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ハートにブラウンシュガー 7

 嫌な予感というものは常々よく当たるものだ。
 その日は朝から雨で、11月も後半に入り、北国では雪便りがちらほら舞う季節になった。このところ毎日が慌ただしく過ぎて行き、物事が何も進まない気がする。日が暮れるのが早くなったせいだろうか。
 真柴レイはアパートの自室で、昨晩切れたエレキの弦を張り直していた。切れた弦は一本だが、全ての弦を張り替える。そうでないと音のバランスが取れない気がしていた。古い弦と新しい弦がバラバラに混ざった状態で演奏するのは、どうにもしっくり来ない。
 そのちぐはぐ感がここ数日、レイの頭を過っているのだった。
 先日のリハーサルでのこと、大体の曲は上手くまとまっていたはず。新しく提案されたボブ・ディランのカバー曲『見張塔からずっと』と『時代は変わる』、この二曲もまずまずの仕上がりで演奏をした。
 ただ何となくだが、その日のリハは全体的にサウンドが重く感じた。

 けれど、こんな日もたまにはあると経験で知っている。秋の新人ライヴツアーも後半に入り、少々疲れも溜まって来ているのだ。こんな時もある。リハは可も無く不可も無く曲を復習って行った。
 問題が発生したのは、ディレクターの松尾から要請されて12月のセットリストに組入れたジョン・レノンの『Happy Xmas』 である。
 勿論、曲に不満がある訳ではない。ティナのヴォーカルも自分達の演奏もそれなりにではあるが、特に問題なくこなしていた。しかし、この曲の聴かせどころはメインヴォーカルとコーラス(バッキングヴォーカル)が絡み合い、イメージが昂まる所にある。タイトルの副題にWar Is Overと付けられている様に大切なメッセージがそこに含まれている。
 ところが、ブラウンシュガーにはティナのヴォーカルにコーラスを付けられるメンバーがいない。
 一応ベースの佐藤三郎ことサブが、かつてはヴォーカルを務めたこともあるので、その日のリハではバッキングコーラスを担当した。レイが聴いた所では、それ程悪くはないとは思ったものだが、音楽プロデューサーのKの判断は不可だった。
 ならどうする、という事でKが出した答えは、次回のリハに女性コーラスを数名用意するというものであった。
 それが今夜のレッスンなのである。
 これまで、ライヴハウスなどの演奏で他のバンドとセッションを行なった事はあるものの、バックコーラスを従えて演奏した経験が無かった上、Kの呼び寄せる女性コーラスとは、一体何者なのか、そこにレイは何だか妙な胸騒ぎを感じていたのである。

 いつものリハが行われるスタジオ、新しく張り替えた弦で気持ち良くサウンドチェックをしていたレイだが、メンバーの顔付きはそれほと芳しいものでは無かった。いや、ドラムスのクマこと茶倉満男は相変わらずのポーカーフェイスだし、お調子者のサブはいつも通りの軽いノリで澄ましている。
 しかし、全体的に空気が重く感じるのは、おそらくヴォーカルのティナが気怠い雰囲気を醸し出しているからに他ならない。
 ティナがレイと同じ様に嫌な予感に見舞われていたのかどうか、それは分からない。だが、序盤いつものセットリストをおさらいして流してる間も、ノリは今ひとつで、気分が乗らない様子が見て取れた。まあリハだから、それほど力を入れて歌う必要もないのだけれど……。その時間帯まだKは現れず、メンバーも特に何も口出しはしなかった。
 プロのヴォーカリストとして充分に通用する実力を持つティナだが、唯一、ダメなのは気分屋である所だ。これまでにも客の入りが少なくて気分が乗らず、充分に魅力を発揮出来ないままステージを後にした事も数回あった。その代わり気合いが入った時は、人を惹きつけるだけのパワーを十二分に兼ね備えているのだが……。
 Kはよく、ティナのその辺りの事を指摘する。常に同じ熱量を持ってステージに立つこと、今やっているライヴツアーはそれを克服するための試練だとも言う。
 その事はティナも重々解ってはいるのだが、言うは易く行うは難し、何事もそんな塩梅であった。

 スタジオリハが一時間程経過した辺りで、Kが現れた。そのKに続いて顔を出したのが、同じ新人ユニット『ノア』の三人組であった。
 無表情のKに意味ありげにニヤニヤしているノアの女性達。
 ブラウンシュガーの面々は何故Kに連れられてノアがスタジオにやって来たのか解らずに唖然とした。
 手荷物を所定の場所に下ろすとKはつかつかと全員を見渡せる位置に立ち止まって、
「彼女達に『Happy Xmas』のバックコーラスを担当して貰う事にした」
 と、いつもの冷静な口調で淡々とそう伝えた。
 ティナの表情が凍り付くのをレイは見逃さなかった。クマも若干驚いて口をポカンと開けている。それに対し、ノアに興味を持っているサブは喜びの表情だ。
「いや、ちょっと待ってくださいKさん。彼女達は今、俺たちより人気のあるグループだ。それが、たった一曲のために俺たちのバックに回ってくれるって……、あんた達本当に、それでいいのかい?」
 リーダーのクマが質問した。最後の部分はノアの三人に向けてのものだ。
「もちろんです」
 ノアのリードヴォーカル・マリンはそう即答した。後の二人、ミユとマユも微笑んで、「よろしくお願いしま〜す」と声を揃えた。
 冗談じゃない! レイはKを睨み付けた。
 しかし、自分でも気が付かない内にこの事を予感していたと思い至った。
 全く、嫌な予感程よく当たる。何となくスタジオ内に見えない火花が飛び交っている様に思えて、狼狽えてしまう。とりあえず心配なのはティナだ。
「大丈夫か?」レイはティナに声掛けた。
 ティナは黙ってソッポを向いた。ちょっと気が動転してるかも知れない。
「ちょっと、休憩させてくれ」
 レイはそう言ってギターをスタンドに置いた。

 スタジオを出て化粧室の隣、自販機の前に並んだ椅子にティナを座らせ、レイは何か飲むか? と訊く。
 何でも、と呟くティナにレイはレモンティを買って差し出す。自分も缶コーヒーを買って横に腰掛ける。
「事前に相談も無く勝手に決めやがってKの奴……」
 レイはイライラした調子で愚痴を言う。
「まさか、あの子達がコーラスを引き受けるなんてね」
 ティナは小さく笑った。
「ああ、一体、何を考えてんだろ?」
 二人は暫く黙ってドリンクを飲んだ。
 何か言葉を紡ぐより、気分が落ち着くのを待った方がいい。そう思えたからだ。
 だが、一応Kには何か一言、言っておきたい。
 こんな状況で演奏するのは気不味いものだ。
「俺、先に中行ってるから、気分が落ち着いたら来いよ」レイはそう言って立ち上がり、空き缶をゴミ箱に放り込んでドアに向かった。

 レイがスタジオに戻るとサブとノアの三人は何やら楽しそうに談笑していた。クマはドラムのハイハットの位置を微調整している。Kはキーボードの所で譜面を見ながら何かを書き込んでいる。程よく他のメンバーから距離が離れた位置にいる。
 レイはスタスタとKの元へと近付いて行った。
「ちょっと良いですか?」
 Kは少し顔を上げ、どうしたと聞いた。
「あの、ティナの調子が悪そうなんで、今日は帰らせたいんですが……」
 Kは一瞬動作を停止させ、少し考えるそぶりを見せた。
「そうか、ちょっと話してみるよ。今どこに?」
「外で休んでます」
 Kはそちらに向かう。レイも後に着いて行こうとすると、きみは中で待ってる様にと行く手を制されてしまう。
 仕方なく、ギターを手に取り、チューニングをし直していると、クマが傍にやって来た。
「どうかしたのか?」
「いや、ちょっとティナの調子が……」
「そうか、それはアレのせいか?」
 クマは小声でノアの三人に気付かれ無い様にチラリと視線をそちらに泳がせる。
「ええ、まあ、その、なんて言うか……」
「いいんだ。知ってるよ。『白い風船』だろ?」
「あっ、知ってたんだ」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってんだよ」
「いや、そんな意味じゃ、でもKは……」
「Kも知らない筈は無いと思うんだけどな。今何してる?」
「ティナと話に」
「そうか……」
 クマはどうしたものかと首を左右に捻ったが、
「一先ずここはKに任せるしかないな」と言って、戻って行った。
『白い風船』というのはティナとノアの二人(ミユとマユ)が組んでいた三人組ユニットの名前だ。
 レイがティナをブラウンシュガーのヴォーカルに引き抜いた事で、脱退の時に少し揉めたという。
 それが今度は、マリンという新しいヴォーカルを加えて『ノア』というヒップホップユニットとしてライヴツアーに参加している。
 そちらもKがプロデュースしてるので、おそらく声を掛けやすかったのだろう。
 しかし、ティナの立場として、今更あの二人をバックにして一緒にステージに上がるというのはどうなんだろう。新人ライヴツアーの反応を見る限り、今はブラウンシュガーよりノアの方が人気もあり、グッズも売れている。わだかまりが無いとは言い切れない。
 ノアの方もよくバックコーラスでの参加をOKしたものだと思う。
 そんなこちらの心配をよそにノアの三人はサブを交えて和やかに会話して寛いでいる。

 暫くしてスタジオにKが戻って来た。ティナも後に続いて入室して来た。二人とも無表情に近く、どんな話し合いが行われたのか、全く想像が付かない。
「じゃ、みんないいかな?」
 Kがみんなに呼び掛ける。
「今日は一回目の練習だから、感覚だけ掴んで貰えば、それで良い、ティナの喉の調子があまり良くないので、抑え気味に歌って貰うから、今日はその積もりでやってくれ、じゃ用意して」
 そうして、みんなはそれぞれ所定の位置に着いた。

 結局、その日、ティナのヴォーカルは本調子が出ないまま、囁く様な掠れた声で数回繰り返した。
 しかし、さすがにバックコーラスが入ると曲の厚みが増し、演奏は前回より数段レベルアップした。
 次回もう少し、ティナのヴォーカルが戻ると良いのだけれど……。
 帰り際、ノアの三人はみんなに笑顔で挨拶をして帰って行った。ティナとも軽い挨拶を交わす程度で、込み入った話を持ち出しはしなかった。レイは一安心してティナを車に乗せて帰路に就いた。

「Kは何と言ったんだ?」
 帰り道、運転しながらレイはティナに訊いてみた。
「私達の経緯は知ってるみたい。だからと言って、それで何をどうするという程の事でも無い。個人的な感情で共演NGにしたいのだったら、もう少し実績を積んでからにすればいい、だって」
 レイはKが言ってる事にも一理はあると思ったが、ティナの心に微妙なさざなみが立っている事は確かである。
 それをどうするかだ。とりあえず今日の所はKの配慮もあり、喉の調子が良くないと事前に伝えてくれてその場を凌いだが、本番は確実に近付いている。
「でも、見た感じではミユとマユも以前の事は何も根に持っていない印象だけどな」
 レイは何気なく率直な感想を呟いた。
「前で歌ってるとね。背中越しに二人の視線を感じるのよ」
「えっ?」
「心の中は分からないわ。きっと私に関して友好的な感情は無い筈よ」
「そうか、でも、まあ、これ一曲済めば、それで終わりだからな」
 レイには表面的には見えない女同士の感情の機微が、もう一つ掴み切れずにいた。
「そうね」
「とりあえず、次のリハ、それからライヴもまだ残ってるから、本当に喉の具合とか気を付けた方がいい」
 ティナは特に返事はしなかった。
 レイにはそれ以上、掛ける言葉も見つからなかった。

 週末、11月最後のライヴが土日に二回行われた。
YouTubeでの動画配信なども功を奏して、最初の頃に比べると客の入りはまずまずだった。
 それでも人気の点で、ブラウンシュガーはノアやバーンズに負けていた。あと二人のソロシンガーがライヴに参加しているのだが、一人は男性のバラード歌手で、もう一人は女性演歌歌手だ。音楽のジャンルが違うという事で、それぞれに素直にエールを交換し合った。二人とも気さくな人達でクマやサブも会えば笑顔で会話していた。
 ブラウンシュガーの出番はいつも最終組で、その状態にも慣れて来た。途中で帰らず最後まで着席していてくれる客に向けて、感謝の気持ちを込めて、精一杯演奏した。ティナもリハよりはステージの方が声も出るし、生き生きとして見える。気持ちの良い演奏が出来て、演奏後の拍手も大きく聴こえる様になった。
 さて、来月からは例の『Happy Xmas』 の曲を締め括りに演奏しなければいけない。それまでのリハで本番に近い形で仕上げなければ、演奏出来なくなる。全てはティナのヴォーカルにかかっているのだが……。

 火曜日、ノアをバックに二回目のリハをスタジオで行った。
 ティナはやはり声が出なかった。
 Kがキーボードを演奏するのを止めて、手で合図しながら前に出た。バンド全員、演奏を中止した。
「今の状態では無理だ」
 ティナは悔しそうに口を押さえて俯いた。
 背後でノアの三人もザワザワとし始めた。
「あのぉ」と声があがる。
 振り向くとミユがコーラスマイクの前で手を上げている。全員がそちらに顔を向ける。
「ヴォーカルをマリンに代わって貰ったらどうでしょうか?」
 全員が絶句するし、言われたマリンさえも大きく目を開いて驚きの表情をする。
「それはダメだ。これはブラウンシュガーのステージだからな」
 クマが抗議する。
「だったら、せめて今、このリハの間だけでも」
「それはしても意味が無いだろ」
「でも、こんな状態だったら練習も出来ないし、ステージでも歌えないですよ」
 ミユの言葉が少しキツくなった。ティナがキッとそちらに目を向ける。
「少し、休憩してからもう一度、やり直す」
 Kはそう言って、ティナをスタジオから外へ連れ出した。
 みんなそれぞれ、バラバラに思い思いの行動を取る。

 レイは出て行ったKとティナの様子が気になり、そっとスタジオを抜け出し、廊下に出てみる。
 化粧室の隣、自販機のスペースの壁際にあるテーブルを挟んで、二人は向かい合って腰掛けていた。ティナの前にはミネラルウォーターのペットボトル、それを一口飲み干して置いた所だった。
「これは技術的な問題じゃない、心の問題だ」
 Kは言った。
「おそらく、きみの場合は今後、バンドのヴォーカルとして、またはソロのシンガーとして、プロでやって行くことになると思う。これからいろんな経験をすると思う。こんな事は度々起こるよ。僕にも経験がある」
 ティナは神妙にKの言葉を聞いていた。
「なんでこうなっちゃうのか、自分でもよく分からなくて……。身体の変な所に力が入ってるみたいで、上手く声が出なくなるんです。多分、一時的な問題だと思うんで、少し休めば大丈夫です。多分」
 なるほど、とKは呟いて、
「イップスという言葉を聞いた事はある?」と尋ねた。
「イップス?」
「そう、主にスポーツ選手がよくなるもので、例えば、ゴルフの選手が1メートルのパットにパターを持つ手が震えて打てなくなったり、野球の投手がインコースにボールが投げられなくなったりとか……、原因はそれぞれに何かあるのだろうけど、要は精神面の問題だ。きみがそうだと言ってる訳じゃ無いんだけど、僕の場合は、キーボードの鍵盤を叩けなくなったんだ。あるステージで。それもまたイップスだった」
 Kの話にティナは少々驚いた。何でも完璧にこなしてる様に見えるKにもそんな事があったとは。
「そうなんですか。それで、どうしたら、治るんですか?」
「いや、治らない」
「えっ、治らない?」
「実は、今もまだ、抱えてるんだよ」
「でも、そんな風には全然見えない」
 Kはほんの少し、口元を緩めた。
「それは、人には気付かれない様に振る舞ってるからね」
「はっ? そんなこと簡単に出来ますか?」
「簡単とは言わないよ」
「やっぱりね」
 ティナは少し肩を落として息を吐いて、
「私っていつも気分に左右されるもんだから……」と、掌で顔を覆う。
 Kは少し間を置いた後、
「それがきみの持ち味でもある」と言う。
「そうですか?」
「そう、良くも悪くもね」
「……悪い時が問題だわ」
「プロとしてやって行くなら、その問題は悟られない様になるべく隠した方がいい」
「隠すんですか? 治すのじゃなくて」
「そう、イップスは治そうと思っても治るものじゃない。そこにあるものとして受け止めるしか無いんだ」
「そこにあるものとして受け止める……」
 ティナはKの言った言葉を復唱して咀嚼する。
「そうなんだ。人間だからね。心を持ってる証拠でもある。でもね、それを人に悟られない様にしてるのは、そういう仕事だから、精一杯の努力をして、表に出さない様に工夫しているんだ」
「工夫って、それは……、例えば、どんな?」
「う〜ん、方法は人それぞれだから、一人一人違うのだろうけど……、そうだな、僕はいつも、もう一人の自分がいて自分を客観的に見ている感じを持とうとしている。意識を自分の外側に置くと言うのかな……」
「なんか、解る気もするけど、難しいな……」
 ティナは溜息を吐いた。
「きみの場合はきみなりの解決策を早く見出す事。焦る事はないけど、どうやったらいいか、いろいろ試してみるといい。それに、実は僕は、今回、こう言う事も有り得ると想定した上で、ノアにコーラスを依頼してみたんだ」
「ええっ? 想定した上でって、じゃ、態とだったんですか?」
 ティナはちょっとKを睨む。
 Kは相変わらずの調子で、淡々と話す。
「他に良い人材がいなかったというのも事実なんだけど、でも、さっき言った様にプロでやってる以上、こんな経験はいずれまたどこかで起きると思う。それに彼女達はバックコーラスに入る事を別に嫌がってはいないよ」
「それは……、そうかもね」
「観客がいてくれる限り、なるべくそれを悟られない様に工夫していい演奏をする。そのためには経験が必要になる。今回の事も将来的にいい経験になってくれたら良いのだけどね」
 Kは、ティナの様子を伺いながら、間を取りつつ尚も続けた。
「クリスマスは毎年あるから、ダメならダメで仕方ない。その時は僕が松尾さんに謝れば済むことだし、だから、ほんの少し、何か工夫してみたらどうかな? 声はきっと出る筈だから」
 おそらくKは、今の事だけではなくて、これから先の事を考えた上で、ティナと接しているのだろう。
 最後の一言を聴いてティナは若干、口元を緩ませた。そんな気がした。
 ティナが頷くと同時に、壁際で二人のやり取りを聴いていたレイの背中に、同じ様に耳を澄ましていた数人の体重が一挙にもたれ掛かって来た。
 ドタドタ、キャーという音や声がして、ブラウンシュガーとノアの面々が雪崩の様にその場に倒れ込んだ。
 唐突に訪れたコントの様な一場面に、静かだった空気が一変した。
「何をしてるんだ? 君たち」
 Kの声に、レイとクマ、サブ、マリン、そして、ミユとマユはフロアに膝をついた状態で、照れ臭そうに「すみません」と頭を掻いた。
「何やってんの? バカみたい!」
 ティナはそんなみんなの様子を見て、手を叩いて笑い声を挙げた。


 これで、すんなりと上手く行く程、簡単なものではないが、以前より空気は軽くなった事は確かだ。
みんなの表情も少し良くなったみたいだ。
 次のライヴまでにもう一度リハがある。もしかしたら、何とかなるのかもしれない、そんな気もした。
 折りしも明日から月も変わって12月だ。秋のライヴツアーもあとひと息のところまでやって来た。
 レイはその晩、ふと浮かんだメロディを何度かギターでリフを繰り返し、何とか新しい曲を完成させた。
 それはどことなく何度も練習して聴き込んだボブ・ディランの曲調に雰囲気が似ていた。パクリではなくて、良いものには影響されて、自分なりの曲が出来上がる。コード進行とか、歌い出しやサビのメロへの繋げ方だったり、行き詰まっていたものが、活路を見い出して動き始める事がある。新しいイメージが目から鱗が落ちた様に湧き出て来るのだ。
 そう言えばディランを薦めたのもKだったなと思い出しながら、何となく充実感に浸りながらレイはタバコの煙が籠ったアパートの窓を開け、空気を入れ替えた。



ハートにブラウンシュガー7

おわり

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