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あの時と同じようなままで昨日のように思い出して

「気持ちいい風が吹いたんです」

そう呟きたくなる夜だった。

風に乗って あの頃の記憶がわたしの頬をかすめる。
ああ、あの夜もこの曲を聴いていたな、
メロディーとともにあの時の記憶がよみがえる。
鮮明に、それでいて輪郭は少しぼやけてにじんでしまっている。


久しぶりにあのプレイリストをひらく。
宝物みたいなわたしのプレイリストを。


音楽に出会ったのは大学1年生の春だった。

あの頃は、浮かれていたなあ、本当に。
はじめてのことばかりだったから。

ピンク色が3日で落ちて金髪になってしまった髪の毛とか
23時のはやすぎる終電を見送ってみんなでカラオケに行ったこととか
朝になってもまだ暗い空の下で、眠い目をこすりながらさっきまで歌っていた曲を口ずさみながら歩く帰り道とか


全部が全部、愛おしかった。


私の青春は2年ほど遅れて私のもとへやってきた。
まだマスクは外せなかったけれど、肩を組みながら歌を歌っていられるくらいには青さに染まることを許されていた。



音楽に出会わせてくれたのは彼女だった。
ロックなあの子。私は彼女のことを勝手にこう名付けている。
大学一年生のころ、私たちは本当に同じ時間を過ごしていた。一緒に過ごした時間の分、彼女の流す音楽を聴いていた。

彼女の部屋にお邪魔すると、彼女はいつもテレビをつけて音楽を流した。
暗い部屋の中でテレビの画面に映し出される歌詞を眺めながら、色んな事を話した。高校生の頃のこと、大学の友達のこと、先輩のこと、家族のこと、好きな食べ物のこと、明日の授業のこと、昨日見たユーチューバーのこと、好きな芸人のネタのこと、概念のこと、幸せのこと、なんていつの間にか規模が大きくなりすぎたりして。

彼女の聴く音楽は、優しくて強くてどこか悲しかった。シティポップに浮かんだ夜更けはいつまでも明るい闇に照らされていた。


音楽を宝物にしてくれたのは委員会の仲間たちだった。

私と彼女は大学の委員会に所属していて、毎日のように二人で活動場所に顔を出していた。活動が終わって空が藍に染まる頃、先輩たちに連れられて、大盛りの唐揚げ定食が食べられる食堂だとか無愛想な店主さんが営む二郎ラーメンだとかでご飯を食べた。満腹になってしまうと、カラオケに行って朝まで歌った。時々部屋を抜け出して深夜までやってる博多ラーメンを食べに行ったりして。あれ、ラーメン食べ過ぎ?でもだって大学生なんだもの。ラーメンの汁に溺れてしまうほどこの素晴らしい食べ物を愛したっていいじゃない。お酒は二十歳から、って素直に守ってお酒は飲まなかった。先輩たちが缶チューハイ片手に笑っている姿を見て、ほんの少ししか違わないのに歳上は違うなあとぼんやり思った。


桜の葉が真っ赤に染まる頃には、数え切れないほどの曲に出会った。

先輩がカラオケで必ず歌う彼の十八番。
活動場所でスピーカーから流れているいつものあの曲。
彼女が口ずさむイントロ。
好きな人が聴いてるバンドのちょっとマイナーな曲。
みんなで真夜中に熱唱したキャッチーなサビのメロディー。

ひとつひとつの曲に思い出が刷り込まれていった。まるでレコードに少しずつ溝を刻んでいくみたいに。
彼女の口癖。ご飯前の定番化した挨拶。恋が実りそうな二人の後ろ姿。帰り道に我慢できずに買ったアイスクリーム。夜道に響く下駄の音。踏切の前で切ったシャッター。花火の音が聞こえてみんなで外へ駆けていった夜。朝だというのにまだ明るい闇で覆われている空。
一瞬たりとも忘れまいと刻んでいく。


そうして思い出が刻まれた曲たちをプレイリストに包んで心にしまった。

「わたしのしあわせ」

そんなふうにタイトルをつけた。

そんな愛おしかった日々もいつの間にか過去になった。
今も私はレコードを流すみたいに、思い出を針でなぞりながらあの頃の記憶を辿っている。

あの時と同じままで昨日のように思い出して

「気持ちいい風が吹いたんです」never young beach


音楽というのは不思議なもので、メロディーが、歌詞が、その頃の気持ちも情景も匂いも私のもとへ連れてきてくれる。
まるで昨日のことみたいに。

プレイリストを流すたび、私はあの日々に引き戻される。
あの頃の気持ちが胸にぶわっと広がってきて幸せと切なさに包まれる。



あの日々を超えるプレイリストを私はまたつくることができるだろうか。








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