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ありがたむこと、携えること

「人は早く立ち直ろうと自分の心を削り取り
30歳までにすり減ってしまう
新たな相手に与えるものが失われる

だが何も感じないこと
感情を無視することは
あまりに惜しい


今はまだひたすら悲しく苦しいだろう
痛みを葬るな
感じた喜びも忘れずに」
映画「君の名前でぼくを呼んで」:父親のセリフより

珍しく鑑賞した映画の感想を書こうと思う。

感想、というより、感じたこと、受け取ったことがあったから、
それを忘れないように記録しておこう、に近い。

私の個人的な備忘録にも近いから、あまり詳細は書かないし、
vagueなものになることは先に断っておく。

https://phantom-film.com/cmbyn-movie/

映画「君の名前でぼくを呼んで」

ありがたむこと


ユダヤ教では同性愛はタブーである。
口にすることが許されない。

映画の中で、主人公とその想い人はどちらもユダヤの設定であり、
互いを想っていてもその気持ちを公言することは許されないし、

そもそも結ばれるなどということははじめから叶わない。


主人公の両親でさえ、
口にはしないものの二人の関係を認めてくれているにも関わらず、

そこには「自由」がない。ゆえに離れるしか選択肢がない。



それに比べて自分の置かれた環境の自由たることや。


これは恋愛に限った話ではない。



職業だってそうだ。

最近読んだいしかわゆきさんのポンコツ本にも書いてあった。

大人になってからはたいていのことは自分で動かせる。決断できる。
置かれた場所に文句を言う人がいるが、
そこにいることを選んだのは自分である。

お金が無くて自由が無かったり、
転校なんて自分の意志でできなかったり、
そういう自由の利かなかった学生時代とは違う。


自分がいかに「自由」な環境に置かれていて恵まれているか、
それが見えなくなることのないように生きようと思った。

ちゃんと、ありがたもうと思った。

携えること

苦しいことは極力感じたくない、
悲しみは早く忘れたい。

そんな人が多いのではなかろうか。


私もかつては痛みを忘却したり、
笑って軽いものと捉えなおしたり、
事実を歪曲化し記憶を書き換えたりして、


今思えば荒療治的に乗り越えていた。

だがそれは根本解決にならないし、
何も強くなっていないし、
何も学べていない。


この映画のラストに描写される、
主人公の父親の語りが私は大好きなのだが、
その一説に、とても素敵なメッセージがあった。


それが、冒頭にも引用させていただいた、

「人は早く立ち直ろうと自分の心を削り取り
30歳までにすり減ってしまう
新たな相手に与えるものが失われる

だが何も感じないこと
感情を無視することは
あまりに惜しい



今はまだひたすら悲しく苦しいだろう
痛みを葬るな
感じた喜びも忘れずに」

というものだ。


せっかく感じた感情は、
それだけのことが起きたのだと教えてくれるし、
どれほど自分が動かされているか気づき、胸に刻むことができる。

自分の心の内を知り、
ひいては自分自身を知ることができる。
そして人に優しくなれたり、
時に愛を深めたりもできる。

どうして嫌だったのか、
何が怖かったのかをちゃんと向き合って、
次に備えて予防することができる。


そう、父親の言う通り、
なかったことにするには”あまりに惜しい”ことなのだ。

痛いなぁ、
苦しいなぁ、
哀しいなぁ、
寂しいなぁ。

そういう感情はちゃんと受け止めて、
見つめて、
抱きしめて、
携えて生きていきたい。そう思った映画だった。

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