見出し画像

虐待の連鎖

虐待は連鎖する

noteの書き方などは、ちょっとまだ分かっていない。
だからこそ、思ったままに、感じたままに書いて行ってみようと思う。
読みにくかったらごめんなさい。

虐待って、連鎖するんですよね。
でも、虐待を受けてきたからこそ、連鎖させたくない!って強く思う訳じゃないですか。
でも、「心の余裕がなくなった時」「思考の時間が取れない時」そんな時は、自分の過去からの習慣に流されるんだと思うんです。

じゃあ、その過去からの習慣って何?
って言うと、「されたように、人にする」という模倣なんだよね。
模倣。

変な例え話かもしれないけれど、こんな経験が私にはあって。
マクドナルドで「ハンバーガーを単品で!」と頼むと、
「ポテトの”方は”いかがですか?」と、セットや他のメニューをお勧めされる事がある。
その”〜の方”って言い方に「別に付けなくていいんじゃない?」って思ってた。
なんなら、心の中でクスッと笑ってた!
なのに、自分がマクドナルドでパートをした時に(パートしてたんですよ♪)
「他に、ポテトの方はいかがですか?」と、つい口から出てきた!
心の中で笑ってたのに、なんで私”〜の方”って言い方してるんだろう?
って、驚いたのに、驚いて意識すればするほど、”〜の方”って言い方が抜けない!

模倣って、これなんだと思うんです。
「意図していないけれど、意識したものが定着しちゃう」
みたいな感覚。

虐待したくないのに、虐待している

だから、虐待したくないのに、気づけば虐待してる現実。
模倣だから、意識していないのに、必死に躾けてるはずなのに、親と同じことをしていて、虐待してしまっている。
それが虐待の連鎖が生まれる原因なんだと思っています。

虐待に気付けない

私自身、虐待を受けて育って、我が子に教育虐待をした経験がある。
親にレールを敷かれて、親の期待に応えることがこの勤め!なんて思って生きてきて社会人になってから、
事務職だったので、その業界の情報が新聞に載っているものを切り抜いて回覧する!という仕事が朝一番の仕事だった。
新聞にくまなく目を通すと「家庭」欄も目を通す。
虐待について書かれたものがあったけれど、それを読んでいながら、
「え?私も同じ環境だったけれど、虐待だったの?という疑問が湧いて。
そこから興味を持って、新聞や本を読んだ時に、
今の私の生きにくさは、親からの虐待があったんだ!と知った時の怖さ。
足元の底が抜ける感覚があると同時に、救われた気もして。

また、私が娘を虐待していた時も、親としての愛情で必死だっただけに、自分が虐待していると気付かず、子どもの死んだ魚のような白濁とした目を見て、「あれ?こんなはずじゃ…」が、気づくきっかけだった。

虐待されたことも、虐待していたことも、私は気付けていなかったんです。
でも、娘は「これが虐待」とまでは気付いていなかったとしても、子どもの時に「生きる苦しさ」は感じていて、それを少しでも見せてくれた事が私の親としての救いでした。

虐待と気付ける事が第一歩

親として自分がしている事が虐待だと気付ける事が、もう既に改善への一歩を進み出している。
子どもも、自分が親に虐待されている、苦しい。そう気付ける事が改善への一歩をもう既に踏み出している。
それを知って欲しいな。

気づくことは苦しいけれど、気付いた時点で、一歩踏み出して行けていると言う事。

そんな虐待の連鎖について、感じるままに書いてみました。
読んでくださって、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?