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幸せになる勇気

嫌われる勇気の続編。

・人はみな変わりたくない。努力は面倒だし新しい世界に飛び込むのは怖いから。理由があるから変わらないのではなく、「このままでいいんだ」という材料を探しながら生きている。

・【過去には意味がない。現在の自分がどう意味付けするだけだ】
《例》クーデターを起こした。失敗すれば逆賊。成功すれば英雄だったということになる

相談者の三角錐。彼らから見えている2面には「悪いあの人」「かわいそうな私」と書いてある。ここに意味はない。裏にある「これからどうするか」に目を向けよう

・【怒りは人と人とを引き離す感情】
人と人の友好な関係には「尊敬」がある。
これは相手を理解しようとする姿勢から生まれるものだが、時に理解できないこともある。語り合うことで理解し合うのが理想だが、労力と時間がいる。それを手っ取り早くすっ飛ばして自分の意見を通そうとした結果が※広義の「暴力」だ。※怒鳴る、涙を流すを含む
その場はねじ伏せたようでも尊敬どころか軽蔑しか生まない。最も低俗なコミュニケーションである。

・【承認欲求は捨てろ。自分で自分を承認せよ】
自分の努力を誰かが見ていて評価してくれるなんて限らない。されなかった時に嫌な気持ちになるだけ。他人にねじを巻いてもらわないと動けない ゼンマイ仕掛けの人形

・正義に酔いしれた人は自分以外の価値観を否定出来ず、自由のない灰色の世界で生きている

✅重要ポイント
子供時代の私達は、親に愛されないと生きていけなかった。だから【いかに愛されるか】という生き方を選択する。
幼い頃に、泣けばお母さんを独占できた思い出。この成功体験に味をしめた私たちは、弱さ(トラウマや不幸)によって相手を相手を支配しようとする。承認され、特別な存在だと思おうとする。
自立とはこの生き方から脱却することだ。お母さんは自立しているといっていいだろう。この子が形として大人になったのはお母さんの愛があったから。つまり自立とは自ら【愛する】ことである。
「愛してくれるなら愛す」これは結局子供のまま。「愛して貰う為に愛す」これも「泣く」が「愛す」に変わっただけで、根本の意識は【いかに愛されるか】なので自立ではない。
あくまで【愛す】は自分の課題であり、【愛される】かどうかは相手の課題だ。

時間が有限である以上、「別れを前提に成り立っている」「最良の別れ」を目指して努力するのだ。



❇️まとめ
以下が大半の人が陥りがちな、生き方考え方の罠である。
「承認されたい愛されたい」これを満たしてくれない、自分を認めてくれない人は悪い人だ。正義なのに認められない私はかわいそうなのだ。だってそうでしょう?「私は、愛してくれれば愛し返すというのに、あなたのせいでしょう。ならば私はあなたを否定しよう。暴力によって、自傷行為によって」

この人はいかに自分が愛されるかばかり考える、自分が世界の中心である人。親に愛されなければ生きていけない子供のままである。
「あの人が愛してくれないから」「過去にはあんな事があったから」そのせいで今の私はダメなんだ。…実は順番は逆で、今の自分を愛せないから、そのいいわけを探しているのだ

ではどうすればいいか。「悪いあの人」「かわいそうな自分」のことを考えるのは辞めて、「これからどうするか」を考えるのだ。


まずは自分で自分を愛す。そして、余った愛を誰かに与えるのだ。きっと相手も愛し返してくれるだろうが、そうでなくても気にしない。それは相手の課題だからだ。
少なくとも承知欲求のゼンマイを自分で巻けるようになった。

「愛されたい」から「愛す」に変わった時、人は【自立】したと言える。
あの手この手でお母さんにかまってもらっていた子供時代から 脱却できたと言えるのだ。



❇️感想
嫌われる勇気に引き続き、素晴らしい書だった。これだけの内容なのにすごく読みやすくて、3時間程で一気読みしてしまった。

特に終盤にかけての「自立」と「愛」に関しては「はっ!」「えっ!たしかに!」「なるほど!」の連続だった。
基本、本に限らずコスト(読む大変さ)とリターン(得られる気付き)って比例するものだと思うが、本書は読みやすいのに気付きが大きすぎる。

それでもきっと、大半を理解していないと思うので、また読みたい本。幸せになる勇気より一般的で読みやすく感じたが、やはり幸せになる勇気から読まないともったいないかも。

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