騎士道と純潔 『アーサー王物語』より
アーサー王伝説は日本でも有名であるが、その一部の場面を聞いたことがあるだけで実際に読んだことはなかった。
岩に刺さった剣を引き抜いたこと、湖の乙女からエクスカリバーを受け取ったこと、円卓の騎士、ランスロットと王妃の不貞、トリスタンとイソード、聖杯探索、エクスカリバーを湖に投げ込ませてアーサー王がアヴァロンに行ったこと等々。
アーサー王伝説についての書籍は和書でも複数あるが、その中で決定版を言えそうなのが筑摩書房から出ているトマス・マロリー著『アーサー王物語』だろう。
全部で5巻、ページ数はどれも300を超えている長編である。
分量としてはなかなかだが、それだけにこのシリーズを読めばアーサー王伝説に登場する逸話の多くを網羅できる。
今回はこの版を読んでみて、私的に興味があること、つまり「純潔」について書こうと思う。
騎士にとって純潔とはどのようだったのか
まずは第2巻収録のガレス卿の冒険から。
ガレス卿は有名なガヴェイン卿の末弟であり、家令のケイ卿から「ボーメイン(美しい手)」とあだ名をつけられた若き騎士である。
作中での活躍ぶりを見る限り、円卓の騎士のなかでも相当に強い騎士であり、円卓最強とされるランスロット卿と互角の戦いを繰り広げたりしている。
武勇だけではなく騎士としての立派な振る舞いから「真に高貴な騎士」として多くの人に尊敬されている。
ランスロット卿を非常に尊敬しており、彼に騎士に叙してもらったことから後に命を落とすその時まで敬愛し続けていた。
そんなガレス卿がパーサント卿という名の騎士を助け、彼に宿を提供してもらった夜のできごと。
ガレス卿(ボーメイン卿)に助けてもらい、恩を感じたパーサント卿は自分の娘にガレス卿を楽しませるように命じたが、娘が純潔の乙女だとわかったガレス卿はその申し出を断り、自身と娘の双方の純潔を守ったという一件である。
まず理解できるのは、この物語世界における騎士にあって純潔は美徳とされていることであるが、それは必ずしも遵守されていないことも普通であるということだ。
たとえば、ガレス卿の兄のガヴェイン卿はペリアス卿を欺く形で彼の想い人と肉体関係をもつし、ペリノー王は農民の女性を半ば強姦して妊娠させている。
(そもそも騎士道における女性への高潔さは貴族の女性を対象としたものであって、農民は対象外であったように見受けられる)
ガレス卿は特に立派な騎士であったためにこの申し出を断ったのであるが、それが騎士としての崇高な行いである、つまり普通ではないような行いとされているからこそ、パーサント卿はさらに感激するのである。
つまるところ、騎士にとって純潔は美徳ではあるが、あくまで理想であり、実現しているかどうかは厳しく追及されないものであったと言える。
女性が語る純潔
それでは女性目線で純潔はどうだったのか。
これについては、ランスロット卿の子ガラハッドを産むことになるエレーンの発言が参考になる。
王女エレーンはランスロット卿と子をなし、その子が最高の騎士になるという予言を受ける。
しかしランスロット卿は、アーサー王の王妃グィネヴィアを愛しているためにエレーンの愛を拒絶する。
彼は王妃一筋なので物語の全体を通して他の誰とも恋をしないのである。
そこでエレーンは魔法を使えるブルーセン婦人の協力を得て、ランスロット卿が自分をグィネヴィアと勘違いするようにさせ、意識が朦朧としたランスロット卿と一夜を共にすることに成功する。
朝になって魔法が解け、騙されたことに気づいたランスロット卿はエレーンを見つけると自分の行いを後悔し怒る。
結局この一件は許され、エレーンは無事ガラハッドを産む。
この発言からわかるように女性にとっても純潔(処女性)は美徳であり、取り戻すことができない「最高の宝」、「美しい花」と表現されている。
物語の中で女性が純潔を語るのは実は珍しく、ほとんどがエレーンが語るものである。
この後エレーンはアーサー王の宮廷に参上し、グィネヴィアとランスロット卿をめぐって口論になるのであるが、彼女はそこで自身の処女を捧げたと主張することで、王妃を黙らせることにも成功する。
ここから察するに純潔は女性においても美徳であり、それはエレーンだけの信条というわけではない。
ガレス卿が言っていたように男性目線からしても女性の純潔は大切であったし、女性目線でもそうであったのだろう。
とはいえアーサー王の異父姉であるモルガンをはじめ、複数人の愛人を持つ女性も登場し、割とすんなり愛人関係になる女性も少なくない。
事情は男と同じであり、女性においても純潔はやはり理想であって必ずしも守られているわけでもないのである。
男性の純潔
現代の感覚からすると純潔とは女性のイメージがつきやすいが、騎士道においては純潔であることは男性の美徳でもあるということを忘れてはならない。
つまり童貞性が求められるのである。
それがかなり目立つ形で取り上げられるのは物語の中でも特に宗教性が色濃い「聖杯探索」においてである。
アーサー王と円卓の騎士は聖杯がもたらす奇跡の力に心を打たれ、騎士たちは各々聖杯を求めて冒険をすることになる。
魔術師マーリンは聖杯探索に成功する3人の騎士を次のように予言していた。
この三頭の雄牛とは、先述のガラハッド卿、パーシヴァル卿、ボース卿のことである。
童貞なのはガラハッド卿とパーシヴァル卿であり、ボース卿は以前に一度だけ性行為をしたことがあったが、以後行いを反省して慎ましい生活を送ってきた騎士である。
父親よりも優れる一頭とはガラハッド卿であり、実際に彼は円卓最強と謳われる父ランスロット卿を馬上槍試合であっさりと倒し、円卓のうちで最も優れた騎士しか座れない「危難の席」に座るなど格の違いを見せている。
マーリンが予言するように、実際にこの3人は聖杯探索に成功し大きな栄誉を得ることになるが、他の円卓の騎士たちの多くは死に、3人を除けば唯一ランスロット卿だけが聖杯の一部分を垣間見ることに成功する。
ランスロット卿はグィネヴィア一筋の高潔な騎士ではあったものの、やはりそれは不貞であり道ならぬものであった。
一時彼女への恋慕を捨て去る決意をするも、それは完全ではなかったために聖杯に値することはなかったのである。
聖杯探索の道中は試練の連続であり、魔がパーシヴァル卿を襲う。
パーシヴァル卿は冒険の途中ある塔に誘われ、その塔の女主人である絶世の美女に誘惑される。
魅入られたパーシヴァル卿は女主人にされるがままに衣服を脱ぎ寝台に上がろうとするも、ふと思い立って十字をきる。
するとその女性は雄叫びを上げながら消え去ってしまうのであった。
魔に魅入られた自分を恥じたパーシヴァル卿は、自分の腿を刺してその罪を償おうとする。
男性目線でも純潔は「取り戻せないもの」と表現されており、先のエレーンの発言と感覚が似ていることがわかる。
ここでパーシヴァル卿が女性と交わったのなら彼は聖杯を見つけることはできなかった。
純潔は聖杯探索を成功させるための必要条件であるからで、聖杯を望む騎士は童貞であることが求められるのである。
聖杯探索の物語は、それまでの俗世的な戦いや騎士道的恋愛とは異なり聖なるものをテーマとしている。
男性の童貞性が高潔なものとして求められるのは、聖なるものに値する資格をもつ者の証拠であるからである。
実際ガレス卿の物語では、乙女と自分の純潔を守った彼の行いは立派なものとして讃えられていたのであったが、当のガレス卿が聖杯を見つけることはない。
(聖杯探索の時点では、ガレス卿は結婚していたのである)
またボース卿は童貞ではないにもかかわらず聖杯を見つけるが、童貞である他2人とは少し違った結末を迎えることになる。
男性の童貞についてはっきり語られるのもこのパートだけであるし、それは騎士道の高潔さと宗教の聖性が融合した形で描かれているのである。
先述のエレーンにしても聖人の系譜をひく者なのであり、同じく聖人の血を受け継ぐランスロットと処女のままに契ることで、まさにその時最も聖なる騎士であるガラハッドを孕んだのであった。
(ランスロット卿がその時に童貞であったのかどうかは不明だが、少なくとも青年期から王妃一筋の彼にあって性行為の描写は一度もない)
こうした意味でガラハッドは生まれながらに聖なる者であり、その童貞性の因果は生まれながらに強力である。
彼は聖杯探索の後、その願いが聞き入れられ天に召されるのであった。
聖なるものとしての処女性
最後にこの聖杯探索における女性の純潔を見ていこうと思う。
というのは、物語中処女が重要な役割を担うからである。
聖杯探索の途中、パーシヴァル卿は偶然にも自分の知られざる姉に出会い、彼女は弟を聖杯へと導く案内人として共に行動することになる。
その後、運命に導かれるように合流を果たしたガラハッド卿、パーシヴァル卿とその姉、ボース卿は、一緒になった船の中で不思議な剣を見つける。
パーシヴァル卿の姉はここで言われている「王と王妃の間に生まれし処女」であったために、ガラハッド卿にこの剣を帯させることに成功する。
いわば処女の手によって、騎士は「いかなる恥辱」も受けない護りを得たものと解することができるだろう。
この話と似たようなものとして、アーサー王が湖の乙女から手に入れたエクスカリバーの鞘が思い起こされる。
エクスカリバーの鞘は帯びている者に護りを与える効力をもち、アーサー王はこれをモルガンによって奪われたために無敵ではなくなってしまうのである。
このような聖なるものは処女の手によって渡され外されなければならないのだが、モルガンは妖妃であって処女とは全く異なる存在であり、そのような人物によって聖なる鞘が奪われ騎士が護られなくなるというのは、処女と聖なる護りの関係に何らかの関連を感じないでもない。
処女が聖なる力をもつというのは他にも例がある。
呪われた身のある貴婦人は、王と王妃から生まれた身も心も清らかな処女の血を身体に浴びることでその病が癒えるということを聞き、城の前を通る処女の生き血を抜き取っては死なせていた。
そこでパーシヴァル卿の姉は自ら進んで血を提供することに合意すると、その聖なる血で貴婦人は助かるが、人が浴びる分だけたくさん血を抜かれた彼女はそこで命を落とす。
これら2つの出来事に共通するのは、純潔は聖なる力を発揮するための条件であるが、ただ処女であるだけでは駄目だということである。
ガラハッド卿が帯びることになる剣の場合も貴婦人を血で助ける場合も、その条件は「王と王妃の間に生まれし処女」だった。
さらに言えば、貴婦人は以前から多くの王族の処女の血を試していたのであるがこれらは効くことがなかったのであり、パーシヴァル卿の姉の如き身も心も清らかな処女の血でないと治らなかったのである。
したがって聖なる力の条件として処女は前提ではあるもののそれだけでは足りず、純潔にふさわしい心も必要だということになろう。
以上、『アーサー王物語』における純潔についてみてきた。
純潔は女性だけのものではなく、騎士たる男性にも求められる素質であったのであるが、男女どちらのそれもある種の理想的なものであり、必ずしも守らなければならないものではなかった。
むしろ純潔を守っている人物は騎士にしても乙女にしても多くはなく、円卓の騎士の中で童貞なのはガラハッド卿とパーシヴァル卿だけであると思われる。
また、その本領が発揮されるのは聖杯探索という神秘的で宗教的な物語の際であり、他の物語では純潔が特別に重要視されているようにはみえない。
ただしガレス卿の例にあるように、それを重んじる騎士はやはり尊敬されるべき高潔な騎士と呼ばれるのである。
聖杯探索は純潔性溢れる秘教的な格調であったが、これが終わると物語は一気に性格が変わる。
純潔の象徴であったガラハッド卿とパーシヴァル卿が天に召された後の円卓は、ランスロット卿とグィネヴィアの不貞を原因に崩壊。
円卓の騎士の多くは死に、ガレス卿もランスロット卿によって殺され、兄のガヴェイン卿はランスロット卿と対立、その後戦死。
この事件を機に戦力が大幅に低下した中、アーサー王は息子であるモードレッド卿の謀反にあい、これを討ち取るも自身も致命傷を負う。
終わりを悟ったアーサー王は湖にエクスカリバーを返還し、アヴァロンへ旅立つ。
その後、立派な王であり夫であったアーサー王の死を聞いたランスロット卿とグィネヴィアは自らの行いを後悔し、互いに二度と会わないことを約束し、別々の修道院で死を迎えるのであった。
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