始めるより終わるほうが難しい

 少し前に、あることを諦めた。ここ数年間、自分なりに力を注いできたつもりだったが、なかなか始末がつかず、終に今の自分にはこれを成し遂げることはできないと納得した。

 納得したはずなのに、そこから何日もそれでいいのかという疑問が浮かんだり、やめることにしたはずなのにそのことに関連する作業をし始めたりと、要するに未練があった。それは自分の心の中だけではなく、周りの人からどう言われるだろうか、今後どう見られるだろうかという外から発せられるものもあった(実際は、自分の心の中で起きていることなのでどれも自分発信なのだけど)。

 これが、何らかの害がある習慣だったら話は別だ。例えば、多量の飲酒喫煙や不健康な生活習慣、人とトラブルになる言動など。そういった類のものならやめることに明確なメリットがある。

 一般に良しとされていることをやめるのは難しい。そうであればいっそ、「それはやる価値のないことだ」とか「それに費やす時間がない」とそれらしい理由をつけて自分の決定を肯定しようとした。それだけでは足りないと思い、考えなくていいようにすべてを切り離して、心機一転とも思った。しかし、それらは全部違っていた。

 きっと、今の気持ちのゆれも含めて引き受けなければならないのだ。自分にはそれを成し遂げる力が今は備わっていないこと、うまくいかない中でモチベーションを保っていけないことを認めなくてはならない。

 そのことと自分とのつながりを断ち切ったり捨て去ったりするのではなく、未完成のまま心のどこかのスペースにおいて置くようにしたい。時折、眺めては「うまくいかなかったなあ」「自分の力不足だった。悔しかったなあ」と思い返すことができるようなそんな場所においておきたい。

 調べてみると、「諦める」には本来、そのような意味があるらしい。物事の道理や自分の願望が達成しない理由を理解して、納得して断念するプロセスであるらしい。否定的な意味はなく、むしろ積極的な印象すら受ける。

 そういえば、このことをだいぶ年上の人に相談したとき、「やめるって本当にエネルギーのいることよ」と私の決定を肯定してくれた人がいた。その人が、私が今のような心理状態になることを予想していたとは思わないが、今は本当に何かをやめることは大変だと思っている。新しく始めることよりも難しい。

 断ち切ったり切り捨てたりするのではなく、諦めること。そのものをしっかり見つめて、理解した上で手を離して、心のスペースにおいておくこと。そう考えると、少しだけ心のざわざわした部分も落ち着いてくるように思えた。

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