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そういえば「寂しい」と言った人と、あまり関係が続いた事はない。

虐待のある過保護な家庭に生まれ、その後は児童養護施設で暮らし、なんやかんやで社会人をしています、春野です。

小学生は親の期待(友達多い子になってほしい)に応えるべく、わいわい系のグループにいましたが、中学生になるとスクールカースト底辺に落ち着きつつ、明るい系グループの中にも数人友達がいるという、それなりの友人関係を築いてました。高校からはカーストとかあんまりなかったです。

コミュ障+根暗で友人は多くないですが、色んなグループの中にぽつぽつ友人がいたのは、何となく人生のしんどさをお互いに察したからです。
人生山あり谷ありとか言われても平坦でいいよ、谷とか埋めてよ、と毎日思っているとそういうオーラが出るので、何かしらのセンサーが反応して仲良くなれました。友人の友人もしんどさを抱えてる子、というパターンが多いので、類は友を呼びますね。どれだけ友達が多くて明るい子でもリスカをしていたり、人は見かけによらないと知りました。

「寂しい」にも色々ある。

しんどさを抱えている友人と話していると、時々「寂しい」という言葉を聞きます。

友達が少ないから、寂しい。
友達が多くても結局一人だから、寂しい。
常に恋人がいないと、寂しい。
何か分からないけど、寂しい。

空しい、と近いニュアンスの人もいれば、寂しいとしか表現できない寂しさを抱えてる人もいて、寂しいにも色々あるんだなぁ、とぼんやり思いました。私の知っている寂しさは、親の帰りが遅くて二度と家に帰ってこないんじゃないか、と思った時の気持ちだったので(恐怖、の方が強い気もしますが)寂しいって気持ちを理解するのは難しいなと感じました。

「寂しさ」は私といてもきっと解消されない。

友達が少なくて寂しい、と言った人はクラス替えで沢山の友達ができて、次第に疎遠になっていきました。
友達が多くても結局は一人だから寂しいと言った人は、卒業後に疎遠になりました。私も結局の所、周りにどれだけ人が多くても一人だと思っていますが、それを寂しいとは思わないので、強くは共感できませんでした。
常に恋人がいないと寂しいと言った人は、結婚して幸せ!と告げられ疎遠になりました。おめでとう。
何となく寂しい、と言った人は、卒業後もしばらく連絡をとっていましたが、連絡を取らない日が続くと、連絡は取れなくなっていました。

それぞれの寂しさを埋めるために努力していた人達なので、今は寂しさが埋まっている事を願います。私の一番のしんどさは「寂しさ」ではないため、寂しい気持ちを共有する事は難しく、私といても寂しさは解消されなかったんでしょう。人生しんどいね、ってところからスタートした友人関係なので、しんどい理由が共有できないと、疎遠になるのも分かるなぁ、と今は思います。

私が寂しさをそんなに感じない理由。

私だって一人が寂しいとか、何となく寂しい、と思う時はあります。
ありますが、それで人生しんどい、死にたい……となりません。
振り返ると過保護な親に育てられ、その後は施設で暮らしていたので、同じような境遇の子たちと経験を共有できました。
だからあんまり寂しくなかったんだと思います。
ケースワーカーさんや担当の職員さんなど、周りの大人にも恵まれました。

また、血を分けた親であっても、お互いの感性はほぼ正反対で分かり合えません。全く違う人間です。
どれだけ近しい人間であっても、完全に分かり合える事はなく、結局は一人です。小さい頃にそれを実感したので、寂しいとかではなく、そういうものだと思ってます。

趣味が合う人は関係が続く。

私はオタクなので今でも仲の良い人は、みんなオタクです。一人だけリア充もいますが、本当に性格の相性がいいレアなタイプです。
寂しさを考えるにはとりえあずエヴァンゲリオン見てみるといいんじゃないかと思います。ATフィールドは大事です。

人生しんどいですが、連絡がとれなくなった友人達を寂しいと思いつつも、今日も推しのために生きる事ができたのでよかったです。

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