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【短編小説】幸福の勇気#5

以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。


前回

耄碌婆


 氷の台座にぼっ立っている勇気。同じ姿勢でぼっ立ったままいると最初のうちはものすごく疲れてしまったのだが、とにかく寒村ではあるのでまず氷柱にくっついてしまっている足から凍るというか見た感じでは氷柱と一体化しているように見える。

 で、しんしんと降りつもる寒村の雪によって頭部も凍った。普通であれば胴体の部分と言うのは貧乏で栄養が足りていないガキとは言え、脂肪が豊富で凍り難いのではないか?と思われるのだが、なにしろ同じ貧しいガキでも勇気の場合には腹に大穴が空いているし内臓もない。簡潔に言えば体内の熱は逃げ放題であって、逆に言うと外界の冷気は体内に入り放題であるので当然ながら中からも外からも勇気の胴体は凍る。ここまで来てしまうと不思議と寒くない。いや不思議でもなんでもなく単に寒さが度を越して感覚が麻痺しているだけであって、ほぼ死んでいるに等しい。
 んー、粘膜?のおかげかどうか知らないけれどもその段階ではまだ目玉は凍っておらず、しかし顔面は凍っているので勇気は暇つぶしに目をぎょろぎょろと動かしていた。そうすると距離が近いせいか眼球運動によって脳にも刺激が行くようでほぼ死体の勇気になぜかファイトが漲ってくる。漲っても凍った体は動かない。この状態で仮に無理やりに動かしたら氷を砕くのとまったく同じ原理で勇気も砕けるだろう。とまれ体は動かないので目をぎょろぎょろする、脳がアクティヴになりファイトが漲る、ファイトは発散されず勇気のうちに溜まる、ファイトを発散するために本能で目をぎょろぎょろするというような強烈に限定された小さな生命活動を勇気は延々繰り返していた。ひまつぶしに。
 
 ぎょろぎょとと動かす目玉、それが捉える視界、その端っこの方に勇気は人影を捉えた。救いを求めようにも体は一切動かないのでぎょろぎょろを超高速で行ってなんとかアピールしようと努力はしてみた。人影はとりあえず近づいてきてはいるのだが、とにかく遅い。速度が遅い。イヤになる程の遅さ、牛歩、のろま、てめぇ耄碌婆みたく緩慢に動いてんじゃねぇ!そんな悪態というか呪詛に近い言葉が勇気の頭蓋内で反響し、興奮で目玉は更に高速回転し始めた。
 あくまでもマイペースに歩むその人影はなんと完全な耄碌婆だった。勇気の悪態は的を射ていたのだ。白杖を突いていることから耄碌婆は視覚になんらかの問題を抱えていると思われ、そりゃ勇気がいくら懸命に目玉でアピールしても視認できるはずがなかった。耄碌婆の白杖を確認した瞬間に「もうだめだ」と感じてしまって勇気のファイトは一瞬萎えそうになったのだがとにかく体が動かなくてヒマという強いストレスを解消しなければならないという本能からそれでも目玉はぎょろぎょろし、ファイトは充満し続けていた。
 耄碌婆はとうとうファイトに満ち溢れた勇気の前に立った。ファイト満々過ぎて、耄碌婆をレイプする妄想が勇気の内奥で爆発したのだが残念、体が動かず性器も萎えたまま氷結してしまって使い物にはならなかったのでこのプランはおじゃんになった。勇気はまたも「もうだめか」と脱力し項垂れて哀れを誘おうとしたのだが首が凍って項垂れることもできず、結局目玉をぎょろぎょろしてファイトの蓄積を続けることになった。
 耄碌婆はといえば犯されることも無くゆっくりと余裕で勇気の前に立ったがやはりその眼球のぎょろぎょろには気付かなかった。勇気はまったく誰も気づいてくれないぎょろぎょろをあくまでも自分が生存しているという事のアピールとして行っていた。
 耄碌婆はツッと顔を上げた。勇気はここぞとばかりにぎょろぎょろしたのだが、耄碌婆の両目は閉じられていた。勇気の努力は報われなかった。やがて耄碌婆は勇気の前に跪き、手を合わせて頭を垂れた。

 「おいおい、俺は勇気10歳だ。地蔵じゃねぇぞ」
 当然だが凍った唇は勇気の声を外には出さず、耄碌婆への不満は相変わらず頭蓋で反響するだけだった。

 耄碌婆は突如詠唱を始めた。読経じゃないね、これは。喉笛に近いような神秘的な音で心の赴くままに、自然発生的に紡ぎだされる不規則なメロディを奏でていた。宇宙?なんかそういうスケールの大きなものを想起させるような詠唱だった。まぁ、地球上の民族音楽的なカテゴリーから無理やり例を出すとすればブルガリアン・ボイスとかアメリカ大陸先住民の各種詠唱とかそのあたりに近いかな?とは思うが、まぁ違う、もっとスケールが大きい。
 耄碌婆の詠唱は周囲の木々を揺らしその枝の雪を払った。また、竜巻を呼び大量の雪が舞い上がった。木々から払われた雪、大地から舞い上がった雪、それらが全て一旦空高くに吹き上げられ、地上は春のポカポカ陽気になった。勇気は「助かるかもしれない」と陽気な気分になったのだが次の瞬間、耄碌婆は突然詠唱を止め、吹き上がっていた雪が一気に地上に落下してきたため、勇気は雪に埋まり、首から上だけが雪上にあった。

 当然再び勇気は絶望した。

 凍った上にこの深い雪に埋もれてしまっては逃げるのは不可能と言える。耄碌婆も埋まったようで視界には入らず、勇気はやや留飲を下げた。
 「耄碌婆、ハンパなことすんじゃねぇよ!」
 勇気は頭蓋内に木霊する自らの声に満足した。

(…to be continued)

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