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「愛してる」が言えなかったから辛かったんだな

「好き」だけでどこまでも行ける時代は、いつまでなんだろう。

子どもを産むことや、結婚することを考え始めると、
ある時期から「好き」だけでは、
一歩踏み出すには、不十分になっていた。

「好き」だけど、「一緒に生きて行けなさそうな人」
と付き合っていたことがある。

もう、それはそれは「好き」だった。
そして私は、未来ばかり想像して悲しんだり寂しがったりする女の子だった。

「幸せだなぁ」と感じる時、同時に
「でも、この人とはいつか別れるのか」と悲しくなって、
『幸せ』というトリガーによって『悲しみの涙』を流してしまう程、
(良い言い方をすれば)感受性が豊かだった。

最終的に、私の心はその人にどっぷり依存してしまい、
その人からLINEの返信が2日ないだけで病んでしまう程、
自分を保てなくなってしまった。

友人の力を借りて、別れた。

「何で別れたの?」と人に聞かれたら、
「好きすぎて別れた」と答えた。

とにかく、大好きだった。

✳︎

ある日、その人と、数年ぶりにまた会う機会があった。

相変わらず、私のタイプ、ど真ん中な人だと思い知った。
顔も声も仕草も、とにかく色々全部、「タイプだなぁ」と思った。

でも、昔のような恋愛にどっぷり浸かる感覚はなく、
(恋愛的に)「好きなの?」と友人に聞かれると
「普通に好きって感じ」と言うのが、素直な気持ちだった。

何度かデートして、当時夢に見ていたような、
本当に素晴らしい時間を過ごした。

でも、やっぱりその人は、
「一緒に生きては行けなさそうな人」だった。

正直なところ、再会した当時、私は、
「この人と結婚するかもしれないな」
と思っていた。

でも、話していると、
どうやら、その人にとっては違うらしいことが分かった。

「一緒に生きていけないんだな」
ということがわかってくる直前に、私は、
『本当の望み』に気づくという体験をしていた。

私の本当の理想のパートナーシップは、
「その人といる私が、一番私らしい」と思えるパートナーシップであるという気づきを得るという経験。

そしてその関係は、おそらく、
『地の時代』に常識とされていた、
「家族はいつも同じ家にいて、妻が夫を支えて…」
のようなものではなく、

多分私はビュンビュン動き回っている、
もしくは、動き回ることができる環境。

パートナーは、
「いっといで〜!こっちは任せて!それでこそ咲希!」
みたいな感じで私の活動を支えてくれている。

かと言って、パートナーに無理をさせている訳ではなく、
お互いにとってそれが最高に幸せで、「しっくり来ている」感覚。

そして、
「あなたのおかげで最高の人生だよ。ありがとう。」
と、お互いに感謝が溢れてくるような関係性。

子どももいる。

具体的な方法は分からないし、
そんなものは先に決めるものでもないから考えないけれど、
この感覚で生きていくパートナーシップを、
私は最高だと思っている、
ということがわかった。

そして、その元恋人とは、結婚したとしても、
そういうパートナーシップにはならなそうだなぁ。
とも、考えていた。

そんな矢先に、
元恋人とは「一緒に生きていけなさそう」
だということが、わからされる事象が起きたのだった。

その時の私は、何か大いなる存在からのメッセージを受け取っているような気持ちだった。

『あなたの道は、この人といる道ではないよ』
『本当の望みがわかったんでしょう?』
『本当の望みにつながる道に、戻りましょう』

「自分の本心に従って生きること」以上に
大切なものなど何ひとつない私にとっては、
この声に従う他ない。

ということは、つまり、
『お別れ』である。

私はまた、大好きな元恋人と、お別れをしようとしていた。

そもそも付き合っていた訳ではないので、
別に何も言わずにフェードアウトすることも可能ではあるのだが。

でも、伝えたいことがたくさんあった。

まず、「大好き」ってこと。
『愛してる』ってこと。

「愛してるよ。恋愛の規模になんて、収まらないくらい。」
「おばあちゃんが孫を愛しているように、環境が変わっても、生きてても、死んでても、変わらないような質の、“愛してる” だよ。」
「私が例え誰かと結婚しても、変わらないものだよ。」

不思議なことに、
『愛してる』ということを伝えるときが一番、
涙が出てくるのだった。

ドリカムの、
《ねぇどうして すごく愛してる人に
 愛してる というだけで ルルルルル
 涙が 出ちゃうんだろう…》

という歌詞は、本当だったのだ。

「愛してるよ。」
「大好きだよ。」

多分ずっと、一番伝えたかったことは、
『愛してる』だった。

数年前に別れた時も、きっと。
『愛してる』を、もっとちゃんと、伝えたかった。

お別れするのは、誰かが悪いからじゃない。
ただ、歩む道が違う、というだけ。

だから、
『愛してる』を、たくさん伝えた。

正直、『愛してる』ってことが伝えられれば、
あとはどうでもいいかもしれない、と思えてしまうくらいに

私は、きっと、
『愛してる』と、伝えたかったんだろうなということが、
溢れ続ける涙と、内側から湧いてくる喜びの感覚でわかった。

ちゃんと、
『愛してる』を伝え切ったから、
今、人生で一番、清々しい『別れ後感』(読後感、的な)の余韻に浸っている。

『愛してる』を、伝えられて嬉しい。
きっと、これまでに経験したお別れも、
『愛してる』を、ちゃんと伝えられなかったから、
辛かったのかもしれない。

人は、『愛してる』さえ伝え合えれば、
大体のことは、乗り越えていけるのかもしれない。
なんて、考えていた。

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