新書と文庫

 この前、思い立って那須に出かけたとき、旅のおともにと思い、梨木香歩さんの「裏庭」を持っていった。読んだことはあるが、なんとなくその日の気分にしっくりきたので持っていった。

 ここ数年は、旅行に行くときや仕事の関係、実家への帰省などで長時間移動するときには必ず文庫本をかばんに入れていく。あの文庫本のサイズがちょうどいいのだ。電車の乗り継ぎを待っていてかばんからすっと取り出す感じや、新幹線でうとうとしたときに前の席のポケットにいったんしまっておける感じがいい具合だ。

 だからといって、新書がいやなわけではない。すでに文庫で読んだ本でも、何気なくその新書に出会って、購入してしまうこともある。そんなとき、表紙を見て「ああ、この本はこういう意味だったのか」と再発見することもある。中身は(たまに加筆修正が施されている場合もあるが)一緒なのに、手に取ったときの質感や表紙、帯の文句などによって受ける印象が変わってくる。

 こうやって考えてみると、本は不思議だ。単純な文字の情報ではなく、本そのもので何かを表している。もっと言えば、その本が置かれている環境(書店のどのコーナーにあるのか、どんな書店なのか、書店がある地域はどんなところなのか)だって関係しているかもしれない。

 ざっくり言ってしまえば、文脈というものなのだろうが、本当に人間は主観の中で生きているんだなあと思う。では、みんなが共有できる真に客観的なものはあるのだろうか-。と、結局のところいつも同じ疑問に還元されてしまう。

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