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切り絵【警察ごっこ】

知的障害を持つ妹が、つい最近33歳の誕生日をむかえました。
毎年誕生日が近づくと、そわそわした様子で、ママからのプレゼントとお姉ちゃんからのプレゼントを期待しているそぶりをするのですが、言葉にはせず、目をキラキラさせながら恥ずかしそうに、「プレゼントほしいな」という顔を向けてきます。
それが可愛くてつい、毎年プレゼントをあげてしまうのですが、「欲しいおもちゃがある!」とはっきり言ってくるわけではなく、どんな物でも「もらえる」ということが嬉しいみたいなので、何でも喜んでくれる子だから、いくつになっても、ついつい甘やかしてしまっております。

特別支援学校を卒業して、新卒で作業所勤務をしていたのですが、数か月で体調を崩し、退職してからは、ずっとどこにも通えないまま今に至っております。

母も長らく病気があったため、妹の面倒を見てあげることが出来ない日もあり、勤め先を探してあげることもできない状態で、結果今現在も妹の社会復帰を放置してしまっているというのが現状になっております。
母の病気は今もなお完治しておらず、妹のことをどうにか出来るのは私だけだと思い込んでいた時期もございまして、私が役所に相談に行ったり、支援してくれる施設や、利用できそうな場所などを探したりして参りましたが、5年前に私が病気になってからは、そんなことも出来なくなってしまいました。

私が発達障害と診断されましたので、知的障害の妹と一緒に通える地域活動支援センターを探して、1か月くらい一緒に通っていたことがあるのですが、ある時「行きたくない」という気持ちを話してくれまして、しばらくお休みをさせていたのですが、少し時間が経ってもやはり「行きたくない」という強い意志があるようなので、妹には合わなかったのかもしれません。

10年近くどこにも通わずに過ごしていて、家族としか会話をしていないから、いきなりどこかの集団に入って、知らない人とコミュニケーションを取るのは難しいことだろうということはよく分かります。
強い人見知りをする子なので、緊張してしまったというのもあると思いますし、地域活動支援センターでは、プログラムに参加したければしても良くて、参加しないのであれば、自分でやりたいことを見つけたり、誰かと一緒に遊んだりするのですが、そもそも妹は遊ぶということに不慣れなところがございました。

おもちゃが大好きな妹なのですが、ほぼ毎日おもちゃ屋さんに通い詰めて、お金があるときは、おもちゃを買うのが日課でございます。
おもちゃ屋さんに行く以外は、家事を積極的にやってくれていて、ご飯の支度や洗濯、掃除など、高齢の両親を毎日サポートしてくれております。
今のところ買い物しか楽しいことがなく、たまにブロックやプラモなどを作って遊ぶのですが、一つのことを長く続けるのはなかなか難しいようです。

おもちゃを買っても、遊ぶわけではないことがほとんどで「買い物をする」ということが楽しいようなので、いつも行くおもちゃ屋さんにはもう、買っていない物が無くなりつつあるくらいでございます。
本人も、買い物をしたいのに、もう買うおもちゃが無くなってきていることに、フラストレーションを溜めていることもあり、買い物だけで日々のストレスを発散するのは、もう限界が来ているのかもしれません。

たまに「何か作りたいな」と思うことがあるらしく、レゴブロックなどを眺めていることがあるのですが、対象年齢が15歳くらいだと難しくて作れない、7~8歳くらいだと簡単すぎる、その間くらいの対象年齢のものや、自分にちょうど良い難易度のおもちゃを見つけるのがとても大変なのだそうです。
私や兄は小さい頃、ゲーム世代なので、ゲームで遊ぶことが多かったのですが、最近のゲームは特に妹には難しいようで、あまりゲームに関心はなく、おもちゃ屋さんに売っているいわゆるおもちゃや、図鑑などを集めるのがとても好きなようです。

妹の部屋には、買ったおもちゃが山積みになっていて、飾り物みたいになっており、それはそれで妹は満足しているようなのですが、普段は家事を頑張っていて、それ以外の時間は、少々疲れ気味で昼寝をしたり、ゆっくり過ごしているのだと思います。

もう少し楽しみがあった方が良いのかなと、私は思ったりもするのですが、妹は母や私に対してはよく、ごっご遊びをしてきます。
「○○編」という意味で「編(へん)するよ!」と、急に一人で劇団を始めます。
母とやるときは、母が好きな「宝塚についての編」で、私とやるときは、もっと日常的な「赤ちゃんをお世話する編」とか「散歩に行く編」とかいろいろでございます。

妹はシチュエーションを勝手に決めて、監督みたいな感じになりきって、「はい!始め!」と声をかけてくるので、私や母は即興でセリフを言わなくてはならないという、無茶ぶり劇団だったりするのですが、私や母が思ったようなセリフを言わないと、急かしてくるので、たまに私たちが「自分でやってみろ!」と妹に振ると「出来ないよぉ」と言うので、少し大人しくなります。

編をやっているときの妹は、ほんとに楽しそうなのでございます。
宝塚などの、演劇を見るのも好きなようなのですが、自分が監督になるのが好きなのだと思います。
頑なに演者にはなりたくないようで、人が演技しているところを見るのが好きなのかもしれません。

私は「ちっちゃい子の真似」が上手らしく、何度もやらされております。
よくあるのが、ちっちゃい子が警察になりきって、泥棒を捕まえるシーンなのですが、ごっご遊びの役柄がすでにごっこ遊びをしているみたいな、少々複雑な感じになっていき、途中から妹の采配でどんどん設定が増やされていくので、私の頭の中はいつもごちゃごちゃになっております。
ちゃんとできないと怒ってくるような鬼監督ではないので、私と母は割と適当にいつも演じております。

クライマックスで感極まってくると、妹がもう自分の世界に入り込んで、私たちを置いてきぼりにして、一人で満足して終わりなのですが、まるで没入感のある指揮者のようにも見えたりします。
もし、知的障害でなかったら、演劇に携わる仕事をしていたのかな、もしくは知的障害であっても、そんなお仕事があればしてみたいと思ってくれるかなと、物思いに耽ってしまうこともございます。

妹のようなワンマンな監督がやっていける劇団はないと思うのですが、もし、劇団ごっこに付き合ってくれる人や友達が出来たら、人生は変わっていくだろうと思います。
編をやるときだけは、人が変わったように、早口おしゃべりで、それが素の姿のようにも見えるのですが、そんな姿を家族以外には見せてくれないのが残念なところでもございます。
なかなか人と共有できない楽しみではあると思うのですが、家族以外の人にも素の姿を見てもらえる機会があったらなと思っております。

どうやら、人前では「しっかりした自分でいたい」という気持ちもあるようで、劇団をやっているときの自分は見られたくないという思いもあるようです。
そんな気持ちも分かるのですが、素の姿を出せないから人間関係に緊張してしまったり、疲れてしまったりするのかもしれません。
後ろ指を刺されたり、素の自分を笑われたり、バカにされたり、それが怖いと思う気持ちは、多くの人が持っていると思いますが、そんな殻を破れる時期は人それぞれで、早いか遅いかの違いはあれど、ほとんどの方が一生のうちのどこかで殻を破れるのではないかと思います。
どんなに素の自分を出すのが苦手な人でも、いつかどこかで吹っ切れて、「もういいや」って思えるようになるではないかと思います。
私はそうでございました。

指揮者にしても、劇団の監督にしても、そんな専門職には就けなくても、楽しいと思える仕事が見つかれば、人との交流も自然に増えていき、誰だって将来への不安は少なくなるような気がしております。
「仕事は楽しくないものだ」とそう割り切っている人もいるかもしれませんが、そんな人たちにとっては、まだまだ選択できる職業自体が少ないということでもあるように思います。

本人にとって、辛い仕事、つまらない仕事、興味のない仕事を、やらなければならないという風には思ってほしくありませんが、だからと言って、自分に合う仕事を自分で探せる人や自分で開拓できる人ばかりではないから、働くことが嫌になってしまったときに、どうすれば良いのかは私にもわかりません。

でも、何かが大きく変わるには、本当に切羽詰まるきっかけが必要だとも思います。
だから、まだ何も起きていないのに、将来のことを心配するのは、損なことだとも思います。
母は自分たちが居なくなった後の、妹を心配しておりますが、妹のように、大人になってからどこにも通うところがなく、社会的には引きこもりのような状態であっても、もしかしたら、何かがきっかけで「どこかに通いたい」とか「働きたい」と、本人が言うこともあるかもしれません。
何をするにしても、何もしないにしても、どちらにしても支援は必要でございますが、本人が変わるのに、何がきっかけになるか分かりませんから、ずっとこのままかどうかは分からないと思っております。

障害を持つお子さんがいる親御さんはみんな、自分たちが居なくなった後のことを心配し、子供の将来を少なからず悲観してしまいがちになることもよく分かりますが、親がいなくなって寂しい気持ちになるのは、障害があろうとなかろうと子供は皆平等に同じでございます。

親がいなくなれば、少なからず子供は親に頼ることは出来なくなり、変わらなければならない部分もあると思いますが、障害を持っていてもそれは同じで、その子が大人になる大きなきっかけになることもあると思います。

私の妹も、彼女の人生なのだから、どう生きるかは彼女が決めて良いと思っております。
私や周囲の人は、出来るだけ不自由なことがないようにサポートしたり、本人だけでは思いつかない可能性を提示したり、そんな手助けが出来ればと思っております。

努力して欲しいものを勝ち取って「やりたいことをやる」人生を歩む人もいると思いますが、そんな人は自分の好きなことや、やりたいことをいつ見つけられるかという点が大事になって参ります。
欲しいものを手に入れるために努力を続けることができる胆力も、時に必要なのだと思います。

「幸せだと思える一日を出来るだけ増やしていく」という人生を歩もうとしている人は、自分の好きな人を見つけたり、自分が幸せだと思うことを誰かと共有したり、自身で幸せなことを増やしていく能力と共に、自分のことだけでなく、人を幸せにすることができる能力も必要なのだと思います。

妹はどんな人生を歩みたいと思っているのか、それもこれからゆっくり決まっていくのかもしれません。

また次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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