未来を燃やす夜(B/F/C/3落選展・碑文)

 ――三次で落選した。
 そのメールを見た時、ほんのわずかに喜んでいる自分を見つけた。そして、それがとても悔しかった。通話を飛ばす。
「遠藤、ダメだったよ」
 先に話したのは、トオノユメの方だった。灯が光る野に、芽が有る。それゆえに灯野有芽と記す。
「例の約束通りにやろう。場所も前に言ったところで。遠藤の方、都合はつく? 今夜にでも」
「つく。印刷もしてある。缶、持ってくね。あとはマッチ。仏壇にあった。何本かあるし、試しに擦ったらよく燃えたの」
「オーケイ。こっちもいま、印刷してるところ。――終わった。すぐに行くよ。自転車に乗って」
 見えもしないお辞儀をして、通話を切った。

 有芽は私のことを遠藤と呼ぶ。未来とは決して呼ばない。ミライ・エンドオ。その音を私が嫌っていることを知っているから。
 あの頃、私はマッチのことを燐寸と書くような人間だった。ふりがなもつけずに。それを改めさせたのもまた、有芽だ。
「未来。これは、読めない。かっこいいけど、ルビか、カタカナだ。私たちが書くのは、ライトノベルなんだから。読めるやつにはこんなもの不要と笑わせて、読めない者たちの手を取ってあげないと」
 彼女はライトノベルをよく弁えていた。普段は幻想小説やSFなんて気取ったものを読んでいるのに、私よりもずっと、かっこよく軽い文芸のやり方を知っていた。
「遠藤って呼んで。未来って呼ばれるのは嫌い。親に押しつけられた未来なんて見たくもない」
 そして、私たちは同じ公募に作品を出した。私は一次選考を通過できなかった。八月の夜が来た。

 ぬるい夜。月には叢雲。沼の見える高台の公園で、誰の気配もない午前二時。金属製の大きな缶を置いて、そこが火葬場となる。
 ぼさぼさの髪を無造作に束ねた有芽。私の手元ばかり気にしている彼女が愛おしい。どんな作品にでも、熱を注いでくれる。
「こっちから燃やそうか」と有芽が言う。
「先に死んだのはこっち。だから火葬の優先権もこっち」
 そう言って、私は紙屑である自分の小説を缶に放り込んだ。風はない。亡くなったもののために吹く風など存在しない。燐寸箱を取り出す。中から一本を摘まみ上げて、擦る。先端から小さな炎が立つ。綺麗と言っても、誰の気も済まない。
「さようなら」
 手を離すと、それはゆっくりと落ちていった。音は聞こえなかった。ただ、火が広がっていく。私の作品。なんの価値もない、選ばれなかったもの。
「悲しいな」
 有芽の呟きに、私は首を振る。
「ユメは結果を出してる。ねえ、ユメのは燃やすのやめようよ。せっかく、三次まで通ったんだし。他のところに使いまわすのも」
「他? 他なんて意味ないよ。夢がない――ユメなんて名前のわたしがそんなことを言うのはおかしいか」
「そんなこと言わないでよ」
 だって、そんなことを言ったら、私は。
「私さ」と彼女の瞳を見て言う。火と人工灯。どちらも彼女を照らし出している。「ユメのことが好きなの。女なのに女のあなたが好き。そして作品のことも好き。作品は、作者にとって自分そのもの。だったら、燃やすことなんて」
「やめようぜ、そういう説得の仕方はさ」
 自嘲の表情。見たくもない。
「約束は約束だ。夢は叶わなかった。それを現実に受け止めるために、わたしは燃やしたいんだよ。この国では、死者は荼毘に付す。火葬してやらないと、わたしたち、いいや、わたしが前に進めなくなる。遠藤は――未来は、私と作品と、どっちを取りたい?」
 怒りは湧かなかった。私は結局、有芽には絶対に敵わない。
「……燃やしなよ」
 その作品が有芽自身であるはずはなかった。有芽には未来がある。きっと、いい作家になる。できそこないの私とは違って。
「うん。ごめんね。わたしのライトノベル」
 彼女が手を離した途端、強い風が吹いた。
 まるで鳥のように、夜の空へと紙束が舞った。それは月の方に向かって音を立てて飛んでいく。月影を遮る雲が、ほんの一瞬、切れた。それが道標の光となる。
「こんなことってある?」
 有芽は追いかけようともしなかった。
 そんな姿勢さえ、羨ましく思う。
「風葬だね」
 私は視線を落とす。よく燃えている。未来が灰になっていく。あまりの辛さに私は有芽の手を握る。
 彼女は、握り返してくれた。
「未来。親が決めたんじゃない。芽が有るかどうかなんて関係ないよ。書きたいから書くんだ。知ってるよ、遠藤未来のこと。たった一度転んだくらいで、未来の価値は失われないよ」
 葬式で泣くのが自然なことであるように、泣きじゃくった。ずっとずっと辛かった。自分の可能性が否定されたこと。自分自身に未来がないと言われたような気がした、あの落選から、ずっと泣くことができなかったから。
「また書こうぜ」
 私は頷く。手の中にある夢を握り直しながら。

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