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『檄』――三島由紀夫と舞城王太郎。『阿修羅ガール』以来の異色の組み合わせ。

舞城王太郎『檄』

(『新潮』2020年12月号
特集 三島由紀夫 没後五十年
創作・私の中の「仮面の告白」より)

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幼い頃から言動が表面的で演技的な兄と距離を置きながら育ち、自分でもよく分からない自分のことをよく知るために 中学生の頃からモデルの仕事をしてお金を稼ぎながら色々考えて大学を卒業して自立して やがて政策秘書になった弟は、ある日 母親からの急な電話を受けて、三島由紀夫の檄文を全部暗記して学校や家の中や屋根の上で叫びまくっている9歳の姪に会うため、久しぶりに実家に戻る。

「三島由紀夫の檄」という、登場人物の誰にとっても予想外の方向にある言葉と振る舞いを選んで身に着けることで 最も効果的で最強の形に進化した因果応報の銃弾が、長い時間をかけて、立場を変えて、直撃する。

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この話にも「ギリギリ現実におりそうな、何考えとるか分からんくて怖い人」が出てくるし、語り手の頭の回転の速さと行動力の高さがずば抜けとるし、おんなじ家に住んどる親きょうだい親戚間のギスギスして歪んどる空気が気まずくて気持ち悪い。
あと文中に地名 (恒例の「西暁」か「調布」のどちらか、あるいはその両方) が1回も出てこんのは かなり珍しい気がする。もしかしたら初めてかも?

親子の会話にある違和感。
語り手は父親のことを終始「お父さん」て呼んどるのに、父親は実の息子である語り手のことを名前じゃなくて「きみ」て呼びながら淡々と話す。
子どもが親に対して丁寧語で話すのはアニメ『CLANNADクラナド』で観たから まだ慣れとるけど、逆のパターンは初めてみた。
そういえば「2度あることは3度ある」と「3度目の正直」はどっちも50%の確率で有り得ると思うけど、「まぁフィクションやからな」と「事実は小説より奇なり」はどうなんやろか。これも互角で両方あるんか、どっちかのほうが強いんやろか。


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