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障害と共に生きる

「お前の目、バケモンじゃん」

私を見たクラスメイトは、顔を歪めてそう言った。

フィクションではない、私の人生について。

はじめに

今回は私の持つ障害について書く。

自らこの事について家族と医師以外に明かしたことは、今の今まで一度もない。職場の人はもちろん、どんなに親友と呼べるほど仲のいい友人にも、過去の恋人にも。

今この事を書こうと筆をとっていること自体、自分でも信じられない。
だが、不思議と心は穏やかである。
ある意味、開き直りと悟りのタイミングが来たのかもしれない。自分は自分だ、これも含めて自分だ、と。

隠すより、みんなに分かってほしい、自分の周りの愛すべき人たちには、知っていてほしい。その想いの方が強くなったのかもしれない。

なお、先程誰にも開示したことがない、と述べたが、正確にはPOOLO3期生の2名にだけ直接伝えた。

一人は、私がかつて人見知りでコミュ障だった理由を深掘りしてくれて、その原体験がこの障害だと突き止めてくれた人。

自分でも引っ込み思案になった原因に気づけていなかったのだが、幼少期の記憶を掘り起こしたら、身体的な障害が原因でひどく傷ついた、ずっと蓋をして封印してきた過去が鮮明に蘇ってきた。

二人目は、障害を持った子どもたちに寄り添って仕事をする人。普段からそういった環境に身を置く人ならば、私の話を聞いても引いたり嫌悪感を抱いたりしないのではないか、そんな心理的安全性があったし、二人目にも臆せず泣きもせず自分のことを話せるか、そして私のことを話してみた後の相手の意見や反応を知りたいという想いもあった。


今まで溜めてきた想いを口に出したらどうなってしまうかと案じていたのだが、拍子抜けなことに、
ぽつり、ぽつりと案外冷静に開示できた自分がいた。

おそらくなのだが、今はそれを過去のことと思えていて、なんとか折り合いをつけられているからなのではないかと。
今の自分がちゃんと好きで、認めてあげられているからなのではないかと。

これも周りの環境が目まぐるしく変わり始めた証であろう。
こんな悩みがなんだ、と思えるくらい、ワクワクすること、やりたいことに満ちている。後ろめたいことを跳ね返せるくらい、私は今とても前向きで光の中を生きている。

いきなりのヘビーなテーマに気が滅入る人もいるだろうから、一応前置きをしておく。この後の暗い話で気分を悪くするようなら、途中で読むのを辞めていただいて構わない。


私自身、明日にはこの記事を投稿したことを後悔すしているかもしれない。「読んだよ!」という友人に会う時、今まで以上に緊張するかもしれない。

しかし、それでも良いと思った。
並々ならぬ覚悟で書いているというより、今は涅槃(ニルヴァーナ)の境地である。何の波も立たないし、それが何だ、というマインドだ。

だから、この記事を読んだあなたがこの後私と接することがあっても何の遠慮もいらないし、記事を読んだことを伝えづらい、と思う必要もない。

むしろ、この私の告白を読んでどう感じ何を思ったのか、感想を聞きたい。この障害についてズケズケ訊いてほしい。議論をしたい。だって、触れるのを恐れて27年もその機会を逃してきたのだから。

努めて明るく書くつもりは無いのだが、先述のとおり至って穏やかなマインドの筆者であるから、昨日観たドラマの話を聞くくらいのテンションでお読みいただければと思う。

ママが2人見える


私は3歳くらいの記憶から断片的に覚えているのだが、その頃から気づけば病院通いだった。

記憶はあるものの当時物心はついていなかったから、母に連れられて病院へ行くことに、何の疑問もなかったように思う。

今思えば、ふたつ上の姉は全く病院に連れられていないのに、『何故私だけ?』と思わなかったのが不思議だが、子供が受ける注射や歯の定期クリーニングと同じくらいにしか思っていなかったし、母も特段私に事情を説明していなかった。

また、通っていた大学病院には毎年開かれる文化祭があって、そこに家族で遊びに行っていたので私にとって抵抗のない場所だったのだろう。

病院では、優しい看護師さんが次々と器材を手渡してきて、ここを見てごらん、何が見えるかな?と質問してくる。

数ある検査の中で、私は琥珀色のプリズムを使った検査がお気に入りだった。
何の検査だったのか未だに分からないが、その透き通った物体を目に近づけて、そこから世界を見るのだ。その水晶体がとても綺麗で、あの記憶だけは素敵な思い出として胸に残っている。


ーーーーーーーいつからだろう。
そんな私が『自分は人と違うかもしれない』と気づいたのは。

急に話が変わるようだが、私はメロンに軽いアレルギーがある。そして驚くべきことに、社会人になるまでその事実に気づかなかった。

実家で母の出してくれたメロンを食べていた時、私は何となしに「メロンって美味しいけど食べた後喉痒くなるから嫌だよね」と言った。

それを聞いた母は目を丸くした。

しばらく互いに認識の擦り合わせを行った結果、どうやら多くの人は痒くならない、ということが分かった。それからというもの、アナフィラキシーショックを懸念してメロンはあまり食べないようにしている。

話を戻すが、それと同じなのだ。
私は先天的に目の障害を持っていたから、これは普通じゃないんだ、と自分1人では気づくタイミングが無い。
生まれつき我々が呼吸するように、私には生まれつき物が2つずつ見えていた。

「今ね、ママが2人見える!」

私は純粋にそう言っていたが、それを聞いた母は何を感じていただろう。申し訳なさを、感じさせてしまっていただろうか。

私は自分以外の人にも同じような世界が見えていると思って疑わなかったし、病院での検査がそれを検査しているなんて思ってもいなかった。
家族も私を可哀想だなんて言わなかったし、いわば知らぬが仏、充分幸せな世界だったのだ。


だが、自我を持ち、写真に映る自分を客観視するようになったとき、自分の瞳だけ周囲と違う方向を見ていることに気づいた。鏡に映る自分の瞳が、正面を両目そろって見られていないことに気づいた。

そして何より、幼稚園に行くようになってからの周りの子供達からの反応が、「私は普通じゃない」をまざまざと認識させた。

ちなみに、後述するこの障害は、日本では障害として認められていない。生活に支障のある重度なものを除いては、手当なども出ない。
障害というよりは、“病気”に部類されるようなのだが、私の中では病気ではなく障害という表現の方がしっくりくるのでこの記事ではそう表記させていただく。


あくまで自論だが、
病気、というと治さなきゃいけないもの、現在進行形で患ってしまっているもの、というイメージがある。
一方の障害という表現は、致し方ないもの、これ以上悪化するものではなく、それと共に生きていくもの、という気がする。

病気は経過途中で、障害はサチっている。そんな感じだ。
前者だと宙ぶらりんな気がして、落ち着かない。まるで放置していたらこれから悪化していくかのようだ。
27年間私なりに受け入れて生きてきたのに、今更手当しなきゃならないもの、なんて思いたくない。

だから私は、この事を障害と言いたい。
治さなきゃ、と焦らぬように。

むしろずっと付き合って、この人生を生きていくのだろうし、チャームポイントとすら言えるようになるのが理想である。(今は厳しい)

気持ち悪い、外見。

「キモ」「おかしくね?」「ラリってる」

これはどれも、私が直接言われた言葉だ。

彼らはきっと見たまま、思ったまま、反射的に言ったのだろう。悪気もないだろう。


特に幼少期は、何度言われたかも覚えていないくらいそんな類のことを言われてきた。


言葉のナイフとよく言うけれど、私はナイフではないと思う。

ナイフはただ傷つけるだけ。一時的なもの。傷もいつか癒える。
そうではない。言葉は一生残るのだ。

心臓に埋め込まれて、忘れようとしても永遠に消えることはない。
ガラスの破片みたいなもの、私はそう思う。

私自身、この障害を持って生まれてきてしまったことでその悲しみを母にぶつけてしまったことがあった。

「どうしてお姉ちゃんは普通なのに私だけこんな目で産んだの」

とんでもないことを言ってしまった。
その当時の母の表情や、その時何と返してくれたのか全く覚えていないのだが、本当に言ってはいけないことで母を傷つけたと思う。

傷ついた人が他者をまた傷つける、そんな負のループだ。

そうやって傷つきながら、この障害が「バレる」ことが怖くなり、人と話すことが出来なくなり、前を見られなくなり、写真に映りたくなくなり、人前に立ちたくなくなり、目立ちたくなくなる。これが人見知りコミュ障の私を形作った。(そこから色々あって現在の人が大好き人間になるのだが、それはまた別のお話)

さてここまで障害の詳細を明かしてこなかったが、その内容を書かせていただこうと思う。

私の持つ障害は、先天性の【斜視】である。

外斜視
内斜視
上斜視
下斜視

その他にもいくつか細かい分類はあるが、
要は左右の目が同じ方向を見られない障害である。
(ちなみに私は外斜視)

右目は正面なのに、左眼は横を向いている。そんな具合である。だからこそ、ものが影分身のように2つ見える。

この障害は、
左右の目で独立して違う景色を見てしまうから、
双眼鏡が覗けないし望遠鏡や顕微鏡、カメラも相性が悪い。

寄り目もできないし美容院で美容師さんが正面に来たり、デパートのコスメ売り場でBAさんにメイクをしてもらうときに目周りに手がかざされるのが大の苦手だ。

歯医者さんで施術のために目周りに手や器材をかざされるのも反射的に目を瞑ってしまう。


「斜視の症状が出ちゃう!」
「斜視の状態を見られたくない!バレたくない!」


必死に、咄嗟に、そう思うのだ。


斜視というのは人によってその発症頻度や程度はまちまちで、
あまり左右のズレがわかりづらい人から、明らかに全く違う方向を向いてしまう人もいる。私は後者寄りである。

また、常に斜視の反応が出ている人と、疲れた時や目の前に物があるときに発症する人、目周りの筋肉の発達によってある程度発症をコントロールできる人などがいる。

私はというと、幼い頃はコントロールが効かなかったのだが、成長するにつれて発症頻度が下がり、かつどうしたら両目正常に揃ってものを見られるか、目周りの筋肉の使い方を含めコントロール方法が段々と分かるようになってきた。

それもあって今ではあまり気づかれないが、夕方になってパソコン業務に疲れてくると発症しやすいので職場ではバレないようにウインクしながら仕事をしているし笑、
視界を遮るものが目の前にある場合はそれが原因で発症しないよう視界から障害物が外れるところまで移動する。それくらい、人に見られたくない。

それでも、「遺伝する?」と根拠のないことを外で言われてしまった時は辛かったし、寄り目をやりたがらない私を「可愛い子ぶってる」と揶揄された時は反論したくとも何も言えなかったし、先端恐怖症と勘違いされて同級生の男の子からいじられた時も本当のことが言えなくて苦しかったし、何より、私の顔を見てギョッとした人の顔はずっと忘れられない。

みんなで撮った写真や動画の中で斜視の症状が映ってしまっていたときは、みんなに見られる前にその写真や映像を消してしまえたらよかったのに…と恥ずかしさと悲しみでいっぱいになる。

幼少期から受けてきたあの私を見る目は、どんなに払拭しようと思っても消えない。
消えないのだけど。消えないのだけど今思うことを。

障害は無視できない

よく、障害者に対して平等に接しましょうだとか、変な目で見たら可哀想だとかいうけれど、私はそれは無理だと思う。ここに断言する。不可能だ。

だってそれは、電車で赤い髪の毛の人が乗ってきたら二度見するなと言っているようなものだし、街中でめちゃくちゃ背の高いイケメンがいたら話題にするなと言っているようなものだ。

"人と違う"ということは、どう頑張ったって事実なのだ。
それを気づいていない、さも意識していないような素振りなんて、むしろ嘘偽りの世界だと思う。

私自身、自分が斜視でありながら斜視の人を見ると「あ、斜視だ」と思う。
それが当たり前になんて到底見えない。芸能人でも斜視の人がいれば敏感に気づく。

当事者であるにも関わらずだが、やはり斜視は見た目にすごく影響を与えるし、周りと違う、変だ、と私も感じてしまう。

私が望むのは、「斜視なんか気にしてないよ」と言われることではない。

「さきって身長高いよね」

と言われるのと同じように、

「さきは斜視なんだね」

と一つの私の特徴として捉えてもらえたらそれでいい。

受け入れる・受け入れないも気にしない。
受け入れられない、気持ち悪いと考える人はそのままでいいし、何も気にしない人はそう言ってもらえたら嬉しい。

ただ、冒頭でも伝えた通り、私は私を愛してくれる人たちに、このことを伝えたいと純粋に思った。隠すのではなく、知って欲しいと思った。

大切な人たちに27年間隠してきた蟠りがあるからこそ、これからは知ってもらった上での関係を築いていきたいと、それだけ真剣に思っているのかもしれない。

終わりに:斜視で悩んでいるあなたへ


もし、思春期で斜視である自分の見た目に悩んでこの記事に辿り着いた人がいるならば、残酷かもしれないが先に言っておく。

斜視は斜視なのだから手術でもしない限り変わらないし、周りの反応が変わることもない(大人になるにつれて周りからは露骨な反応はされず気を遣われるようにはなるが)。

嫌なこともたくさんあるし、27年斜視と付き合ってきて未だに人目を恐れることもある。

それでも、一つ言えることがある。

斜視というのは自分を構成する情報の一つでしかなく、その他多くの情報の方が圧倒的に多いこと。
だから、その一つの小さな要件で不幸になったり悲観的になる必要など無いということ。

その時間は貴重な時間で、もっとプラスなことや幸せなことを経験するためにあなたのリソースを割いて欲しい。

斜視であることは消えないが、それ以外で自分を褒めたり、褒められたり、喜びを感じたり、成長したり。いくらだって他の要素を持っている。

もしかすると、息苦しくしているのは「自分は斜視だから…」と呪いをかけている自分自身なのかもしれない。

そんな偉そうなことを言って、また明日には「斜視じゃなければ……」と思っている私がいるかもしれないが、それもご愛嬌、トータルで人生を振り返ったときに斜視だったことが微々たる要素でしかなく、幸せに満ちているように生きられれば満点だと思う。


そして先日、POOLO生から素敵な言葉をいただいた。


「苦しみや痛みを知っているさきちゃんだからこそ分かることってあるよね」

そっか、そうかも。

私の経験も何かしら還元できるかもなぁ、なんて思って、誰かの何かになったらと今書いている節もある。


斜視について知っていた、知らなかった、に関わらず、ありのままの私を知ってもらえたら何よりです。

さき

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