4.両親へのカミングアウト

先生は話を最後まで黙って聞くと、涙ながらに「相談してくれてありがとう」と言ってくれました。その日はもう遅いので、今後のことはまた明日話すことにして家に帰りました。

翌日の放課後、保健室で先生と話しあいました。先生はまず私がどうしたいのかを聞いてくれました。大人から意見を求められたことが殆どなかった私はまず自分の気持ちを探すのに戸惑いました。それでも「自分のやっていることはおかしい。治したい。高校も行きたい」と思いを伝えました。すると先生も自分の考えを話してくれました。

「私ね、養護教諭なのにそういう症状について病気かどうかの知識もなくてごめんね。だから昨日帰ってから先生なりに色々調べてきたの。体の調子が悪くて嘔吐してるのかもしれないし、心が疲れてしまってるのかもしれないと思う。いずれにしても、ご両親に相談して、それから一度病院に行くことにしない?」

『両親に私のこんな状態を知られるくらいなら、死んだほうがいい。
いい子でなければ愛してもらえないのに、こんなわけわかんないことする私なんて受け入れてもらえるはずない』そう思った私は返事ができずにいました。すると先生は「ご両親に話をする時は私も一緒にいるから。分かってもらえるまで一緒にいるから」と言ってくれてました。それでも返事ができない私に先生は「あなたは今まで小さい頃から勉強も部活もなんでも頑張ってきたでしょ?それが今はもう頑張れなくなっているのは、もう頑張れないよっていう体と心のサインじゃないかな?ご両親にもわかってもらってゆっくり休もうよ」と言われ、ふっと肩の力が抜けたような気がしました。

そっか、私は頑張ってたんだ

そのことに先生の言葉で気が付きました。そしてもう今までのようには勉強も何もできない状態なのは自分が一番良く分かっていました。やっと頷いた私をみると先生は、両親に電話をかけに部屋を出ていきました。

その日、私は先生と一緒に帰宅しました。
何も言い出せない私に代わって先生が今私の身に起きている症状を説明してくれました。両親は「体に異常はないし、本人も吐きたいとは思っていない。それでも大量に食べるのもその後嘔吐するのも意思の力ではもうどうにもならない」という私の症状が理解できていないのは一目瞭然でした。

先生が帰ったあと、夕飯を皮切りに私はひたすら食べ続けました。炊飯ジャーに残った3合ちかいご飯、1リットルの牛乳、食パン1斤、スナック菓子、菓子パン、ヨーグルト、アイス………

ここからの記憶は覚えていません。覚えているのは、どういう経緯でそうなったかはわかりませんが、いつものようにトイレではなく庭でバケツに嘔吐させられている自分と、そばに立ちながら背をさするでもなくただただおろおろする母と、濁流のように口から流れでる吐瀉物を呆然と見ている父の姿です。

嗚咽しながら吐き続ける私を両親はどう思ってみていたのか、今も私は知りません。その後、ふらふらになりながら歯磨きをして自室にこもった私は、バケツいっぱいの吐瀉物を、庭にあふれた吐瀉物を両親がどうしたかも、両親がどういう話合いをしたのかも私は今も知りません。


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