自身の「経験」と臨床
少し遅くなりましたが、今年も宜しくお願いいたします!皆様、年末年始はゆっくりできたでしょうか?それとも慌ただしかったでしょうか?
私は、年末年始は酒を飲んでゆっくりしていたのですが、仕事始めからかなりバタバタとしていおりました。
というのも、一月末日で退職になるためです。
引継ぎが結構大変でした…。今は有給消化を満喫しております。
退職のときの挨拶は何を話そうかと考えていたときに、自分の「経験」は今後どのように役に立つんだろうか、なんてことが頭をよぎりました。
知識を得た、みたいなのはわかりやすいですが、悩んだり、困ったり、楽しかったり、そういった経験をどう今後に活かすかみたいなのをどう表現すればよいのか…。
取り留めない感じにはなりそうですが、退職の挨拶を考えときに頭に浮かんだことを書いていこうかと思います。
経験を言葉にすること
さて、コロナが流行ったこの4年間は何が大変だったのでしょうか。
病院の業務では「管理」という側面が一層強くなったことに、患者もスタッフも苦しめられたのではないでしょうか。
社会とのつながりを断たれたために、作業療法中に家族とテレビ電話をしたり、電話の使い方を練習するということも多かったような気がします。
作業療法士としては外出の練習が行いにくくなったり、買い物、調理練習なども行いにくくなったこともありました。
作業療法士の私であればそういった側面を作業機能障害あるいは、作業的公正という形で事例をまとめることが時折あったように思います。
経験を振り返るためには何らかの言葉にできることが必要ですが、作業療法の概念は、私の経験をまとめるのにとても役に立ったと思います。
一方で経験をまとめる知識がないと、経験を振り返る、今後に活かすということが結構難しいようにも感じます。
傷ついた治療者
自分が傷ついた経験、そして自分がその時に癒された何かで次は人を癒す。
自らの経験と、今、目の前にいる病めるクライエントと病んだことを共有すること。
共有することで治療者も当事者としての感覚を持ちやすい、ということなんじゃないかなと思っています。
自らが病んだ経験があることで、経験を共有しやすくなる。というのがキモなんだと思っています。
作業療法って、遊び、仕事、セルフケア…みんな経験があることなので、自らの生活が豊かであることによって、経験を共有できることが増える気がしています。良い経験も、もちろん、悪い経験も。
一方で「子育てしたことがないと、子供のリハできない」みたいな経験ベースの話を時折聞きますが、経験だけで臨床するわけではないのでそれは違うと思っております。
子育てという経験が臨床を豊かにすることはあるかもしれないですが、子育てしたからって子供のリハの知識がないとやっぱり難しいですよね。
知識を持ったうえで現場で経験を積まないといけないのはどの領域も同じかと思います。
自分の生活を豊かに
時には辛くて苦しくて、病みそうになる経験も「傷ついた治療者」のように貴重な経験になるかもしれません。
一方で、心と体が健康であることで様々な経験をしたりすることが出来るとも思います。
個人的には、療法士としては、心と体を病むことなく、燃え尽きることなく細く長く続けることが、色んな経験をする近道かなと思っていおります。
最近、何を勉強をすればいいですか、と聞かれたときに、その時に必要なこと、興味があること、とあわせて、作業療法理論などを勉強すると良いのではというふうに伝えることが多いです。
興味があることがありません、と言われれば、家事だったり趣味だったり、自らそういうことをした経験が意外と臨床に役に立つのではという話をします。
自ら色々と経験することが、臨床にも反映されると感じた、30代前半でした。
おわりに
さて、実は括弧ありの太字は私の退職の際の挨拶の引用でした…笑。口から出まかせでしたが意外といいこと言ったかなと思ったので何をしゃべったのか忘れないうちに少し書いておきたかった…笑。
というわけで、今年もぼちぼち、色々とやっていきたいと思います。ではまた!
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