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「傲慢と善良」の両立

傲慢と善良」辻村深月(著) を読んだ。映画化されるとかで話題になっていて、タイトルに惹かれてタイトル買いをした。傲慢と善良。タイトル回収は案外早くに行われた。

まず、読み終えるまでずっとこの作品の何がそんなに「面白い」のかわからなかった。ずっと苦しかった。人間の傲慢さの解像度が高すぎて、まるで肉眼で登場人物たちを見ているかのように思える。私は登場人物全員がうっすらと嫌いだった。特に坂庭真実のことは読み終えた今でもしっかりと嫌いだった。真美に関しては最初から架が思うような女じゃないとわかっていたし、「なんでこんなにバカなんだろう?」と憐れんですらいた。こんな女を「善良」の一言で片付ける架は確かに「鈍い」のだ。鈍いから、あんな友人たちと付き合えるのだ。そんな友人たちと同じことを私も真実に対して思っていた。「うまくやったよね」と。

生きていて、自分の価値はこんなもんだと気付くのはいつなんだろう。大体が受験や、就活等々で一度はそう思うんではないだろうか。それは、良くない気付きだしきっと間違っているだろうが。少しの挫折を慰めるために自分の物語を強固にして、自分の価値を高めてみせるのは誰にでもある瞬間だと思う。それを真実は長くやりすぎた。瞬間が人生になってしまったから、いつだって逃げなくちゃいけなくなったのではないか。真実のことがわかっていくにつれ、どんどんと真実のことが嫌いになった。この物語の中で、私は真実だったから。

本の中に自分がいる、と思うことはキモい自己陶酔、自己愛かもしれないが、それで万歳だ。謙虚でいることと、自己愛があることは矛盾なく両立できるはず。

そして、どうして神様は出会うべき人と出会うべきタイミングで出会わせてくれないんだろう。なんてことを考える。今じゃなければ、と思ったことが何度もある。後先考えてチャンスを見極めるのはたいそう難しい。そう考えると真実と架はお互いが最適のお似合いの二人に思えるし、 厄介な女友だちの気持ちもわかる。本当に「うまくやったよね」

この作品は雑にカテゴライズしてしまうと恋愛小説だし、その中でも婚活というジャンルになると思うのだが、そう油断して読めば人の値打ちがなんたるか、自分を値踏みされて結果在庫処分のカートの中に突っ込まれたような気分にさせられるし、こんなもんが「人生で一番刺さってたまるか」

それだけ。


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