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朝がくるとき

朝の空気が、わりと好きなんだと、最近思えるようになった。

眠れないまま、ゆっくりと夜が明けていく時間。
ふと、早くに目が覚めてしまった早朝。
たっぷりと寝て、ああ今日はとっても大事な舞台に立つ日だ、と空を見上げる時のしんとした明るい匂いのする瞬間。

色んな朝があるけど、夜を越えたからやってくるそれは、何気ない温度や光を浴びることは、きっととても特別な、やさしいもので。
ずっと夜ばかりみつめてきたけど、とろとろゆっくりおひさまを感じて、ふうわりと新しい一日を感じるのは、悪くないなって、まどろみの中で思ったりする。

少し前までは、あまり好きじゃなかった。朝が近づくのは怖かった。悲しみや不安を燻らせたまま漂った夜が更けていって、寂しくて、いつのまにか眩い朝日が降り注いでいると、どこか責められているような、やるせない気持ちになった。ふわっと、消えてしまいたくなることだって、あったりして。
別に今、そういう全部がなくなったわけではない。10代の頃、悪夢を見るのが怖くて眠らなくなっていったあの日から、私はどれだけ歩けたかなって後ろを振り返るのはまだ怖いけど。だけど、進めたかなって少し信じられるようになったこととか、今、沢山の好きなものに、人に、生かされてここまでやってきたなぁて思う時、朝への恐怖は虚空に静かに溶けていくようになって、気づいたら、ちゃんとまたやってくる日常を、愛していた。
満たされることを怖がる私と、日々を愛させてくれよ、て手を伸ばす私と、その全ては私にとって真実で、だからもう否定するのはやめた。

朝も、好きだよ。私はちゃんと未来の私に期待している。
大切に願ってもらったぶん、愛してもらったぶん、本当はわかっていて、でも自信がなくて、それでもここまで歩き続けてきたこと、それがすべてだ。言い訳なんかしなくたって、泣きながらも今までやってきたこと、やりたいと思っていること、受け取ってもらえたこと、その全部の想いと記憶が私の道標だ。

朝が好きだと気づいた(推しアーティストが朝も愛している、と言っていたことにももちろん影響を受けている部分もあるだろうけど)、私はもう夜が明けていくことに泣きじゃくる日々から、一つ先へ踏み出したと思ってもいい。
ただ、それでも怖いから拒絶したい時だってあるかもしれない、そういう朝日を見たくない日は布団に潜り込んで、毛布にくるまるあったかさを愛して眠ったっていい。痛みを抱えていることをどうかそっと赦して、そうやって生き延びていこう。
眩しさに目がくらむ時はぎゅっと膝を抱えて夜空のもとにいけば大丈夫。朝を愛せる日、うまくそれができない日、その全ては、懸命に生きている証だから。

私は私に微笑んで精一杯抱きしめてもらえる、頑張ったねって、頭をなでてもらえるその日まで、さいごまで、一歩一歩踏みしめて、たくさん愛して、前へ前へと、道を繋げていく。


対、になるかはわからないけど、これは私の夜のはなしについて書いたもの


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