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コミットすることが恥ずかしく思っていた

コミットすること、と聞いてどんなイメージですか?
あのジムのキャッチコピーだからなのか、見せたくない姿を晒して、むさ苦しいイメージがあって、もっと自分はしれっと取り組みたいと、スカし願望がありました。

〇〇活、といった言葉も広がりがすごくて、とにかくしれっと静かにさせてよ、という気持ち。
その活動を楽しむために作ってる言葉だと思うのだけど、逆にそんなおかしな波に乗りたくないと感じてしまうのは、自分だけじゃないはず。

心理学用語でもたくさん登場するコミット、コミットメントという言葉には、
貢献する、責任を果たす、積極的に関わる、約束する、などの意味があります。

要は、お尻に火がついて覚悟を決めること。
もはや、やらざるおえない状況に自分を置くことにも繋がるかもしれない。

見渡すと、他人や環境、何となくよそのせいに出来ちゃうことって沢山あるし、無意識に〇〇のせいにしてる事だってある。
それくらい、自分の幸せを他人や環境ではなく自分ごととして捉えるって、練習が必要だとも思う。

私は今年、覚悟を問われるきっかけとなる事がいくつか重なりました。
その事象が起きた時は、嫌で嫌でもう人生投げ出したいくらいだったけど、それこそピンチはチャンスに変えるしかないというか 笑
言い方はどうであれ、覚悟が決まりました。

どんな事が起きても、100%自分ごととして捉えて、コツコツ向き合う。
めんどくさいし、そのプロセスは決してかっこいい姿ばかりではないけど、それこそかっこいいし、光っているし、泥臭くてなんぼ!と思えるようになったことは自分的にデカい変化。

今日もエイエイオー!

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