02 子ども時代のコミュニケーション能力
「0⇒1の元・引きこもり主婦 ~見知らぬ土地で友人0、親戚0の引きこもり育児から友達1800人作って3人の子を産み、起業する一人の30代主婦の話」
第2話です。
みなさんこんばんは。
今日は、これから忘年会でわくわくドキドキしているさかたです。
前回、お知らせしたクラファンですがなんと2日間で43%→67%まで到達しました。(60万円のクラファンなので、約14万円の支援が獲得できました。
この場からも お一人お一人に感謝を申し上げます。
支援してくれているのは、いつもはぴ育マルシェに来てくれているお客様や、ボランティア会員の皆様、市内にお住まいの皆様です。
1月14日まで、支援していただくことが可能ですので宜しくお願い致します。
さて、今日は、
私の幼少期と、地元である兵庫県丹波篠山市について、分けてお話させていただきます。
私は兵庫県神戸市で生まれ、2歳のころに阪神淡路大震災に被災し、5歳から兵庫県丹波篠山市へと移住しました。
この町には、母方の祖母と祖父が住んでいました。
小学校1年生の5月ごろに引っ越した私。
運動会2週間前とかかなり直前での引っ越しだったようで、
運動会のダンスがぜんっぜん覚えられず、当時は幼稚園に1年しか通えない仕組みだったので、幼稚園生がいきなり新しい土地・環境にぶち込まれ、なんかぐちゃぐちゃなスタートだったような気がします。
はじめての運動会は、出来なくてものすごく恥ずかしかった記憶しかありません。
結局それから友達も何人か作ったものの、コミュニケーション能力が相変わらず低かったので、小学校2年生ごろからはいじめに遭います。(この話は後日)
子どもの適応能力って結局、【生きる術】だと思うんですね。
それって、「適応しないと死ぬかも」みたいな生存本能みたいなもんで、「子どもはすぐに慣れるから~」とか、「この子なら大丈夫」とか安易に子どもの環境を大人の都合で振り回さないで欲しい。
それがいくら子どもの為であったとしても、都合があって振り回すなら、振り回す前に、しっかりと目を見て同意を得てほしい。そして、フォローも欠かさずに。今、子とともに新しい環境を考えている大人の皆さまに少しでも響けば幸いです。
次回は地元について書かせていただきます。
忘年会、行ってきます!
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古河市ボランティア団体はぴ育ママーズ
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