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【短編小説】幸福の勇気#7

以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。


前回

上昇する耄碌婆をレポート

 雪から生えてきた腕に握られ天を刺すように伸びていた白杖はやがて次第に本当に天に向かって上昇していった。
 白樺の幹に刺さるようにして留まっている細ガラスの嘴に咥えられたままぎょろぎょろしていた勇気の眼球はその光景を見た、そしてその情報は即時勇気本体の脳に送られ「なんだこれは、おかしいじゃないか?雪から突き出したのが白杖という事実より雪下から登場するのはあの耄碌婆であろうと推測される」というレポートを眼球に返した。

 そして実際、上昇を続ける白杖にぶら下がるような形で耄碌婆の顔面迄が雪下から登場した。眼球は見たままを脳に送った。

 「が、しかし。白杖はなぜ上昇しているのか、重力にさからって、しかも耄碌婆の上には相当な分量の雪があったわけでその重さを考えればそうそう簡単に地上に戻ることはできるはずがないのではないか?」

 勇気の脳がそのような演算結果を眼球に飛ばしている間にも耄碌婆は上昇し、バスト近辺までが視認できるようになった。バスト近辺と言ったのは、耄碌婆の着衣と言うのが頭陀袋の底に穴を開け逆さにして被った腰のあたりを麻縄で絞めてあるというみすぼらしい物であったため、首から下は寸胴のようで肉体の凹凸が判然としないので麻縄の位置から推測した位置を眼球が脳に送ったという事である。

 「いや耄碌婆の上昇度合はどうでもいいので、まずはなぜ耄碌婆が上昇しているのかを確認せよ」

 偉そうな脳の物言いに反感を覚えながらも眼球は細鴉の嘴でくくくと動き視線を耄碌婆のバストから首、頭、腕、そして手に握られた白杖から更に上の空に向けた。おや?なんか空に黒い雲上の塊が居る。まずはそこまでの情報を脳に送り、眼球はその黒い雲上の塊を凝視する。目を凝らす。眼球は疲労によって充血し表面が乾いてシバシバし始めたのだが我慢して見据えた。よく見ると黒雲から無数の無色な蜘蛛の糸の如き線が白杖に伸びていて、どうもその糸で黒雲に向けて耄碌婆は上昇しているようである。

 「ふむ、その黒雲の正体はなんぞ?」
 脳は眼球にそう返し、眼球は更に黒雲を凝視する。ズーム機能を使い蠢く黒雲に苦労してピントを合わせながら能力の限界を超え充血し乾きながら黒雲の正体を追い続けた。そしてポンという軽い音とを立ててついに、かつては勇気の右目として配置されていた眼球が破裂してしまった。殉職である。彼の死を無駄にしてはならない。残された左眼球は高い職業意識で黒雲を追う。そしてズーム機能ももう限界、ドライアイで視界が曇る、血液が充満してパンパンになる等の機能不全の末、ついに勇気の左眼球は黒雲の正体を見た。
 それは無数の細鴉の集合体であった。
 楊枝のような細鴉がみっしみしの密度で隊列を組み、その嘴からほぼ視認できないほど細くしなやかでかつかなりの強度を持った細糸を白杖にまとわりつかせて耄碌婆を釣り上げているのである。眼球はくたくたになりながらその情報を脳に送った。
 「わー細鴉の密集、気持ち悪っ!」
 脳が率直な感想を眼球に返したその直後、耄碌婆はその全貌を雪原上に提示した。その姿は埋められる前と何一つ変わっていなかった。眼球はありのままを脳に送信する。
 「なんだつまらん」
 脳は思った通りを眼球に返した。演算する必要も価値もない。変化に乏しい生き物は死んでいるのと同じである。

(…to be continued)

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