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はじまりの日(11)

「え?」
「お迎えいきたい」
言うが速いか、玄関走って向かった。
「ちょっと、タク、待って」
「はやく、なっちゃん」
「どこまでお迎え行くの?」
「うみ!」
 匠は青いビーチサンダルを履くと、引き戸を思い切り右に引いた。
 夏の湿った風が潮の香りを運び、玄関から家屋に舞い込んできた。
 海まで手を繋いで歩いていくと、匠は砂浜を駆け、波打ち際で足を海水に浸しながら
「ママーっ」
と、叫んだ。
 菜月が波打ち際に追いつき、黙って海面にたゆたう月を見つめていると、
「なっちゃんも探してよ」
と、匠に怒られた。
 怒られた菜月は夜空に浮かぶ金色の島に向かって声を張り上げた。
「愛由美ちゃーん、紗都美ー!」
 そうして菜月ははっとした。
 紗都美の名前を口にしたのはいつぶりだろう。
 心の中で紗都美や愛由美に話しかけることはあっても、声に出して二人の名前を呼ぶことは、もう随分と長い間していなかった。
「紗都美ー!どこにいるのー?紗都美ー!紗都美ー!」
「ママーっ」
「愛由美ちゃーん!紗都美ー!」
「ママぁー」
 気づけば匠は海水の中に立ち尽くしてわんわんと夜空に向け大声で泣いていた。「マーマーぁ」と力の限りに叫び続けている。
 その足元を小さな波が寄せては返していく。
 泣いているのは匠一人ではなかった。
 見上げた月が妙に歪に見えると思ったら、菜月の目からも大粒の涙が次々に溢れ、波間に落ちていった。
 二人は願い事を叫ぶように、紗都美と愛由美の名前を声が枯れるまで叫び続けながら夜の帳が降りた浜辺を彷徨った。
 繋がれたお互いの手だけが命綱であるようにぎゅっと力を込めて、波打ち際をどこまでも歩いた。
 当然、望む影を掴むことすらもできずに家に帰り着いた二人は、力尽きるように玄関に倒れこむと、そのまま折り重なるようにし、そこで朝を迎えた。

つづく

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