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日本で特権階級にいるあなたへ

最近、私は差別や偏見について、今の自分の考えをまとめています。正直に言うと、まだちゃんと勉強したわけでもないし、関連する本も読んでいません。

でも、だからこそ、本を読む前の今の自分の気持ちや意見を、残しておきたいと思ったんです。


考えをまとめている中で、社会的弱者と強者のどちらか片方だけ努力しても足りないのではないかと思わされました。そんななか見つけたのが「無意識・無自覚の特権階級」という言葉です。

特権階級と聞いて最初に思い浮かべたのは、政治家の子供や財閥の子供など、ドラマやアニメの設定であるようなお金持ち。もしくは、皇族とか、とにかく家柄が良い人たちのことでした。

でも、違うようなんです。

私が、特権階級だったんです。

正直、特権階級という言葉を自分に当てはめたことはなかったので、すごく驚きました。私の何が特権なのか。調べながら想像していきました。


特権階級にいる人物とは、自分のことだった

まず、中卒で働く必要はありませんでした。高校卒業後は、進学するか就職するかを自分で選べました。ケアすべき家族はいませんでした。

少し良い大学に入ったおかげで、就職時、書類選考で落ちることはほとんどありませんでした。

自分の周りでは当たり前で、レールの上を走っていただけだと思っていましたが、世界全体ではなく日本だけでみても、特権的なことだったのです。

生まれた家庭環境以外にも、特権的なことがありました。

性自認と体の性が一致している、シスジェンダーでもあります。ちょっとした書類でいちいち性別を聞かれても、別に嫌じゃない(面倒だけど)。トイレを選ぶとき、特にためらいもなく、女性用トイレを使える。プールの前の着替えでも、周りに異性がいない。これら全て、シスジェンダーであるからこそ得られている特権だったんですよね。

メディアに登場するほとんどの人も、自分が生まれ持ったものと同じ髪の色や肌の色をしています。例として描かれた人物が、自分から大きく違うこともありません。大きな存在から、自分が生まれ持った容姿を肯定されている……なんて、意識したこともありませんでした。

普通の暮らしをしていると思っている自分が、特権を持っていることと自覚するまで、少し時間がかかりました。でも、それは私にとって当たり前にできることを当たり前にできない人たちの苦労を、これまで想像できていなかったということなんです。

めちゃくちゃ、反省しました。

特権階級にいることを自覚して、発信していかなくちゃいけませんね。


自分の特権性を自覚した上で、最初に考えたこと

自分の当たり前が、特権階級だからこそ当たり前なことだと知り、浮かんできた気持ちは2つ。1つ目は「こんなこと、みんなにとって当たり前になればいいのに」。2つ目は恥ずかしながら「私にとって当たり前じゃなくなるのが怖い」でした。詳しく書くと、特権ではなくなることが怖いというより、今の当たり前を奪われるのが怖いと感じました。

ただ……冷静に考えて、私にはある特権を持っていない方々の「当たり前」を引き上げたとして、私の何かが奪われるでしょうか?そうでもなさそうな気がします。

特権が特権ではなくなるかもしれないけれど、当たり前じゃなくなるわけじゃない。私の当たり前が、社会みんなにとって当たり前になれば、それがええやないかって思えました。


最初に感じた「私にとって当たり前じゃなくなるのが怖い」という恐怖は本能的なものなのか。本能的なものだとしたら、恐怖を抱いても仕方ないのか?……とも考えてみましたが、本能だとしても、理性で超えたいと思い直しました。そういう人間でありたいという、ただの私のポリシーです。

どんな社会で暮らしたいか、自分で創造できるとしたら、公正で思いやりのある社会の方がいいなって思います。自分のために子供にどんな社会でも与えられるとしたら、そんな社会で暮らして欲しいのです。

もしこのnoteを読んだ方で、同じように思えた方がいたら……一緒に恐怖心を乗り越える勇気を育てていけたらいいなと思います。


みなさんは、自分の特権性について考えたことがありますか?もしくは、誰かの特権を妬ましく思ったことがありますか?何か気づいたことがあれば、ぜひこのブログに匿名でコメントしていただけると嬉しいです。

みなさんの経験やお考えを聞かせてください。

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