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龍宮城 SPRING TOUR 2024 「DEEP WAVE」レポ&感想ーI’m going DEEPー

※あくまで主観のレポ&感想です。
※特に印象的だったので羽田2部中心のレポとしていますが、他の日程にも参戦しているので、総括的な感想も入っています。
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【まえがき/開演前】

2024年、4月1日。

世の中全体がそわそわした雰囲気に包まれ、
どこか新しい朝の気配を感じる日。

あいにく、桜の開花は例年より遅れ、どこか寂しい風情の門出の日となってしまった。

しかし、羽田空港から程近い、近未来的な雰囲気漂う街、「羽田イノベーションシティ」の一角のライブハウス「Zepp Haneda」の周辺一帯は、様子が違った。

曇天にも関わらず、そこだけ正に、春真っ盛りだった。
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推しがピンクを着た日、オタクに春一番が吹く。

思い出すのは、2024年2月29日、深夜。
龍宮城2nd EP「DEEP WAVE」に伴う新ビジュアルが公開された日だ。

事前に公開されていたイメージ画像は、「水が入った桶を掴む手」/「廃墟風のプール」等だった。
なのでてっきり、水を思わせるような、青色を基調としたビジュアルなのかと思いきや。

7人共、全身ピンクだった。
あの衝撃は忘れ難い。

そして、「ピンクの衣装」と一言で言っても、実際には布の質感や形、色の絶妙な違いにより、一人一人の美しさと個性が際立っていて、そのバリエーションの豊富さに驚いた。
きっとピンクもまた、200色あるのだろう。

幻想的で美しいビジュアルに見惚れつつ、突然訪れた春の気配に胸が躍ったのを覚えている。

その結果が、今日のこの景色である。

駅周辺、コンビニ、飲食店、会場付近のベンチ。
いたるところで目に入る、様々なピンク色。 

トップス、スカート、パンツ、小物、アクセサリー、髪色、ネイル、ライブグッズ、etc… 
街並みが近代的でクールな雰囲気であるぶん、その色は際立って鮮やかに目に飛び込んでくる。

思い思いにピンク要素を取り入れたファン達で賑わうその景色は、ライブを前に浮き足立った雰囲気も相まって、正に一足早い春の訪れといった様子だった。

そして、会場に入る前から、DEEP WAVEの世界が広がっているようで、何だかわくわくした。

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着席して身支度を整える。
開演前の、この時間が好きだ。

何となく周囲を見渡してみたり、グッズを意味もなく光らせてみたり、開演前BGMの選曲に思いを馳せてみたり。
そわそわしながら、期待に胸を膨らませる。
この時間もライブの醍醐味だと思う。

開幕が近づくと、
どこか物悲しい、揺蕩うようなメロディが流れてくる。

“みんなひとりぽっち 海の底にいるみたい”

中島みゆき「孤独の肖像」
このツアーにおいては、この曲が必ず、開演前BGMの最後に流れた。
じっくり耳を傾けると、少しずつ意識が水底へ沈み込んでいくような感覚を覚えた。

きっと既に公演は始まっているのだ。

“消えないわ心の中 消せないわ心の中
手さぐりで歩き出して
もう一度愛をはじめから”

リフレインと共に、意識は深く深く研ぎ澄まされていく。

照明が落ち、観客が立ち上がる。 
舞台幕が中央から割れ、左右にゆっくりと開いていく。

【本編】

開幕

目の前に広がっていく、この世ならざる世界。

舞台中央から放射線状に放たれた、鮮やかなピンク色の光。その光によって、舞台全体が幻想的な靄に包まれているようにも見える。
そこに佇む6つの人影。各々ポージングしており、彫像のように美しいシルエットに息を呑む。
彼らもまた、ピンクに統一された衣装に包まれている。

幕が完全に開くと、その全容に圧倒される。

天井から逆アーチ状に、左から大、中、小と3つ吊り下げられた大きな白い布。
上手奥に配置されているのは、これも白基調の大きな布である。テントにも見える形をしていて、頂点はまばらに4、5点、裾にかけて緩やかに広がっている。
先述した、天井に吊り下げられた布とテント、そしてメンバーのポージングとある種奇抜な衣装とが相まって、幻想的なサーカスのような印象も受けた。

背景には、大部分は青、一部は赤を基調とした、筆で描いたような雰囲気の、迫力に満ちたアートが掲げられている。
力強い白い線に彩られていて、私は波飛沫や流水を連想した。(どことなく鯨のようにも?見えた)
そして、そこには確かに和の趣を感じる。

舞台上は和洋折衷、まさにオルタナティブな唯一無二の雰囲気を醸し出していた。

ただ圧倒されていると、白いテント型の幕から、唯一舞台にいなかったメンバー、KENTが現れる。
そのまま彼らは誘われるように集い、KENTを中央にして、6人が囲うような(支えるような)フォーメーションで立つ。

そして波間に漂うように、ゆっくりと揺れながら龍宮城は歌い出した。

LALALALALA…LALALALA….

揺蕩う様な柔らかいコーラスが会場を包んだ。

1.BOYFRIEND

この一曲目を誰が予想できただろうか。
初っ端から新曲、BOYFRIENDのライブ初披露である。

また、この楽曲はEPの中で、ソロ曲の位置付けであったため、KENT1人で歌う可能性も考えていたが、他6人もダンス&コーラスを担うことがこのツアーでわかった。

舞台の上で踊り出した7人は、開演前に思い描いていた想像を遥かに超えて美しく、思わず息を呑む。 
現実離れしたその衣装が、この世ならざる存在感を一層際立たせているように感じた。

そして、楽曲の世界が広がる。
硝子のように透き通った繊細な響きの中に、激しさや強さを秘めた、感情豊かなKENTの歌声が、痛切なまでに心を揺らす。
それでいて、そのどこか軽やかさのある声質が、幻想的な舞台の色合いと相まって、不思議な浮遊感も覚えさせた。

更に歌に加えて、7人全員のダンス、表情、仕草。
その一つ一つが、「僕」の胸の内を、その中にある情景を表現し、胸を締め付ける。
 
彼らはとても美しい。だからといってそのパフォーマンスは、きれいな形だけを真似たり、なぞったりするような半端なものではない。
人の魂の灯火が、リアルに、切実に、生々しく揺れ動く、その様までも描こうとする。 

これが龍宮城だ。
一曲目からその表現の深さを喰らった気がした。

“抱きしめて、鍵は閉めて”

KENTの歌声の余韻が、一時、息すら忘れさせた。


すると突如、時計の針の音が響きだす。
どこか時空を超えているような、彷徨っているような雰囲気の表現が繰り広げられる。

おとぎ話の龍宮城では、現実とは違う時が流れているのだ。
その場所へ私たちはきっと誘われている。

そして、静かに空へ持ち上げられるKEIGO。

2.DEEP WAVE

幻想の気配はますます濃くなり、私たちの意識を水底へと誘っていく。

楽曲が憑依した表情、歌唱、芸術的なコレオグラフィ。
この世ならざる圧倒的な美しさ。

それだけではない。

照明は幻想的な色合いを放ち、音楽に合わせて躍動する。
ステージを彩り、7人を照らし、光線を放つ。

天井に下げられた3つの白い布は、その布の両側に、線状の光源を纏わせている。光源は布のたるみに沿って緩やかなカーブを描いている。
それは楽曲の波長に合わせて、生きているかの様に光を走らせた。
赤、青、ピンク、自由自在に色を変え、鮮烈なグラデーションを創り出す。

巨大なスピーカーから放たれる音響は、低音は体の底から響くようで、優しい音は会場ごと包み込む様に広がる。

舞台に関するもの全てが感性を刺激し、私たちを深みへ誘った。

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KENTが皆に持ち上げられ、曲が終わると、その神秘的且つどこか蠱惑的な声が会場に響いた。

「龍宮城へ、ようこそ。」

既にここは水底である。
時間を忘れさせる、この世ならざる幻想の世界が幕を開けた。

3.SHORYU(→↓↘︎+P)

“巻き返せるかな?!”

Rayの絶叫に、会場が一気に沸き立つ。

初っ端から全員のエネルギーと気迫が凄まじく、神秘的なまでのオーラを放っており、圧倒される。

今回、曲の途中でダンスブレイクが挟まったのは新鮮でかつ、大変盛り上がった。

時に掛け声と共に拳を振り上げて、時にキャーキャー手を振って、そして音楽を喰らう。ライブ的な楽しさも詰まっているなと感じた。
(また個人的に、笑顔全開で手を振った後、瞬時に真顔で直立しゴリゴリに踊り出すところで、「龍宮城のライブに来たな〜」と強く感じる。)

そしてこの曲の、舞台に神聖なものを宿らせる儀式のような雰囲気の振り付けが好きだ。
さながら、龍宮城に龍神の力を呼び込んでいるような感覚である。

そして熱気に包まれた会場に、ギターの音が響く。
更なる熱狂の中、掛け声が響く。

「1.2.3.4!」

4.BLOODY LULLABY

そこに立っているのは龍宮城でもあり、404not   foundでもあったと思う。
そして観客もきっと、龍宮城のライブの観客であると同時に、地下のライブハウスで404に熱狂する観客でもあった。
お互いに一つ皮を被ることで、突き抜ける熱狂。

「騒げ!!!」
冨田の力強い煽りに一層盛り上がる会場。
ブラッディ・ララバイ!の掛け声が響く。

ただ拳を振り上げて叫ぶ。ライブ感が最高に楽しい。
そして、彼らがDEEPWAVEの衣装を纏いながらも、全く違和感なく私たちがこの楽曲を心から盛り上がって楽しめるのは、その深い表現力、憑依力あってのことだろう。
今こうしてライブ後に思い返して、初めてその事に気がついたぐらいだ。

「秘密を持った少年たち」の世界で演じた役が、7人の血肉となり息づいているのを感じた。

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曲が終わると、ITARUが口を開く。
[以下、台詞はニュアンス]

「まだだね。」
「まだまだ、血が足りないね」

その声色は文字通り血に飢えた夜行を思わせた。ここに立っているのは果たして誰なのだろうか。

「皆さんもそうですよね?」

その後、再び鳴り響くギター。
“1.2.3.4!”
先ほどより荒々しい掛け声の後、踊り出したその姿から、7人の纏うものが露骨に狂気を増したのがありありとわかった。

5.BLOODY LULLABY(2回目)

血の匂いが急激に濃くなり、表情、歌声、ダンス、全てが凶暴性を帯びる。
2回目、などと称するのは温いかもしれない。

血に飢えた夜行、その剥き出しになった本能が牙を剥く。
ありありと晒される、衝動、狂気、恍惚。
一回目の彼らとは、明らかに別の何かに変貌していた。

「狂え!!!」
地獄の底から響くような冨田の絶叫に呼応し、客席からも叫びに近い掛け声が放たれる。
一層高く挙げられる拳。無数の紫の光が蠢き、会場の熱気は高まる一方。
その様子も相まって、空間はどこか狂乱の雰囲気に包まれていく。

間奏、いつもはこの曲でほぼ一方的にRayに殴られていたKENTが、立ち上がり応戦する展開には息を呑んだ。
2人の命削る凄まじい応酬は、飛び散る鮮血が見える様な迫力だった。

こちらからはRayの表情しか見えなかったが、その顔は、最愛のライバルとの闘いを愉しんでいるような、生の実感に満ちている様な表情にも思えた。

このBLOODY LULLABYは、暴力的なまでのエネルギーに満ちて、しかしどこか清々しく、又、何より背筋が凍るほど美しいものだった。


後奏。7人が横一列に並んだフォーメーションになり、一人一人倒れていく。

最後まで残ったのは、ITARUとRay。
沈黙の中、RayがITARUに向かい薙ぎ払うように腕を振ると、ITARUが倒れこみ、残ったのはRayのみとなった。

[長台詞:Ray]

Rayは1人マイクを握り、独白の様に、台詞を放つ。
(一言一句の暗記はできていないため、ニュアンスや個人的に感じ取ったことを以下)

「もう、いっちゃおうって、顔を沈めた。」

張られた水に顔を沈めるが、まもなくして顔を上げてしまう。
乱れた呼吸が整うと、その顔が歪む。
一つ、舌打ち。

「余計な感情に、邪魔された。」

DEEP WAVEのMVの、赤い手に惑わされるRayのイメージが過る。

焦燥、葛藤、逃避。
その台詞の迫力は、真に迫った生々しい感情を浮き彫りにしていく。

この長台詞、正直本当にくらってしまった。
勝手な推測に過ぎないが、彼が、彼らがここに至るまでの、凄まじい葛藤の日々を感じ取らずにはいられなかった。

そして、Rayの語りそのものに、とにかく圧倒された。
間、強弱、表情、動き。
そして激しい感情を乗せながらも、言葉一つ一つ全て聞き取らせる技巧。
何より痛いほどに胸に迫る凄まじい迫力。

正に独壇場だったと思う。

あがき、もがき、その果てに。
諦め、逃避、それを繰り返し。嘘偽りのない気持ちを見出す。
今、ここに立っている”Ray”に辿り着く。

「ねぇ、Mr.FORTUNE。」
Rayがこちらを見る。

倒れていた6人が、ゆっくりと立ち上がる。

「Hey,Mr.FORTUNE」
「I’m going DEEP!!!」

6.Mr.FORTUNE

「いけるか東京ーー!!!!」

冨田の煽りによって、極度の集中状態から解き放たれたこちらの感情が爆発する。

意図せず反射的に叫んでいた自分に気がつく。

勝手に未来を占われることの苦しみ、怒り、焦り、言いようもない悔しさ。
きっと全てがこの曲にぶつけられ、彼らの剥き出しの感情が爆発する。

古参の友人が話していたが、この曲は、デビュー当時から比較して、ドスの効いた凄みをみるみる帯びてきているように感じると聞いた。

それは単純に実力の向上の成果も勿論あるだろうが、もしかしたら、受けてきた呪いの言葉に比例して力を増しているのかも知れない、と思った。
 
その迫力と狂気、そして込められた決意の強さにただただ呑まれる。

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曲が終わると、冨田が”異様な”ハイテンションで叫び出す。

「One,Two,Three,Four,Five,Six,Seven!!!」

番号順に各々ポーズをとるメンバー。
冨田の笑い声が響く。

会場の釣られ笑いも多少あったが、彼に漂う異質な雰囲気を感じ取ってか、すぐに会場は気圧されて押し黙る。
明るい狂気。冨田はその表現において、唯一無二の凄みのある何かを放つ人だと思う。

「狭すぎ。」
「ランキングはぶち抜き 合ーい!」

そして再度始まるMr.FORTUNE。
FCライブ「JAPANESE PSYCHO」でのみ披露済の、Rap ver(仮称)である。

7.Mr.FORTUNE:Rap ver(仮称)

番号順に一人一人「先生」の声で呼び出され、呼ばれたメンバーが真ん中に立ってラップをする。
残りの6人はその1人を半円状に囲み、合いの手を入れたり、時に煽ったり歓声を上げたりする。 

その様相と、ズンズン響く重低音も相まって、一気にアンダーグラウンドへと潜る会場。

「僕らはいつでも常に規格外」のくだりを、RayとKENTが向かい合って交互に言い合うような場面もあり、さながらMCバトルのようでもあった。
(0年0組で、感情を込めるために向かい合っての練習をしていたなと思い出す。後に調べ直したら完全版12話、”真珠たちの覚悟”だった。)

私情を挟むとしたら、私は特にライブで聴くMr.FORTUNEが、Rap verも含めて大好きである。

一人一人のリリックが、彼らに貼られたレッテルを逆手に取って、Mr.FORTUNEを嘲笑い、痛烈な反撃を繰り出すような雰囲気を感じて、めっちゃ喰らう。
あと、個人的なツボだが、普段どこか品の良さが漂う龍宮城が、この時ばかりは治安が悪くなる感じもギャップがあって好きだ。

内臓を揺らす重低音も、入れ替わり立ち替わり放たれる攻撃力の高いフレーズも、会場の熱気も歓声も音も光も全て。
全てが最高にエモーショナルで、全身が音に飲み込まれる感覚が純粋に楽しかった。

楽曲終盤。
Sが1人でMr.FORTUNEのフレーズを歌いながら、アコースティックギターを背負って現れる。

“だけども僕らは全然全開”

スタンドマイクが置かれ、歌い終わったSがギターを構える。そして弦を鳴らす。

8.RONDO

Sの弾き語り、独唱である。
伸びやかに透き通る声が胸に響く。

龍宮城はビジュアルやダンスの美しさも特徴的なので、どうしても五感がフルに働くが、独唱になると集中する箇所が絞られ、より歌詞と歌声の部分を深く感じられるようで、胸に響いた。

Sの歌声は、個人的には鋭さが印象に残っていたけれど、RONDOの弾き語りの声は、わざとらしくなく、でも、自然と隣で寄り添ってくれるような、そんな響きを感じた。
そして誤解を恐れずにいうと、「主人公の声をしている」と直感的に思った。

そして、アコギとS。私は玲矢とユキのことも思い出してしまった。
あの絶望より暗く閉じた世界に、この綺麗な歌声が入ってきたんだろうな。
言いようもない感情が込み上げた。

終盤、静かにKENTとITARUがSの両脇に佇む。
そのまま、SがRONDOを歌い上げる。

「そう思っているよ」

その後からのRONDOのコーラスを2人が歌い継ぐ。
2人は衣装が変わっており、青、水色を基調とした爽やかな色合いのものとなっていた。

2人の歌声が響く中、静かに深く一礼をして、スタンドマイクとギターを持って捌けるSに、心からの拍手の雨が注がれる。

そしてRONDOのコーラスはやがて、SENSUALへと旋律が変化する。

9.SENSUAL

SENSUALペアは、これまでのライブでは頻繁にメンバーシャッフルが行われていたが、今回のツアーでは本家SENSUALペアであるITARUとKENTが歌唱した。

やはり本家は素晴らしく、色濃く匂い立つのに瑞々しさを失わない表現が絶妙である。
その香りはどうしようもなく胸を締め付ける。

深く潜る、という事がテーマの一つであるからして、あえてペアを変えたりせず、この2人の表現としたのかもしれないと思った。
正に熟成することで香りが深まる、香水のような趣を感じた。

歌い終わり、2人が捌けると、
SENSUALのメロディが流れる中、Sと春空がやって来た。

この2人でSENSUALを披露するのかな?
と察した途端、突然GALみの高いRayが飛び込んでくる。

この布陣、まさか、、、と騒めく会場。
そのまさかである。

イカれた噂の新曲、SEAFOODのお披露目だ。

10.SEAFOOD

もう、そりゃいうまでもなく本当に楽しい!
この曲をライブで聴く事を心待ちにしていた人も多いだろう。

入れ替わり立ち替わり放たれる3人のラップはもう、バッチバチに決まっていて、更にその声色や歌い方がめまぐるしく変化していく。
洒落の効いた楽しい言葉遊びも、所々に散りばめられた攻撃力の高いリリックも最高だった。

演出で印象に残ったのが、「捌き!」のフレーズで舞台全体が赤く染まり、会場を眩い閃光が走るのだが、そのタイミングが完璧なのである。
正に、演者と音と光の総合芸術である。

「高まる水産!!」

老若男女問わず、この時ばかりは心のGALを解放するべきだ。
シンプルに最高なのである。

[寸劇]

3人が歌い終わると、4人のグラサン集団が袖からゆっくりと現れる。

KENT、冨田、ITARUの3人は、さながら過保護なSPといった感じで両手を広げ、中央に立つKEIGOを背にして囲いつつ周囲を警戒する。
KEIGOだけはハート型のグラサンを頭にひっかけている。ゆっくりと手を叩きながら現れる堂々たる様子からして、明らかにこのグラサン集団のボスである。
(ちなみにこの地点で全員の後半の衣装が明らかになる。表現が難しいが、青と水色を基調としており、赤のアクセントも入っていて、海のイメージがよぎった。また、背景のアートと色合いがマッチしていた。)

KEIGOは客席に拍手を促したあと、SEAFOOD組のほうに体を向ける。
台詞を聞くまでもない、明らかに煽りに来ている。
(以下、セリフはニュアンス)

「面白い!まだまだピッチピチだね!」
「そんな君たちに、とっておきのプレゼントがあるんだ!」

3人のしもべがグラサンを手に持って、SEAFOOD組に迫る。S、春空はそのままグラサンをつけられてしまうが、その途端様子が変わる。
どうやらグラサンをかけると、KEIGOのしもべになるシステムらしい。グラサンは洗脳装置の類なのである。
Rayだけは冨田からのグラサンを断固拒否し後退るが、洗脳済のSと春空に両脇から拘束され、冨田からグラサン係を引き取ったKEIGOに直々にグラサンをかけさせられる。

洗脳完了である。大人しく位置に着いて、リーダーに拍手を送るRay。
それに対し、教祖スタイルのお手振りでご満悦のKEIGO。

「みんな、よく似合ってる。」

ここまで完全にツッコミ不在。ライブにおけるお笑い要素がシュールコントとは、さすがのオルタナティブ。その独特の雰囲気が癖になる。

KEIGOがこちらに振り返る。

「みんなもなりたいよねぇ?」

あっ、成るものなんだあれ。
そう一瞬思ったが、ここは素直にFoo!と叫んでおく。確かになれるもんならなってみたい。

11.JAPANESE PSYCHO

龍宮城初のコールアンドレスポンス曲だけあって、レスポンスがかなり浸透しており、一体感が凄かった。
掛け声と共に高く上がる無数の紫の光、正にダンスフロアといった様相だ。

しかしこの、「領収書」「請求書」などの謎コールが浸透している様子、いい意味で独特でとても楽しい。
龍宮城は現在、ファン層もかなりオルタナティブだが、皆一斉に「領収書!」と叫んでいると、どんなにタイプの違う人が隣にいたとしても、謎の親近感が湧いてくる。
この世で領収書!と絶叫する人種は、恐らく私たちと経理くらいなものである。

元祖、本家、JAPANESE PSYCHO。その怪しさと迫力はやはり尋常ではない。 
(たまにしみじみ思うのだが、KEIGOが表現の道に進まなかった可能性を考えると、その機会損失ぶりに恐ろしささえ覚える。ありがとうスカウトマン)

さらに、所々歌い方にアレンジが加わっており、それが声量や迫力含めてまさにぶっ飛んでいて、あまりに格好良かった。

「ここは龍宮城!!!」

熱狂的な歓声と拍手が湧き起こる。

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最高に盛り上がった会場に、LATE SHOWのイントロが流れ出す。
自然と湧き起こる手拍子。
ここで一旦役を脱いだ龍宮城が横一列に並ぶ。

12.LATE SHOW

KEIGOが言葉を届けてくれる。
驚くべきことに、このLATE SHOW前のメッセージと、終盤の挨拶、私が見る限りは全公演内容が異なった。

地獄を突き進む龍宮城。そのリーダーとして在り続けているKEIGO。
だからこそなのか、どの言葉も素直に心に入ってきた。
(メッセージに関しては特に、細かいニュアンスのレポが難しいため総括的な感想のみ)

龍宮城は、何かに挑戦する人の背中を押す曲を届けてくれる。そして、一緒に走ってくれる。
個人的に響いたのが、他の部の口上だったかと思うが、「何を始めるにも遅すぎることはない」というニュアンスの言葉があったと思う。
いやいや、若い君にそんな事を言われても。と感じるかと思いきや、そうならなかったのが自分でも不思議だった。

きっと龍宮城が、表現する事や、挑戦することに臆さない姿勢を見せ続けてくれているからだろう。
歌、ダンス、芝居、文章、絵、動画など。経験未経験関係なく、彼らはあらゆる事に挑み続けている。

時に笑われて、陥されて、好奇の目に晒されて、それでも表現を続けるのは正に修羅の道だ。そこに老いも若いも関係ない。
特に、どこからでも石が飛んでくるこの時代においては。
それでも、地獄の門をくぐって進み続ける彼らだからこそ、誰かを救いうるのかもしれない。
そんな事を本気で思えるほど、真っ直ぐな言葉だった。

熱い気持ちが胸に響いている中、届けられたLATE SHOW。
込み上げてくるものが大きかった。

ぐしゃぐしゃになった気持ちを抱えきれない。とても1人ではいられなくて。でも誰にも会いたくなくて。逃げ込む先は、レイトショー。
 
誰かの映画に逃げ込んで、改めて自分の気持ちを強く思い出す。

やっぱり、「僕ら」の映画が見たいから。

リアルの自分を生き抜く。
それは時に過酷で、目を背けていたくなる時もあるけれど、もう一度しっかり問いたくなった。

やり残した事はないか。諦めた事はなかったか。
自分の人生の主役を張れている自信はあるか。

痛くて苦しい問いだが、逃げても苦しい問いだ。
私も、そしてこの会場の沢山の人が、この曲に背中を押されている。今この瞬間にも。

そんな事を思った。

そしてこのLATE SHOWは、音楽劇「秘密を持った少年たち」に提供されたものでもある。
音楽劇に関しては、私含め、多くのファンにとって、未だ全く忘れ難い、大切な思い出になっていると思う。

このLATE SHOWをライブで聴いていると、あの時の空気が、匂いが、熱量が、一時蘇ってくるように思う。
その役にもう会うことはできなくても、確実に彼らの中に生き続けていることを感じられる。
この曲は、何重にも思い出が、意味合いが折り重なり、個人的にも、とても大切な曲になっていると感じた。

13.バイオレンス


「バイオレンス!!!」

地獄の底から響くような凄まじい圧。
春空の叫びだ。
冒頭の叫びの部分、初めはアヴちゃんの声の録音だったと思うが、今回は春空が担った。

きっと、空間を制圧するような力がその歌声に備わってきたからなのだろう。
実際、このライブで聴いた春空の声は、とにかく全てを飲み込むような、恐ろしいまでの力があった。
水底から轟々と響く、音波のような凄まじい響きが、ビリビリと空気を揺らし、雰囲気を掌握する。

バイオレンスは、思えば彼らが初めて、グループで表現に挑んだ女王蜂の楽曲である。デビュー前から後に至るまで、こうして挑み続けている楽曲だ。

また、女王蜂のバイオレンスは、アニメ「チェンソーマン」のEDの一つとしても、個人的には印象的だ。
あまりにも破滅的で暴力的。同時にそこにあるのは、運命的かつ宿命的な出逢い。 
そして2人だけの世界で、本能のままに求めあい、満たし合う、原初的で純粋な歓び。
作品の世界観も相まって、危険なまでに惹き込まれる曲だ。

そして、女王蜂の曲だからこそ、女王蜂の模倣ではなく、龍宮城が歌うことで別物になりうる事を期待されている楽曲なのだと思う。

個人的には、龍宮城のバイオレンスは、血生臭いほどの生気に満ちた若いエネルギーの爆発。この美学が詰まっているように思う。
チェンソーマンの主人公、デンジも、正確な年齢は不明だが16歳くらいと自称している。その前後の年齢特有の何かが重なっている(重ねて見せている)部分もあってか、真に迫ったものがある。

ゾッとするほどの迫力と美しさに、囚われるように見入ってしまう。

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突如、どこか不穏な音響が響く。
ひび割れたバイオリン、男声の民族風のコーラス。
空気が重厚な神聖さを帯びる。

7人はITARUを中心に半円状に立つ。
そして無音の中、1人ずつ声を出し、ハモりを重ねていく。
そして披露されたもの。

14.2 MUCH/アカペラ

ITARUが丸一曲、メインボーカルを担当し、他の6人がハーモニーを奏でる。

アカペラ自体は、新しい挑戦である。

「一歩踏み出す勇気」
言う事は簡単かも知れないが、有言実行は困難な事だ。
笑われるかもしれない、攻撃されるかもしれない。その恐怖と戦わなければいけない。始まる前も最中もその後もずっと。

初めてはいつも一度きり。
身を以て示し、その背中を押す。
だからこそ、2 MUCHという選曲だったのではなかろうか。
私はそう感じた。

7人の歌声だけが響く会場。
2 MUCHの歌詞が胸にダイレクトに届く。

しかし、ITARUの歌声は、どうしてこんなにも心の琴線に触れるのだろうか。
どこまでも伸びやかで、生きた感情が乗った歌。
歌として美しいままに、何故か言葉が形を失わずにそのまま入ってくる。不思議な感覚だ。
歌い終わる頃には、2 MUCHという曲が、今までより何倍も好きになっていた。

そして畳み掛ける、2 MUCH。

15.2 MUCH

BLOODY LULLABYもそうだが、ライブにおいて二連続で同じ曲をやるというのは珍しいことだと思う。

持ち曲が少ないアーティストのワンマンライブは、例えばトークを長くするなど、楽曲披露以外の催しを挟む事が多いと思うが、今回、そのような事はなかった。

同じ曲を堂々と披露する。しかし、それは同じパフォーマンスではない。という事だ。 
それには、楽曲の魅力をあらゆる角度から引き出す効果を感じた。

実際、アカペラで聴く2 MUCHは、歌詞が寄り添うように心に入って来たのに対し、
ダンスアンドボーカルで披露された2 MUCHは、視覚含めた表現として、「龍宮城の2 MUCH」を喰らう、という感覚だった。
また、歌詞が心に沁みているからか、いつもよりも鮮烈に、2 MUCH の世界が広がって見えた。

どちらにせよこの曲も、龍宮城が何かを乗り越えるほどに明らかに強くなっていく曲だと感じた。
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2 MUCHラスト。
皆が前に倒れる中、冨田だけが立ち尽くす。

そして、KENTも遅れてその身を起こす。
ふらふらと、上手から中央のKENTに歩み寄る冨田。何かを両手で渡そうとして(?)しかし、KENTは彼に背を向けて、後方へ去る。
その手は行き場をなくす。

茫然とした様子で、冨田は中央に移動する。
まるでどこかを彷徨っているかのような表情に、胸を締め付けられる。

コーラスが辺りを包む。それはどこか寂しげな響きに聞こえた。

16.BOYFRIEND/冨田侑暉

この曲は、EPで初めて聴いた時の感動が強く、既に作品として完結しているようにさえ感じていた。
しかし、ツアーの一曲目で、生の歌声とメンバー全員での表現も含めた状態で聴くと、よりこの曲が鮮やかに、深く心に広がった気がした。

1人イヤホンで聴いたBOYFRIENDと、ライブで表現されるBOYFRIEND。きっとそれは別の表現として存在していて、その時感じたものは、どれも全てかけがえない。

そしてこの、ボーカルを変えた冨田侑暉のBOYFRIENDもまた、同じ楽曲でありながら、また別の表現として確立されていたと思う。

極めて個人的な感想になるが、
KENTの歌声からは、底がひび割れたグラスのような、胸の奥深くに秘めた痛みを感じた。
言えなかった言葉も、あの夜の痛みも、その心のヒビごと箱にしまいこむ。そんなイメージが浮かんでいた。

一方冨田のBOYFRIENDからは、今にも器ごと粉々に砕け散ってしまいそうな、危うさと悲痛さを強く感じた。
これ以上は自分が壊れてしまうから、無理やり気持ちを奥底へ沈めようとする。その度に心が粉々に砕けていく。そんなイメージが浮かんだ。

同じメロディ、同じ歌詞、同じ振り付け。だとしてもこんなに表現するものが違う。
それは、彼らが与えられたものをただなぞるのではなく、それぞれの中で噛み砕いて解釈して表現に落とし込む、アーティストであることの一つの確かな証明だとも思った。

冨田のBOYFRIENDについて語りたいのが、やはりその表現力だ。
目線一つ、指先一つ、ブレス一つとっても、全てに物語が詰まっている。
台詞に寄ったような表現も多く、まるで一本の芝居を見ているような感覚にすら陥った。

立ち尽くして、ただ見入ってしまっていた。

“抱きしめて、鍵は閉めて”

その悲痛な表情と声色に、言いようもなく胸が締め付けられる。
会場はただその世界に呑まれ、沈黙する。

冨田は観客に背を向けて、舞台後方に移動する。
KENTがその背中に向けて走り出し、後ろから抱きしめる。それを振り向かないまま冨田が強く振り払う。
床に倒れ込むKENT。

息を呑む会場。
KENTが起き上がり、ゆっくりと位置につく。

17.火炎

信じられないくらいに美しかった。
ただ形が綺麗とか、整っているとか、そういった次元のものではない。

魂が燃える姿。その揺らめく炎と陽炎。その熱まで、確かにそこにあった。

私はこの時、彼ら7人が、「龍宮城」という一つの生き物を形成しているように見えた。 

七様の歌が、踊りが、入れ替わり立ち替わり現れ、時に折り重なり響き合う。
ここまでの演出でも表現された、迷い、焦燥、葛藤、怒り、衝突。
その果てにやがて一つとなり燃え盛る炎。

乗り越えたわけではない、きっとこれからもそんな事を繰り返して生きていく。けれど命を燃やすって、そういう事なのではないか。
情動を押さえつけた先に成り果てるものは、無感動な大人なのだ。

だからこそ、若い命は迸り、熱を持つ。
その必要がある。
その先に確かに一つ、間違いなく美しいものが現れた。 

それがこの火炎だったのではなかろうか。

神聖な神楽を見ているような感覚にさえ陥る。
途方もなく美しい。それしかもう言う事はない。 

**************************************
火炎に灼かれた後、会場が沈黙に包まれる中。
KEIGOと冨田がゆっくりとマイクを交換する。

理由までは推し量れない。
しかし、彼らにとって何か、きっととても大切な事なのだと思う。
その景色はきっと、彼らだけのものだ。

18.RONDO

龍宮城が生まれる以前からの、様々な場面が過ぎる。
夢を追う少年たちが、ある一つの教室に集まった。
間違いなく人生を賭けて挑んだ。その全ての想いがきっとここにある。
更に時を重ねるにつれ、幾度も経験してゆく様々な出逢いと別れの重みが積み重なり、その響きは益々深く、強く、心を揺らす。

ある種彼らのまさに等身大の歌であり、同時にあらゆる出逢いと別れを包み込む曲だ。

“悲しくなるからひとつだけ
同じ窓から眺めたあの景色は
僕らだけのもの
そう思っているよ”

誰の心にも寄り添いうる曲であると同時に、龍宮城が歌うからこその響きが確かに存在する曲であると思う。

[挨拶]

横一列に並び、KEIGOが再び客席へ言葉を届ける。

※あろうことか私はその場で感極まってガッツリ記憶が飛んだ。(元々初見は飛ぶタイプ)
以下断片的なニュアンス的なもの。
個人の記憶なので趣旨が異なる可能性あり。

うさぎとかめ。誰もが知るその寓話の話から始まる。
一つ一つ着実に歩を進めれば、才能ある物にも勝つことができる。その教訓は誰もが知りうるが、同時に兎は、周りと比べる生き方をしているから歩みを止めた、という教訓もある。周りを見ないで走る在り方も大切。
/龍宮城は負けず嫌い。どちらも手に入れたい。

龍宮城の表現はオルタナティブ、唯一無二の存在だからこそ、孤独。(寂しくなることもある)

それでも突き詰めたい。
龍宮城の音楽を届けていきたい。
(確実にもっと強くて美しい言葉だったと思うのだが、どうしても思い出せない。記憶が飛ぶほど良かったことだけは確か。←)

その決意はあまりに重く、そして力強かった。
「オルタナティブ歌謡舞踊集団」はこの世にこの7人しかいない。
さらにその表現は、突き刺さる人にとってはきっと人生が変わるほどの威力を持つが、
一方で、初見で幅広く受け入れられやすい表現かというと、恐らくそうではないと思う。

人は、わからないものに対して、時に酷く残酷になれる生き物である。
龍宮城の孤独の深さは計り知れないものがある。
それでも力強く、自分達の信じる音楽を届けていきたいと、こんなにまっすぐな目をして語ってくれるのだ。
その覚悟に、激しく心揺さぶられた。

私はこのツアーを、ずっと前から楽しみにしていて、今日も信じられないくらい楽しかった。
こんなに美しい表現を、素晴らしい音楽を届けてくれて、本当に感謝しかない。
代わりはいるよなんて、考えられない存在。
龍宮城がここに立っていてくれることへの感謝が溢れた。 

「以上、僕たち」
『龍宮城でした』

7人へ盛大な拍手が送られる。

そしてその拍手は、このステージに居なくとも、この「龍宮城」という世界を創り上げたすべての方々へも、間違いなく送られていた。

そのまま最後に歌い踊る、DEEP WAVE。

19.DEEP WAVE

私はこの瞬間、勝手に自分の中で何かが繋がった気がした。
語られた孤独、そして最後に歌われるDEEP WAVE。
このセットリストの隠れた”0曲目”は、やはりあの曲だったのではないか。

“みんなひとりぽっち 海の底にいるみたい”

このツアーは、開演前のBGMが、必ず中島みゆきの「孤独の肖像」で終わり、そこから幕が開く。

“案外、安心して眠りたかった それだけだったりして”
先生の言葉がよぎる。

“それで私たぶん 少しだけ眠れる”

眠れない夜はいつも彼らにつきまとう。

“手さぐりで歩き出して
もう一度愛をはじめから”

そして辿り着くDEEP WAVE。人は皆1人であるけれど、「僕ら」は巡り合った。

“I’m going DEEP もっと奥深くへ 辿り着くやがて 漂うままは僕らは満たしあって”

その時、今目の前で舞い踊るDEEP WAVEが、よりその深度を増した気がした。 

楽曲とは、聴き手、聴くタイミングなど、あらゆるものによって解釈は左右され、数はその分だけあると思う。
その上で、私がこの時に聞いたDEEP WAVEは、果てしなく龍宮城そのものの歌だと感じた。

龍宮城は深く潜る。高く、という言葉も表現として使うこともあるが、DEEP WAVEという曲に置いてはひたすらに、水底へ潜る。

山には明確に頂がある。しかし、海の深さはその比ではなく、底が見えない。
その場所へ潜っていくということは、音も光も、道もない場所を漂い続けなければいけないという事だ。
それは果てしない孤独を伴う。

それでも潜る。繰り返し、繰り返し、漂いながらも、表現の深みへ。

でも1人ではない。手探りで歩き出し、僕らは巡り合った。
僕らとは、この世で運命をただ7人共にする彼ら自身でもあり、そしてきっと、その音楽を愛するすべての人でもある。
こうして舞台と客席で、歌声と歓声を交わし合う時も、きっと同じ場所にたどり着こうとしている。

ところでこの羽田2部、観客のエネルギーが凄かったように思う。
私が経験した龍宮城のライブの中で、一番と言っていいほど歓声は大きく、熱気に満ち溢れていて、真剣勝負という土俵に上がっていた気がする。

今までずっと、龍宮城がしきりに、声を上げてほしい、感情をぶつけてきてほしいと伝え続けてきた理由がこの日、感覚的に理解できた気がした。

演者、観客の境が溶け、空間全てが音楽と一体となる。
一方的に何かを伝え、それを受け取るだけではなく、お互いにエネルギーをぶつけ合う事によって、僕らは同じ次元で巡り合い、満たし合うことができる。
そして、更に深みへ潜ることができると、そう感じた。

幻想の余韻を残し、龍宮城は緩やかに舞台から消えゆく。
1人、また1人、中から光を滲ませる白いテントの中に入っていく。
KEIGOだけがその場に留まり、その様子をどこか戸惑うように見つめている。
迷わず入っていく者もいれば、KEIGOを振り返ってから入る者、また、憑依が解けたように、満身創痍の様相でふらふらと吸い込まれていく者もいる。

そして舞台上に残ったKEIGO1人だけが、ゆっくりと客席を見渡す。
その表情まで鮮明には見えなかった。しかし、どこか満たされたような顔をしていたように思った。

そして、彼もまたゆっくりと白いテントに向かって歩を進めていく。
幕が両側から閉まっていき、KEIGOが去り行く背中を最後に、完全に閉じられる。

終幕。そして、客席に灯りが灯る。

【あとがき】

夢でも見ていたのだろうか。

龍宮城のライブの後は、必ずと言っていいほど、そう感じる。
正に、浜辺に打ち上げられた浦島太郎のように、信じがたい気持ちでその場に立ち尽くしてしまう。

そして、何と時間を忘れた90分であっただろうか。体感としては、物凄く一瞬だったような気がする。

しかし、この胸に残る余韻や充足感は、90分で得られるものを遥かに超えている。 

正に龍宮城。
“絵にもかけない 美しさ”
それを体現し、時間を忘れさせる。

そして、私たちは同時にその龍宮城を創り出す、彼ら自身にもエネルギーを貰える。
新しい事に挑む。やってみたかった事をする。
初めてでも、おぼつかなくても。やりたければ、やるのだ。

ライブの感想を書くのも、私にとってはその一歩だ。
文章を書くことは好きだったが、痛いとか、飯の種にもなるまいしとか、そんな誰かの、自分の中の言葉にやる気が削げて、いつしかビジネスメールくらいしか文字を書かない大人になっていた。

しかし、今私は思う。
なんとくだらない自意識なのだろうか。
書きたければ書けば良かったのだ。誰がなんと言おうと、見ていても見ていなくても。
こうして心突き動かされるままに、好きな言葉で好きなだけ文章を書く、それが楽しいと思う心に偽りはないのだから。

**************************************

ところで、龍宮城には「四季の部屋」がある。
正確には、本によっては描写がなかったり、あったとしても微妙に設定が違うのだが、手元にある絵本によるとこうだ。

春の部屋、夏の部屋、秋の部屋、冬の部屋。
浦島太郎は、四季の美しさに満ちた部屋を順番に案内され、楽しく暮らしているうちに、3年の月日が経ってしまう。 

つい先日のDEEP WAVE千秋楽。次のツアーが発表された。
龍宮城LIVE TOUR「ULTRA SEAFOOD」

なんだか、とんでもない夏の部屋になりそうな予感がする。

とりあえずはリアルを頑張って、コツコツULTRA SEAFOOD貯金でもしようかな。
壮大な日程と睨めっこだ。


現実を踏み締めて生きるから、きっと幻想も心から楽しめる。
ただ、桜の季節はしばらく余韻に浸りたいので、散ってからでも預金と相談しよう。

去年よりも桜を心待ちにしているこの気持ちは、紛れもなく、幻想の世界から持ち帰ったお土産だろう。

最後に、偉大なる先生はじめ、龍宮城を創り上げているすべての方々、そして何より龍宮城に感謝を込めて、
今回も、対戦ありがとうございました。



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