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藝大DOOR ドキュメンタリー制作   課題映画: 道

DOORの選択授業でとったドキュメンタリー制作。先生の、映像制作に教科書はない、とにかくいい映画を見ましょうというお考えのもと、毎回課題映画が出される。せっかく、いろいろな映画を見るよい機会なので、記録的に見た映画と感想など。

第一回の課題映画はフェデリコ・フェリー二のデビュー作と言われる「道」
1954年の作品。ちなみに、1956年に日本では経済白書が「もはや戦後ではない」と経済の急拡大を宣言し、社会も大きく変わってきた。三種の神器がもてやはされたのもこの頃。
授業で先生も言っていたけれど、この時期のトーキーはアフレコ。そのため、wikiによると、
当時のイタリア映画の慣習から、撮影は音声の録音が行われず、会話と音楽と音響効果は後で追加された。ゆえに、キャストたちはそれぞれの日常の使用言語を撮影中に話し、クインとベイスハートは英語、マシーナその他の面々はイタリア語であった。クインはメキシコ・チワワ生まれのアメリカ育ち、ベイスハートはアメリカ・オハイオ生まれのアメリカ育ちで、この2人はイタリア語を話さず、イタリア語のオリジナル版における2人は吹き替えであった。英語吹き替え版において、クインとベイスハートは自分の役の吹き替えをしたが、マシーナは別の声優が吹き替えをした。
とのこと。面白いね。

それにしても。日本がGHQに追随して敗戦国を返上し、エコノミックアニマル道を突っ走っていたこの時期に、人身売買、旅芸人、そこに宗教をからめた展開。北イタリアの暮らしはいかにも貧しく、焦土と化した地域で敗戦国になるってこういうことなんだなと、改めて考えさせられた。

イル・マットの「実はザンパノはあなたの愛情を必要としている」という言葉に、サーカスと一緒にザンパノから離れるチャンスを自ら反故にするジェルソミーナ。典型的なDV夫とその妻みたいだ。
美化されやすいストーリだけれど、そして、どんな悪人にも反省の心があると最後の海辺のシーンはいいたいのだろうけれど、雪の残る山中に置き去りにされたジェルソミーナは、山から下りきて、助けてくれる人はいたものの、おかしくなったまま世を去る。
それを、どう捉えるか。神の摂理だと、思えるか。

貧しい暮らし、生き抜かねばならない現実。笑いを作ることはあっても、自らが笑うことのない生活。それでも、「世の中のすべては何かの役に立ち、ジェルソミーナも役に立っている、それは神が知っている」と信じて歩き続ける……と思うと、根性のない私などは、本当に折れそうな気持ちになっちゃうけれど、精神的に余裕のない生活ってそういうことなんだ。だからね、気持ちの余裕、笑いのある暮らしは、何ものにも代えがたい。
そんなことを見終わってからつらつらと考えた。


得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)