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星野太一さんの棺桶に入れたいお話

理想の体を手に入れた、その先へ

こんにちは。

僕の名前は星野太一。パーソナルトレーニングジムの経営者。

経営者として皆さんの体を理想の体へ導く手伝いをしている。


思えば、僕の人生は体を動かすことを中心に動いていた。

多分、「体」が好き。「体」が僕の人生のテーマだと思う。


小、中、高、大学とバスケットボールをプレイしてきた。

かなり、楽しく、真剣に。

夢中で、熱く、そして厳しく。

僕は普通のバスケ少年では収まらない。

高校ではインターハイにも出場した。

人生の中にたくさんのバスケットの経験が詰まっているが、今、ふと思い出したのは大学最後のリーグ戦だ。

僕は、リーグ戦の直前に、左手の薬指を骨折してしまったのだ。

左手に衝撃が走り、最終的に骨折したことが分かったとき、

「あぁ、左手で良かった!」僕は思った。


左手は、パスを受ける時、ドリブルをするとき、左側からのレイアップシュートをする時に使う。左手が使えないと、できないことは他にもたくさんある。

しかし、右手があれば、全速力のドリブル、シュート、ロングパス、できることは左手よりもたくさんある。

その日から僕は、練習時間の全てを、試合で右手を活かす練習に切り替えた。

チームのみんなが練習をしているときに、僕はひたすら右手だけを使ったシュート練習を重ねた。

僕は試合に出してもらえないかもしれない。でも、あきらめるという選択肢はなかった。

ただ、今の自分にできること、それだけを淡々と、誰よりも長い時間、練習を続けた。

本当に、大学最後の試合の日がやってきた。

僕はリーグ戦中、ずっとベンチにいた。

最後の試合も、相手チームが点を重ね、差をつけられているのをずっとベンチで見ていた。

僕のチームは負けていたのだ。


選手交代して僕がコートに出るまでは。


右手だけを使ったシュート。

この瞬間のためだけに、ずっと練習を重ねてきたんだ。

こい、こい、こい!

あっという間。

気付いたら僕は30点、一人でとっていた。

気付いたらチームは逆転勝利していた。


誰よりも早くコートに入って練習すること、

シュートを100本、200本打つこと。

僕にとってそれは苦痛じゃない。

それは、神様がくれた才能かもしれない。

そして僕は、僕の思いに付き合ってくれるこの「体」が好きだ。


今、僕はパーソナルトレーニングジムを2店舗経営している。

36歳だ。

やりたいことがたくさん、目指している夢もある。


以上、星野さんの人生ストーリーの1ページでした。

星野さん、ありがとうございました😊


ご協力いただいた 星野太一さんの経営するジム

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