見つけ合う世界
「見つけてくれてありがとう」
大好きなバンド、SUPER BEAVERの『ありがとう』という曲の一節だ。
今から約7年前、
大学生の私はこの曲と出会う。
当時全く知らなかったこのバンドのこの曲に、
なぜかわからないが強烈に惹かれた。
同時に、
“見つけてくれて“って、なんだ?
と、思っていた。
当時の私の経験値では、
その次に来る歌詞、
「愛してくれてありがとう」
しか理解できなかった。
うん、
そりゃ、
愛してくれたらありがとうだよね、
と。
見つける?
無名のバンドを有名にしてくれたプロデューサーとか?
それとも恋愛的な、数ある人の中から自分を見つけて選んでくれてありがとう、的な?
ふんわりそんな理解で、
後に述べるような大切な意味があるとは気づいていなかった。
(もちろん、メンバーに直接歌詞の意味をきいたわけではないため私の理解が100%正しいとも言い切れない)
人は孤独だから
「人間は自然から分たれて、孤立した。
そして自己と他者を認識できるようになり、
相手を知れば知るほど自分とは違う、わからない、に直面するようになった。
孤独を感じる。
知りたい、わかりたい、溶け合いたい、一つになりたい、と願う、
人間は寂しさを携えた生き物だ」
そんなようなことを、
哲学の教授が言っていた。
ーーーー確かに。
程度の差はあれど、
人は皆どこかで
「自分を一番わかるのは自分だ」
だとか、
「本当の自分は自分にしか見せられない」
とか、
「結局自分を理解してくれる人なんていないのだ」
と感じている気がする。
そこまで明確に言語化していなかったり、普段は意識していなかったり、さほどセンチメンタルにならずに済んでいる人も多いだろうが、
なんというか、
肌で、心で、どこかでは誰しも一度は感じていそうだ。
だからこそ、
誰にもわかるはずがないと思っていた自分を誰かに理解してもらえた時、
自分よりも自分を理解してくれる人がいた時、
目の前の閉じていた扉が開いて、
「ここにいたんだね。」
と見つけてもらえた気がする。
人は皆、誰かに見つけてもらえた時、
終わりのなかった孤独から救い出してもらえた気がして、
たまらなく嬉しくて、
心から感動するのだろう。
心はかさぶたが剥けたばかりの皮膚のように繊細だから、
そこに触れられた時、
自分の思考を超えて気持ちが動いて、
なぜかわからないのに泣いてしまったりするのだろう。
その時初めて、
見つけてくれてありがとう。
と、
その見つけてくれたことそのものにも、
見つけてくれたあなたの存在にも感謝する。
私事であるが、
27の歳になって、
私は人生で初めて見つけてもらう経験をした。
その感動は形容し難く、
ずっと独りで生きていくと思っていた世界に文字通り光が差したようだった。
人への諦めというか、
限界を勝手に決めて、
見つけてもらえないまま生涯を終えるのだと高を括っていた。
「私一生結婚無理だ。誰かと家族になるとか多分できない」
「友達と会っている時間も好きだけど、なんだかんだ1人の方が気楽でいいよね、結局最後は独りなんだし」
なんて今は言えない。
独りでは生きていけない。
それは弱さではなく、
本当に人と関わって、支えられて、支え合って、
見つけ合って生きる喜びを知ってしまったから。
だから私は、見つけてもらえたお礼に、
これから色んな人を見つけさせてもらいたいし、
まだ終わりなき隠れんぼをしている人も見つけ出したいし、
時には見つけ合っていきたい。
私がひどく熱くなっている時があれば、
それはきっとあなたを見つけたいと願っている時だと思う。
完璧な城を手放した先の世界はとても平和で、
早くこっちに来ればよかった、と笑ってしまうほど幸せで、
温もりを感じながら生きることのできる世界だから、
互いに見つけ合ってその優しい世界を何倍にも広げていけたら、というのが私の人生のひとつの野望になった。
見つけてもらえることをどこかで待っている、
人の心の中にうずくまっている小さなあなたが見えた時、
お待たせ、見つけたよ。
と、
触れさせてもらうことに感謝しながら手を伸ばす。
見つける作業は楽しいことばかりではなくて、
時には辛くなったり苦しくなって涙もするけれど、
逃げずに、隠さずに、
大切な人たちと見つけ合っていきたい。
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