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つま先ギリギリ!土俵ぎわの踏ん張り


しんどい1年

しんどい一年を過ごした。
私が私をしんどくさせていただけだけど、なぜか急に「しんどかったなぁ〜」がジンワリしている。

「Clash & Build」って、いつbuildが来るんだろ?
と、いろんなものがclashして行く景色を眺めていた1年に感じる。
こう書くと、私に関わる人は「え?私が佐木さんに何かclashさせたって事?」とは思わないで欲しい。
これは私の独り相撲!!

しんどい1年が、独り相撲だったって‼️
そう!人はなんでも自分の感情を自分で選んでる。
私が隣の誰かをhappyにさせる事なんて、事実!不可能。
私が隣の人に「行為」しかできなくて、その行為を受け取る隣の人が「不快」と感じるのか「快」と感じるのかは、隣の人が選ぶのだから。
「快を選べ〜〜〜!」と伝えたところで、その圧に「不快」を感じる事の方が多いのが、この日常。

独り相撲なのに、吊り出されギリギリ💦

そして驚くことに、独り相撲なのに、吊り出されギリギリになってた。
あ!あぁ、つま先が土俵の際の小さな俵に引っかかって、どうにかまだ土俵内に残れた!
そんな感覚が今ある。

それもこれも、全部私が選んだ。
きっと、そうなる事で得られる『メリット』があるから。

その『メリット』は、本当にメリットなの?

私が吊り出されギリギリになっていた時に、習慣的に選んでいたパターンは、
「自分が望んだ事に挑戦しない」というパターン。
子どもの頃から、私がやりたい事には親から抑圧され、
親がやらせたい事で、私がやりたいかどうかの意思確認はなく、挑戦させられた。
…と、私がそう理解しているパターン。
これがまた厄介なのが、「私の理解」と「現実」が違うという事。

私は親に「やりたい事は抑圧されて、私がやりたくはない親の希望ばかりを挑戦させられた」と解釈しているけれど、
現実は、親としても親の希望を我慢して、子どもの望んでいる事をハラハラと見守っていたのだと思う。
それは私が親になって知ったこと。

パターンは、自分で変えて良い!

そして、その苦しいパターンは、自分で変えて良い!
私は、自分がやりたい事を、やりたいように挑戦したい!
その目的地としては【すべての子ども達が、幸せな環境で育つ】事を思い描いている。
だから、【すべての子ども達が、幸せな環境で育つ】環境を作るために、仕事で挑戦をしていきたい!
それが今の私のやりたい事の願いです。

パターンをどう書き換えるのか?

私は、自らを土俵際にまで吊り出して、吊り出される私自身が苦しくなるパターンを、
「自分本来の気質で、どんどんとやる!」と、今一旦書き換えようと思う。
私本来の気質は、親が抑圧したくなる程の、多動性がある。
だけど、多動性という子どものような気質は、たくさん挑戦して、たくさん失敗して、傷をたくさん作るけれど、恐れずにどんどんと前に進み続ける!
という気質で、自分で仕事をする上では、とても力になってくれる気質のはずなのだ!

多動性を認める

自分の中の多動性を認める、それを対外的に見せていく!という事は、今までに「普通じゃない」とか「心配させないでほしい」「周りに迷惑がかかるからやめて!」という声をたくさん受けてきた。
だからこそ今「多動性を認めて生かして生きる!」と宣言する事は、ものすごくドキドキするし、また土俵際に追いやりたい衝動に駆られる(笑)
だけど、自分とじっくりと認めながら、諦めずに生きていきたいと思う。

そんな、宣言のような久しぶりの更新になりました!
これからは、【すべての子ども達が、幸せな環境で育つ】を目的とする事は、ずっと変わらずに、自己開示をしながらどんどん進んでいきたいと思います🎵
最後までお付き合いくださって、ありがとうございます!


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