#43 同じことを繰り返して

noteを書き始めてから、1年と数か月が経った。もう43も記事を書いていることに驚きを隠せない。ボリュームで言うと卒論くらいあるんじゃないか?

当時私の近くにいた人が、自分で思い通りに作り上げたHP上で生き生きと思索をめぐらす様子を見て、私も何か書いてみたくなったのを思い出す。彼は今でも近くで私の話を聞いてくれるし、フィードバックをくれるし、私とは違う観点で見つめてくれるから、共感は得られなくても、自分の考えを深めるのに大切な存在。冒頭から突然の私信で申し訳ないけれど、いつもありがとう。(笑)

未だに、リアルの世界で関わりのある人は本当に2人しか私のnoteの存在を知らないし、匿名だからこそ、のびのびと思ったことを書き記すことが出来ている…と思う。私の思考の足あとは、限られた人しか見ることのできないプレミアものなのだ。(何様)

さて、タイトルについて。
昨年は会社員1年目として、新たな環境に身を投じた女性として、24歳の人間として、様々な事象にぶつかる度に考えをめぐらし、自分なりの答えを導こうと気ままにnoteを書いてきた。
「自炊」を生活の真ん中に置くと精神が安定する話とか、
レシートを大量に溜めているときは心がすさんでいる話とか、
「熱量を持って何かに取り組む自分」に手をこまねいて憧れる話とか。
そのほかいろんなテーマで書いてきたけど、これからの人生を快適に生きるための気づきや学びを、自分の言葉で表現してきたつもりだ。

でも、最近気づいた。どんなに自分にとって素敵だと思うライフスタイルや考え方を言語化して、一時はそれらの言葉を心に留めて実践できても、
またしばらくすると仕事に忙殺されがちになるし、まぁいいやと諦めて引き受けてしまうタスクも増えるし、ごはんはその場しのぎのテキトーなものになるし、家計簿だって2週間分まとめてつけちゃうこともあるし、何か取り組みたいことがあっても睡眠を優先してしまうこともあるし、無意味な消費ばかりしてしまうこともあるし…。
自分に甘いだけかもしれないけど、本当に毎日、「あるべき姿」を意識して生きるって本当に大変(というか維持するのが難しい)。

とはいえ、この1年間、そういった気づきをちょこっとずつメモしておいたお陰で、「最近ご飯を作れてないから、今日は早く帰って10分でもいいからサラダ作ろう」とか、「レシート溜まっとるな。疲れてる証拠だから早く寝よう」とか、自分の行動をメタ認知するようになったのはとても良いことなのかなとも思っている。前進のスピードが上がった感じ。
それまでの自分は何となく同じことを繰り返して、「前にもこんなことあった気がする」と、ただ体感しながら生きていた。同じ感覚を何度も繰り返すと、だんだんと実践に移すようになるけど、言語化していると、あるべき姿に自分を移行させるまでの期間が短くなる、ような気がするのだ。

おそらく、いや絶対に、私はこれから先も同じようなことを繰り返すだろうし、その度にちょっとヘコむだろうし、なかなか負のループから抜け出せない期間も経験するだろうけど、自分が既に導き出した最新の問答noteに立ち返って、ほど良く反省して、ちょっとずつ前に進めばいいんだろうな。
モヤモヤをきちんと言語化してnoteに残した過去の自分へ、ホンマにありがとうやで。以上、いろんなものへの感謝が溢れる回でした。

<追記、というか日記 2020.06.30>
今日は朝から仕事を頑張った。相変わらずいろんな人やものの調整ばかりだけど、人に頼み事をするときのちょっとしたコツとか、どうやったら組織が向かうべき方向に向かわせられるか全体を俯瞰する癖をつけるとか、これからもこの会社で働くうえで大事なスキルを身に付けていってる自信がある。(ほかの会社で通用するかどうかは知らん)
そんなことはどうでもよくて、帰ってからの私はマジですごかった。まず、さっとシャワーを浴びた。髪をタオルで巻いて乾かす間、キッチンに行って、レタス・ブロッコリー・トマト・ゆで卵のサラダを作って、明日のサラダお弁当も作って、お米も炊いて、お茶も沸かした。料理をする間に洗濯機を回して、明日の服を確保した。寝る前にこうやってnoteを書いた。あとはコンタクトを外して歯磨きをして髪をドライヤーで完璧に乾かしたら寝ることができるのだ。すごすぎる自分。自己肯定感の高まりがすごい。おとなになって、他人に褒められなくても自分で自分を褒められるようになった。それが良いか悪いかは置いといて、自分の生きやすい方法で、のんびり人生を謳歌したらいいんじゃないかと思うんだなぁ。みつを。

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