「気持ちいい風が吹いたんです」 そう呟きたくなる夜だった。 風に乗って あの頃の記憶がわたしの頬をかすめる。 ああ、あの夜もこの曲を聴いていたな、 メロディーとともにあの時の記憶がよみがえる。 鮮明に、それでいて輪郭は少しぼやけてにじんでしまっている。 久しぶりにあのプレイリストをひらく。 宝物みたいなわたしのプレイリストを。 音楽に出会ったのは大学1年生の春だった。 あの頃は、浮かれていたなあ、本当に。 はじめてのことばかりだったから。 ピンク色が3日で落ちて金
海のある町に生まれることができたなら、と何度思ったことだろう。 果てしなく深く青い海と対峙して、自分の心の奥底から流れ出してくる気持ちを叫ぶことができたなら。 幸せが私から遠ざかる時には海も私の側には居なかった。 どれだけ海を切望しても、周りを見渡せば四方を山に囲まれた小さな田舎町がそこにはあった。 まだ中学生だった頃、友達の一言一言に過敏になって嫉妬と理不尽な嫌悪をぶつけられ心を痛めてしまっていたあの頃。 自分がどんどん孤独になってどん底まで堕ちていく感覚を未だに鮮明
赤ちゃんが泣いていた。 電車の中で、飛行機の中で、水族館の中で。 しんと静まりかえった無色透明な空気の中に純粋無垢な叫びが響いている。 言葉にならない叫びを、体が許す限りの方法で伝えようとしている。 自分は確かにここに居るんだって言うみたいに力強くて芯の通ったその泣き声は、だれかの些細な表情の変化を感じて言葉を発する私の声よりはるかに立派なものだった。 泣いている赤ちゃんを見て ため息をつく人、困ったような顔をする人、イヤホンを耳に差し込む人、とっさにその子をあやそう
こんにちは。みなさんお元気でしょうか。 春の陽気が少しずつ舞い込んできたようですね。私の住む国では、もう春を通り越して夏がきてしまったようで春への未練を心に感じています。日本から遠く離れた国に住んでいると、春の情緒をも失ってしまうので寂しい限りです。 もうすっかり桜が満開ですね。といっても、私はその事を友人から送られてきた写真たちで知ったのですけれど。 桜を私に届けてくれた彼女は、小学校からの付き合いで、とっても尊敬している大切な友人。 そんな彼女が「わたしの中の○○の
分かろうとする優しさ と 分からないままでいるやさしさと 歩み寄ろうととする優しさ と 入り込まないやさしさと 言葉にして打ち明ける優しさ と 心に秘めたままでいるやさしさと あなたのすべてはわからないから私はあなたを好きなんだ。 涙の理由は知らないままで 「あなたにはわかりっこない」 そう言って涙をぽろぽろと流す私の横で、彼は黙って隣に座っていた。 なぜ泣いているのと聞かれても、自分でも涙の理由がわからない。 なぜか悲しくてなぜか涙がでてきてしまう。 そういう時
二十歳って、もっとちゃんと大人なんだと思ってた。 人生の体感時間は、二十歳で半分を過ぎてしまっているっていうけど本当なのだろうか。 二十歳になってもまだ、幼い頃に夢見ていた理想の大人になんてなれていない。大人になんてなりたくないし、いつまでも二十歳のままで生きていたい。まだ私は、私の二十歳を失いたくない。 とても 複雑で 繊細で 苦しいくらいに輝いている一年だった。 そんな私の、二十歳の記録。 誕生日 去年の四月、私は二十歳になった。幸せな誕生日だった。 十九歳最
過去はちょうどいれたてのホットミルクのように 温かくて 優しくて そこに私は蜂蜜だとか チョコレートだとかを溶かして、幸せを 溶かして。 マグカップから伝わる温度を手のひらに感じながら、あたためる あたたまる。 冷めないように 覚めないように だって、さめてしまったら あたたかくてやさしい思い出がなくなってしまうでしょう。 できることならいつまでも、記憶の中でおだやかに目をとじて居たかった。 冷めないように 覚めないように ときどきお砂糖をスプーンですくって溶か
noteをはじめて早一ヶ月。 気がついたことを気の向くままに綴ってみます。 方向性の違いで解散しそうな私のココロ。 一番感じたのが、自分の文章の不安定さ。 「ですます調」で書いていたのに次の日には「である調」になっていたり、修飾表現をこれでもかと盛り込んで小説作家気取りの日もあれば友達との会話みたいに文章を書いている日もある。 エッセイを書きたい日もあれば創作してみたいと冒険する日もある。 自分のスタイルを確立することって難しいことなんだなあと実感。 自分が書きたいこ
こんにちは。元気ですか? 今日のご飯は何を食べましたか? あなたが今日も元気に過ごしているのなら、それだけで私は幸せです。 外に出ると、この間までの肌をさすような風はどこかへ飛んでいってしまって、春風と言っても誰も疑わないような、そんな風が私の頬をかすめました。 真っ青な空には真っ白い旅の跡が何本も伸びていて、目を閉じると鳥のさえずりが耳をくすぐります。 もう春がやって来たらしいのです。まだ2月だというのに。 2月は、これまで生きてきたそれとは全く違う姿で私の目の前にや
現在時刻。25時15分。 25時という表し方が、個人的にはとても好きだ。 眠れない夜には、いとも簡単に時計は回ってしまう。 回りきって一番上に戻ってきて、一日は終わり、また始まる。またゼロからのスタートである。 だけど、私はまだ今日に取り残されている。時計の針が回ってしまっても、私はまだ、終われないし始まることもできない。 今日でも居られないし、明日にもなれない、はみ出した時間。 そんな時間に暗くなった部屋を見つめていると、今日から、ひいては世界から取り残された気分に
私は、絶賛「自分探しの旅」にでています。 異国の地で、【自分とは何か】だなんて哲学的な問をたて、毎晩のようにその答えをノートへ書き込んでいます。 私とは何か、私はここで何をしたいのか、私は将来どうなりたいのか、、、 考えれば考えるほど堂々巡りです。 自分と日々対峙する毎日。 そんな時、彼が私にこんな事を言いました。 この言葉は、なんだかとても腑に落ちました。 自分自身、ここに存在する私というものは、これまでの経験がつくりあげた私なのですから。 とは言っても、自分探
思えば、小学校のころから作文というものがどうも苦手でした。 夏休みになると必ず私の前に立ちはだかる「読書感想文」という壁も、 私にとってはひどく分厚く、高い壁でした。 とはいえ、文章を書くこと自体が嫌いなわけではないのです。 ただ、自分の心を、見えない感情を、うまく言葉として表せないことに、 ただただ、ヤキモキしていたのです。 読書をした後に、胸の中に残っているトキメキや まるで自分が主人公になったのではないか、というぐらいに胸の中を渦巻く感情も、 いざペンを持つと