メロディアスに疾走する王道感が、新鮮なアレンジで上書きされ、大きなインパクトを放っていた。

3. レクイエム

機械的に打ち込まれたシンセベースがウネウネ動いて、独特な世界観を構築。
取り込まれたラテン調のリズムと、妙な浮遊感を与えるメロディ運びが、異国情緒を生み出している。
全体的に軽快でダンサブル。
サビのメロディがファルセットに突き抜けていくのも気持ちが良いのだけれど、コテコテバンドらしからぬポップさを自然に受け入れてもらえる懐の広さには目を見張るのである。

4. あやつり人形

ギラついた打ち込みと、シャウト。
ハードな音像になり、攻め立てる楽曲が増えていくフェーズだが、こちらは幾分メロディアスなイメージも残されていた。
インダストリアルなアプローチで差をつけて、激しく疾走。
もっとシャウトを多用しても良さそうだが、この楽曲において注目すべきは自由なギター。
細かく刻んでいたかと思えば、次の瞬間には動き回っていて、リフの印象のほうが強いぐらいだ。

5. 月と君とボク

同じくハードに立ち振る舞うのが、ラストに配置された「月と君とボク」。
ワンフレーズとシャウトの繰り返しで攻め切る楽曲だが、5分程度の尺があって、サビではメロディアス性も際立つ構成になっていた。
ややイメージが「あやつり人形 」と重なるが、おそらくはそれも戦略。
前半と後半で、近いタイプの楽曲を固め打ちすることで、両極端を表現しようとしていたのかもしれない。


総評として、ダークなコテコテスタイルと、打ち込みサウンドを掛け合わせたハイブリッド。
特にメロディアスに振り切った前半が印象に残りやすく、キラーチューンとなっていた。
後半でも強烈なインパクトが出せていれば、名盤の座は不動だったはずだが、彼らがこの路線を貫く以上は、激しさも要求していきたいところ。
やや極端ではあるけれど、バランスについては妥当かもしれない。

なお、誰もが思うことであるが、憂羅の歌うピュエラの単独作品も聴いてみたかった。
一番尖っていたトリプルギター編成の時期の音源が、ほぼ残っていないのも不運。
本作単体でもっと評価されても良い作品であるのは間違いないが、何かもうひとつ実現出来ていれば、その蓋然性は高まっていたはずだ。


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